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母と娘の青森“縄文”旅行

コロナで何度も延期した、母との青森縄文旅行にやっと行くことができました。
東京在住の私と、神戸在住の母。
青森空港現地集合・現地解散の一泊二日弾丸ツアーです。


母との共通の趣味が、「縄文」。

縄文文化の、「想像してごらん」とこちらに委ねてくるところと、飾らずにいられない、表現せずにいられない人間のシンプルな性を知ることができるところにたまらなく惹かれて、縄文土器や土偶などを見て回っているのですが、縄文の遺跡の聖地といえば、なんといっても青森。

ここを訪れずして、縄文時代のファンとは言えない!

しかし我々に許された時間はたったの二日。
なにせ北海道・北東北の縄文遺跡群は令和3年に世界遺産に登録された価値あるものばかりですから、なかなか絞り込めません。
ぐぬぬ、こっちも見たいしここも行きたい・・・。

いろいろ諦めたり調整したりした結果、私が最終的に選んだプランがこれ↓

・是川縄文館で「合掌土偶」
・小牧野遺跡で「環状列石(ストーンヘンジ)」
・三内丸山遺跡で最大級の大型竪穴建物・大型堀立柱建物

青森空港を出発して最初の目的値まで105キロ。
この3つの遺跡を巡りながら、奥入瀬渓流や十和田湖を横目にドライブし、温泉に泊まって美味しいものを食べよう!というコンセプトに決まりました。

青森空港から是川まで約二時間。
途中高速道路が途切れていたりして、看板もなく、本当にこっちで合ってる?と思いながら向かった最初の目的地の是川縄文館に、国宝の土偶「合掌土偶」がおわしました。


しっかり手を合わせる国宝、合掌土偶。何を祈っているのでしょうか


発見されたのは1989年と、つい最近。

土の中で体育座りされていた土偶を掘り出した人の気持ちはいかばかりだったか、想像するとそれだけで胸がいっぱいです。

この状態のまま3600年以上も土の中で保存されていたなんて、奇跡としかいいようがない。

こちらも大人気、通称「縄文の考える人」。

是川遺跡の特徴は、漆製品がたくさん出土しているという点。
すでに縄文時代から美しい漆細工を扱う技術があったんですね。



漆細工の髪飾り。腕輪や土器、剣などにも漆細工が施されていました


想像するよりはるかに高い技術と文化を持っていたんだと思います。縄文なめたらアカン。


その後は新緑の奥入瀬渓流と十和田湖をドライブしながら、日景温泉へ。


たぶん一年で一番美しい時期・・・!マイナスイオンにあふれまくっていました。
駐車場があるスポットとないところがあるので、本当は渓流沿いを歩くのがオススメです!

ギリギリ秋田県、という県境にある一軒宿で、車から降りた途端に立ちこめる硫黄の香り。
早速無料の貸切露天風呂に入ってみると、白濁したお湯は温度もちょうどよく、真横の茂みでウグイスが「ホーホケキョ」と歓迎してくれていました。

秋田杉に囲まれた、昭和初期のシブイ建物の中は吹き抜けのロビーや和洋室のお部屋など、どこもキレイでくつろげる空間です。3日いたら健康になりすぎるお宿


ラドンが含まれているおかげでとりわけ皮膚に効能があるらしく、アトピーが良くなりました、といった声もよく聞かれるのだそう。

山奥の旅館とは思えない(失礼)、驚くほど美味しい食事と温泉と感じのいい接客で幸せな気持ちになり、母とたくさん話をしながらその日は早めに休みました。

夕食の〆はごはんじゃなくて、比内鶏入りきりたんぽといぶりがっこ。器は秋田杉の曲げわっぱ。おもてなしが心憎い・・・!!山菜も含めて食べられない品がひとつもない、絶妙なやさしさの味付けばかりでした。お米は朝食であきたこまちを。


次の日はまず小牧野環状列石へ。ここは直径55メートルと国内最大の環状列石。


なんでも地元の高校生が、山の中にこれだけ大きな石がゴロゴロしていることに疑問を抱き、「昔の人が運んできたに違いない」と仮説を立ててボーリングを依頼した結果発見されたのだそう。

きっと冬至やら夏至やらいろんな自然現象を考慮して位置や方向を決めたのだろうと想像すると、意味を考察したくてたまらなくなります。
200年かけて石をせっせと運んだ、聖なる場所なんですよ。

縦・横の組み方は珍しく、小牧野式と言われているそう


近くを流れる荒川から、200年かけて運び込まれた石たち。運ぶことそのものが祭りだったんじゃないかと言われています


一方で、現代の高校生と違ってそんなに古い石に意味や価値があると知らず、江戸時代には馬の放牧地として活用され、亡くなった馬を弔うために中心石の一つに文字を彫っちゃったりしていて、嘉永7年の人のバカバカバカ!と思ったり(笑)


一通り環状列石を堪能したら、いよいよこの旅のハイライト、三内丸山遺跡へ。

何が凄いって、5900年ほど前に人が住み始めてから約1700年もの間、その集落が存続し続けたということ。

まだ稲作などが始まっていない時期なので、住み心地が悪ければ移住するはず。
よほど様々な条件がよかったのだろうなと想像します。
(なぜそれだけ住みやすい場所を手放してその地から離れたのかはまだわかっていません。噴火とか?)

約300人収容できる巨大な建物があったとか、
直径1メートルのクリの木を使った15メートルという巨大な高床の建物があった(なんと、柱の根元の部分が腐らずに当時のまま残っていました!ミラクル!!)とか、
とにかくスケールが大きいのが三内丸山遺跡の最大の特徴。

なにせ集落全体の広さが東京ドーム7個分といいますから。


300人収容できたという巨大な建物(再現)。今で言う日本武道館みたいな感じだったのかな?

それだけ広い場所に長い年月人が住んでいたので、土器などの出土品もハンパない量ですが、とりわけ見どころなのが通称「縄文のポシェット」と「縄文のパンツ」。

ポシェット、見てくださいよ。縄文時代前期、約5500年前にこんなオシャレなポシェットがもう作られていたんですよ!
しかも発見された時に中に入っていたのがくるみの殻が一つ。いや~ん、カワイイ。持ち主は、絶対女子!!!

5500年前の最先端ファッションアイテム

こういうデザインの財布、平成でも流行ってましたよね。。


そしてこちらが通称「縄文のパンツ」。パンツはいているようにしか見えないですよね。このエリアの土偶は板状土偶といって、平べったいのが特徴なのだそう。

縄文人はブリーフ派が多かったのかしら



出土した土器が所狭しと並べられていました


こんな調子で「これ、すごい!」「カッコいい~」「オシャレ~」「パンツ~」などとキャッキャ盛り上がっていたらあっという間に時間は過ぎ、予定していたお隣にある青森県立美術館には行けず。


欲張りで優柔不断なせいで詰め込みがちな私のプランニング。

今回もかなり慌ただしい旅行でしたが、青森の二日間は、すごいね、美味しいね、楽しいね、また行ってみたいねと興奮を共にできた、かけがえのない時間になりました。

次は亀ヶ岡遺跡や大平山元遺跡にも行きたい!そのまま海を渡って函館周辺の遺跡も巡りたい!
世界遺産の縄文群、コンプリートするにはあと2~3回は訪れる必要がありそうですが、お楽しみは続くということで。

結論:
青森は、国の宝だらけのまごうことなき聖地でした。

#わたしの旅行記

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