シノヘ歴⑨(芸歴1年目 上半期)
シノヘが課金してお笑いを学んでいたのは前回までで終了。
課金期間から付き放たれてプロ1年目のお話。
9-①.4月
NSCから解き放たれて、無事 吉本興業に所属。
小さいころから大好きだったお笑い芸人、「ようやくなったのか。。」くらいの実感はあるものの、突然ファンが家に押しかけてきたり、街で指をさされるようになったりはしない。
なんなら1年目の初めはタレントマスタへの登録にも時間がかかり、自分が本当に吉本の芸人になれたかどうかすら怪しいものであった。
特にこの4月は、何か仕事もライブもあるわけではなく、山盛りのSNS登録依頼を送信すること以外に吉本とコンタクトをとることもなかった。
唯一期待に胸が満ち溢れたのが、劇場所属をかけるオーディションライブ「UP TO YOU」のエントリーメールが飛んできたこと。
こちらは毎月恒例ではあるのだが、月半ばに翌月のエントリーメールが飛んできて、急いで回答した者から早いもの順でエントリー処理されていくのだ。
とくに1年目の芸人からすると初アッピュー(アップトゥーユーをキュッとした呼び名)は、まだキラキラした目の芸人のスタートダッシュエントリーにて少し遅れると漏れるという特徴があるようだ。
旧コンビではエントリーも僕が担当していたので、飛んできたメールを0秒で処理。もちろんエントリーはできた。
初月で通過しちゃったらどうしようなんて考え期待に満ち溢れた、なんとも春っぽい4月を過ごした。
MEKKEMONなんてワクワクネタ見せライブもエントリーしていた。
祇園花月でビラ配りなんかもして、なんとなく下積みっぽさも経験した。
9-②.5月
上述した通り、5月は初のオーディションライブと初のネタ見せライブが控えていた。
やっぱりこの歳になっても「はじめて」というワードには興奮する。
はじめてのプロの舞台、はじめての置きチケ、はじめての大歓声、はじめてのスタンディングオベーション、はじめてのファン対応、はじめてのファン食い、はじめてのフライデー、はじめての記者会見、はじめての大炎上、はじめての事務所追放、はじめての独立、、、
初舞台からの壮絶ストーリーまでを見据えた。芸人って大変だなぁなんて思いながら挑む初舞台。
スマホを見てさかのぼると、2022年5月7日のUP TO YOU。
同期でいうと、171、いちじ、ラクサイ、モンジャなんかが一緒だった。
この日は初めての3分ネタ。
バイト先でのストレスがきっかけに生まれた「コールセンター」の漫才
出順は5番手、2つ前には171。
ZAZA ハウスでやるのは初めてだったので、久々にひどく緊張した。
手ごたえは別に無かった訳じゃなかったが、通ったなとは言い難い手ごたえ。
ライブのエンディングにて通過コンビが発表される。
解散されてしまったが43期のバッハの休日さん、39期のタレンチさん。
そりゃもうそうだっていうぐらいのウケ量で、非常に悔しかったのに納得してしまったのを覚えている。
1週間ほどで縁者に全体の結果が発表されるのだが、171と1点差で負けての5位だった。悔しかったなぁ。
また、翌週5/16にあったMEKKEMON
こちらは半分捨てネタで作ったというか出来てしまった「葬式」
昼ドラだったら、『あんたなんて生まなきゃよかった!』と言われてしまっているようなネタだ。
この日はお客さんが20人ほどだったのだが、ズルンズルンに滑ってしまった。なんなら演者のほとんどがミュルンミュルンに滑っており、「笑わないなら帰れ」と僕の中の山口被告が叫んでいた。
負けてもウケたら、お客さんには刺さっているのでまだ良いのだが、勝ち負けのないネタ見せ(寄席形式)のライブではそんなものは良い訳ない。
総括すると実質2敗してしまった5月だった。
9-③.6月
そんな僕だが、現時点では芸人として一番月収が高かったのがこの6月。
なんと4桁の大台を突破した(ビラ配りの月は除く)
舐めるのもいい加減にしてほしい、4桁て。中学生のお小遣いだ。
1日でも早く6桁・7桁・8桁を稼げるようになりたい。
当月はBSのTV番組の生出演、youtubeの配信番組の収録、選抜ライブ、showroom生配信番組のお仕事があった。
メディアのお仕事だ。メディア。ほんでTV。
僕はTVで育ったので、youtubeの配信番組は緊張しないが、たとえBSよしもと自社放送とはいえTVと言われると肩肘張りまくって緊張しまくってしまう。
地上波出演が決まった日にゃあ、失禁に次ぐ失禁で川が黄色く染まるだろう。
9-③-1.「芸人やるのも楽じゃない」収録
