エリックゼミ特別講演-書家前田鎌利氏の魂の書はただ伝えたい気持ちが原点だった-

高校生の時、夏休みに出た習字の宿題。とにかく面倒くさく人に書いてもらったものを提出したらバレて赤点になった。習字といえば、そんな苦い思い出しかない。大人になり、色々な書家の方と知り合うことになったが、正直言って上手いのか下手なのかよくわからないく、何が凄いのか全く理解でなかった。そんな時、あるきっかけで、魂を揺さぶる書に出会った。この書家の作品に出会ったとき、書とは音楽や絵と同じアートなのだと感じた。文字という枠を超越して、魂に直接に訴えかけてくる力に圧倒され書の世界に魅せられるようになった。その書家こそが、今回エリックゼミで講義をしていただいた書家の前田鎌利氏(以下、前田書家)だ。

前田書家は、冒頭に”一座健立”という言葉を投げかけた。”一座健立”は、茶席において亭主が心を尽くしてもてなし、客が感動で満たされたときに生まれる特別な一体感のことを意味する。今回、一歩通行の講義ではなく、ゼミ全体で心が通い合い特別な一体感を書を通して感じてほしいという想いがこめられていた。

400万年前、我々の祖先である猿人アウストラロピテクスは、どんな想いを伝えたのだろう。おそらく、動物として生きること、常に生命の危機にさらされて想いを伝えるどこではなかっただろう。進化の過程で、愛を表現するようになり、身振り、そして文字が誕生し想いを伝える様々なツールが進化した。しかし、ある統計では現代に至っても9割の人が想いを伝えることが難しいと感じているという。前田書家は、伝えることに拘って生きてきた。”伝わる”ではなく、”伝える”ことが大事なのだと言う。

書の起源、最古の書は殷代の甲骨文字で紀元前14世紀ごろに遡る。甲骨文字は古代中国で行われた占いを、カメの甲羅やウシの肩甲骨の上に刻んだものである。占いは滅多に当たるものではなので、占いの結果を示した甲骨文字はほとんど残っていないらしい。ここで前田書家は重要なメッセージを話した。

“甲骨文字は、刻むことによって表現される。書は時を刻む、想いを刻むと同様に刻むものなのだと。だから私を筆を和紙に刻むという想いで筆に魂を込めている”

前田書家がなぜ書家の道を選んだのか。書を習い始めたのは5歳の時。当時は書道を純粋に楽しんでいたとう。しかし小学校六年生のときに両親から衝撃的な言葉を告げられた。両親はすでに亡くなっており、自分たちは本当の親ではないことを。その時、前田書家は心から育ててくれた両親に感謝したという。育ててくれた両親は、文盲、つまり読み書きが出来なかったために、苦労ばかりだった。そういう辛い思いを子供達にしてほしくないという一心で書道を習わせたのだと知った。そこから両親への感謝とともに書に真剣に向き合うようになった。それが前田書家の書家としてのルーツである。

前田書家は、いつも自分に問う。
一番伝えたい人は誰か?
一番伝えたいことは何か?
もちろん、誰でも伝えたいことはたくさんあるし、伝えたい人もたくさんいるはずだ。しかしここでは一番を考えることが重要なのだ。

ここで、筆ペンと小さな色紙が配られ、一番伝えたいことを一語で書きなさいと指示があった。今まで自分の伝えたいことを箇条書きにしたことはあったが、一語というのは初めての体験だった。様々な想いが頭をよぎった。大好きな人が次々と頭の中に現れ、皆微笑んでいた。そして私の中に浮かんだ一語は”優”だった。優しくしてくれた人たちへの感謝、優しくできなかったことへの後悔、そしてこれからも優しくしていきたいし、優しくされたい。皆が優しくし合える世界になればどんなに幸せだろう。グループに分かれ各々の想いを共有した。素晴らしい時間だった。一言で表現することで、より深く自分を見つめられた気がする。
自分の想いを共有し、お互いの共感がさらに深まった。同時に、こんな仲間と一緒にいられ

る幸せを実感していた。

興奮冷めやらない中、凄いことが起きた。前田書家がエリックゼミのために一語を書いてくれるというのだ。実は以前、僕のイメージで一語を書いてもらったことがあった。その時の一言は”Rock”!まさに、僕の人生を象徴する言葉を力強く描いてくれた。僕の宝物だ。エリックゼミの研究室にあるので、実物を見たい人は研究室に遊びにきて欲しい。見た人誰もが、Rockのパワーを感じるはずだ。

床に厳かに待ち侘びる和紙に、前田書家はあたかも和紙と筆と一体化したように自然に筆を走らせた。奇跡の時間を共有できたと感じた。そして、前田書家が書いた一語は”挑”。エリッゼミ、そして私自身、挑み続けることを価値あるものとして行動している。正直、心から感動したと同時に、前田書家がエリックゼミと向き合ってくれた感謝の想いがあふれた。”挑”が描かれたその時、それは奇跡の瞬間だった。

最後に、ゼミ生である岩清水さんが書とどう向き合ってきたかをプレゼンした。岩清水さんは高校二年生で楷書という書道の分野で、文部科学大臣賞、つまり日本一の名誉を手にした。岩清水さんは、小学生の頃から書とは師匠のお手本をいかに忠実に再現するかであると叩き込まれた。長年、手本主義に身を投じていた岩清水さんは、手本なしで書を書くことに恐怖を抱いていた。前田書家は、”書は刻むもの”だと言った。想いを伝えることを再定義することが重要だ。念いをつたえることのは難しいが、必要なのはテクニックやパッションだけではない。重要なのは、自分の表現方法をもつことだと言う。自分の想いを伝えるには自分のコンフォートゾーンとどう向き合うか、コンフォートゾーンからどう抜け出るかを考えなければならない。そのためには、まず自分の弱みをオープンにすることから始め、あらゆる情報のアンテナを貼ること、そして共感する仲間と対話するために何かコミュニティーに所属するべきである。そこで興味を持ち続け、チャレンジを継続することによって、自律的な成長へ繋がっていくのだ。岩清水さんは、この話に共感し、自分の表現を追い求めてみたいと語った。お手本がない世界を表現してみたい。岩清水さんの表情に自信が溢れているように感じた。帰宅後、お手本なしで書いてみたと連絡があり、そこには伸び伸びと表現された書が存在した。岩清水さんにとって、人生の転機になったのではないだろうか。

今回もゼミ生、そして私自身、今回の前田書家の講義から沢山のことを学んだ。一番伝えたい人、一番伝えたいことを明確にし、他人の意見に流されることなく自分の表現方法をもつこと。当たり前の事が、一番難しい。しかし常に伝えたいことがあり人がいるという人間関係を築くことが、これからの未来に必要だと感じた。

Peace out,

エリック

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