通称:芸楽、NSC時代にメッセンジャーあいはらさんの選抜授業に選ばれていた特権で出演させていただいた。
この回は、どんな収録だったかは覚えていないが、あいはら選抜のコンビ+数組が出演みたいな形だったと記憶している。
9-③-2.Cheeky’s cast 2
Cheeky’s cast 2とは、BSよしもとという放送局で行われていた番組で、僕たちNSC44期は非常に恵まれていたため、卒業後すぐから在学中に少し目立っていたコンビは毎週2組づつ順番に出演させていただいていた。
MCは藤崎マーケットさんで、そこの鮮魚芸人のコーナーに約半年間で40組ちょっとがお呼びいただいた。
9-③-3.久馬軍団が44期のネタを見るライブ
こちらはNSC時代にザ・プラン9のお~い!久馬先生の選抜に所属していた特権の毎年恒例のライブ。
ありがたいことに、軍艦の存在と、演者がチケ売りを頑張った結果、ZAZA HOUSEが満席でチケット完売となった。
当ライブは、久馬軍団(スーマラ武智さん、ギャロップ林さん、ヘッドライト町田さん、プラン9きょうくんさん)が、NSCを卒業したばかりのメンバーのネタにダメ出しをくださるというライブだ。
まずお客さんの前でダメ出しをされるなんてことは今後ないだろうし、なによりそのメンバーだ。
M-1を愛して止まない ”Mおじ ”ことスーパーマラドーナ武智さんを筆頭に、何度もネタで笑かされた憧れの方々が助言を下さる。
そして久馬先生が香盤を組んでくださったと聞いた出順は、なんとトップバッター。
出順自体は嬉しい訳もないのだが、トップでもなんとかなるだろと考えてくださったのだろうと思うと嬉しくて仕方なかった。
6月は他にもMEKKEMONがあったり、新居探しをしたりと濃い1ヶ月だった。
9-④.7月
7月もワクワクが詰まった1ヶ月だった。
2ヶ月に1度、隔月でエントリーできるUP TO YOUの出演月
この回は同期が七輪だけだった。
出順は2番、良いとは言えない出順。
またトップバッターのネタを袖で見ている限り、とにかく重そうな客席だなという印象だった。
この月も新ネタ「断られへん」
想定していたお客さんとは異なり、ツカミから手ごたえがあり、ネタ中もムラなく盛り上がり続けていた。
ただライブ全体を通して5組ほどウケ量が大きなコンビがおり、EDの結果発表では七輪とともに祈っていたのだが、2組とも肩を落とした。
メールで届いた全体の結果の予想はまんま的中し、万利休も七輪も5番以内だった。
1位通過したコンビが解散されて、3位だった方がサバステに進出したのも忘れられない。惜しい!みたいに思ったけど、3位以上と4位ではポイント的には大きく開いていた。めっちゃ負け。負けるのは悔しい。
また、この月にはシェアハウスを開始した。
春先から探し続けて、ようやく見つけた3LDK、10万2千円。
難波までチャリで5~7分。
南堀江の閑静なエリアの普通にキレイなマンションだ。
同居人は、ナックラーのゆうがと、野球の藤村悠吾。
ゆうごとは前に住んでいた鶴橋のマンションから一緒で、引っ越しもハイエースを借りてすべて自分たちで行った。
凄くワクワクして始まったシェアハウスだったが、僕があまりにも彼女の家に居ついているため、たまに帰るとレアイベントが発生したみたいなテンションで迎えられる。実質1部屋空いているので、悪くない奴で静かなやつならいつでもウェルカムだ。入居の面談をしよう。3人のうちの誰かに声をかけてほしい。たむらまろの悠真をスカウトするか?なんて声も上がっているくらい募集中である。
家賃は4人で割れば3万円ぽっきり(光熱費込み)
僕はリビングが快適なので、リビングの僕のソファは奪わない人であってほしい。
9-⑤.8月
8月といえば夏、夏といえば暑い、暑いといえば熱、熱といえばしんどい、しんどいといえばJKのノリ、JKのノリといえば明るい、明るいといえばお笑い、お笑いといえば漫才、漫才といえばM-1。
そうすなわち8月はM-1の季節。
演者もしくは余程のお笑いフリークでなければ、何を言っているM-1は冬だろうがと考えるかもしれないが、戦いは4か月間も続いているのである。
あの星の光が地球に届くのに数年かかるように、辛い恋愛の思い出で笑える日はすぐ来ないように、今漬けたたくあんの食べごろが来月であるように、M-1もまた時間差でやってきているのである。
万利休は正直1回戦を舐めくさっていた。
NSC時代に偶然ポンと受かったため、1回戦には落ちるわけがないと思いこみ、新ネタで賞レース予選に挑んでいた。
これはすごく愚かなことで、本来であれば1回戦なんて1晩手堅いネタでぶつかるくらいがちょうどいいのだ。
それを慢心とワクワク感という間違えた判断基準で挑んだ結果、やんわりスベって、普通に落ちた。
「愚かなり」だ。
何だったんだあの時間は。
2回戦でどの3分ネタをするか相談していた時間は、廊下でアマチュアやNSC生に見せつけていた”直前でネタ合わせをしないという変な余裕”は、袖でポケットに手を突っ込み前のコンビのネタを微笑んでみていた自分は。
一気に全部恥ずかしくなるとともに、めちゃくちゃ悔しくてスイッチを入れなおした。
幸いM-1は、再エントリーがあるので9月にかけようと気持ちを立て直した。
また8月中盤には、NSCの頃に1度出演させていただいたYES.fmのラフネクに出演させていただいた。
MCはマルセイユさんで、この回は「なんでなん?な話」
播磨ヱビスのくまもとさん、元ねぐせ若葉 はらだ、シノヘのラインナップ。僕だけ、薄味すぎるおじいちゃんの「なんでなん?」エピソードトークを披露させていただいた。
9-⑥.9月
9月はあろうことか2つの賞レース予選に落ちた。
1つはしゃべくり話芸大賞
予選をZazaポケッツで実施する大会。
初めての4分ネタ。長いよ。。初めて作った。
出番前にバッテリィズのエースさんにごあいさつすると、M-1予選前にマルハン新館の休憩所でご挨拶したことを覚えてくださっており、イニDで3万発越えをした自慢をかました。
賞レース予選前に先輩にやっていい行動ではない。反省。
さてネタはというと、2行目ぐらいで噛んで飛ばしかけてからは、もう何をボケてもウケない。審査員の商店街組合みたいなおじいちゃんは記憶が正しければウトウトしていた。そんなに耳心地いいか、我々の漫才は。
挙句の果てに4分ぴったりで時間を告げるベルを鳴らされるのだが、それと同時にありがとうございましたでピッタリ終了したことに対しての一言が忘れられない。
司会「時間ぴったり! 素晴らしい漫才ですね!」
漫才の素晴らしさって時間なん?
とりあえず結果発表を待たずして、落ちたことをその場で悟った。
そしてもう一つが、M-1予選のリベンジだ。
負けた身としてはありがたいが、なぜ1回戦が2回受けれるのか本当に意味が分からない。
1週間ほどかけて、ありネタの中から2択に絞り込む。
コント漫才の「電車で赤ちゃんをあやす」、対して正統派しゃべくり漫才の「もし超能力が1つ使えるなら」
2択まで絞り込んだものの、選びきれないまま当日を迎えた。
今年はシンプルなコント漫才が軒並み落ちているという情報を得ていた僕らの意見は割れ、涼太郎は超能力、僕は赤ちゃんで行こうと決めきれなかった。
朝から2本ともネタ合わせをするも2人の意見はまとまらず、じゃんけんにて涼太郎が勝利し超能力を選んだ。
9月のM-1予選は非常に難しく、客席に純粋にお笑いを見に来るお客さんはほぼいない。
いるのは演者と、作家と、作家もどきのお客さん。
笑いが返ってこないことは想定していたものの、変な感覚。
NSC時代からのありネタだったので、特に心配もなく終了。
ただ、気合が入りすぎてかかりすぎたなという感覚はあった。
結果は、、落選。
M-1グランプリ2022は、マンゲキはおろか、森ノ宮にたどり着くことなく心斎橋で幕を閉じた。
このままではダメだ、少ない舞台を大事にしつつ、もっとネタを作っておろして何かを掴まなくてはいけない。
負けてすぐに考え過ぎたくないのでパチンコに行くと2万発出た。
なんだこのシステム。
お笑いで失敗した日はパチンコ屋が慰めてくれる。
なるほど、それで芸人とパチンコはすごく仲がいいのか。納得。
とにかく負けてばっかりじゃどうしようもないので、動き出そうと決めたのもちょうど9月だった。
芸歴1年目の上半期を総括すると、分かってはいたことだけど苦戦。
ちなみに書いてないだけで、もっとイベントあるよ!
もう覚えてないけどいつだったかに衣装は新調したし、芸楽では計4回はすべったし、ちょっとづつ同期に誘ってもらってみんなとも仲良くなってきたし、初めてディズニーシーに行ってソアリンでちょっと泣いたりもした。応援してくれるファンの子も沢山できた。イェイ!
そういえばUPもあった。
「ギャルと一緒にしたいこと 2023 in summer」というトリッキーなAVタイトルみたいなネタ。
個人的にはシステマチックで面白いネタだったのだが反応はいまいち。
この月も同率5位とかだった。くっそぅ。
次回は芸歴1年目の10月~芸歴1年目の3月まで!
やっと追いつく!
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