『岩倉アリア』プレイ感想

身寄りがなく、子供という役割を与えられず、かといって大人という年齢でもない、社会的に切り離された壱子と、社会から物理的に切り離され、「岩倉アリア」としての人生を受容し続けるアリアの2人が、自身の人生の舵を取ろうとスタートラインに立つまでを描いた物語。
恋愛的な2人の関係性を描きながらも、壱子の成長過程や、そこからのアリアの背中を押す壱子の言動に何度も勇気を貰いました。

プレイ時間:15時間程度


システム

タイトル画面に戻ったり、ゲームを終了した時点でバッグログが破棄される仕様みたいなので、再開する際にバッグログから直前の会話や物語を読めないのは不便。おそらくバッグログジャンプ機能との兼ね合いでログを引き継げない仕様にしているんだろうけど、そうするのであればバッグログジャンプ機能はなくした方が良いと思った。
また、回収したイベントやエンディングを再読できるような機能がなく、ノベルゲームとして欲しい機能が全体的に足りていない印象を受けました。

サウンド

15時間程度で攻略できるゲームとは思えないほどにBGMは充実しています。ミュージックライブ内には27曲あったので、ミドルプライスのゲームとしては多い方だと思う。どのBGMも世界観に馴染むようなメロディで心地良くプレイできました。

文章

地の文が少なく、地の文多めの文章が好きな私にとっては読みづらかったです。また、圧倒的に会話文が多い分、物語の背景が読み取りづらく、人によっては最後まで読み進めたときにはっきりした解答が得られなくてモヤモヤさせられる気がする。

シナリオ

シナリオライター様の記事を拝見した限り、シスターフッドやロマンシスをテーマに描かれているとおっしゃっていたので、このような感想を述べてしまうことはあまり好ましいことではないかもしれないけれど、壱子からアリアに対する恋愛感情やアリアから壱子に対する特別な想いが細密に描かれており、理想的な女性同士の恋愛描写が読めて満足はしています。ただ、異性愛描写や百合的展開を裏切られるような物語の流れがどうしても受け入れられないという人には勧められない。また、物語全体として曖昧な表現が多く、全てのシナリオを読んだとしても物語の全貌が見えづらいので、公式から明確に解を得たいという人にもお勧めしません。

エンディング

真相に近いエンディングには文句なし。
上記以外であれば期待外れな部分が多かった。
本作の事前紹介で『「わたし」は誰と、どんな自分を生きるのだろう。』とあったので、「誰」に当てはまる部分が物語の進行によって大きく変わってくるのかと勘違いしていたけれど、実際は他のノベルゲームのように特定の選択肢を間違えたら一発でバッドエンドに向かうようなものが多く、エンディングの豊富さを過剰に表現されているので、告知通りに期待しない方がよいなと思った。


以降、ネタバレあり感想


物語構成

エンディング『RUN FURTHER RUN』を迎えた後に追加されるサイドエピソード『傷ついた天使』を読破時に辿り着けるエンディング『傷ついた天使』によって、物語本編の随所に散りばめられたエピソードを踏まえた上で壱子とアリアが実親子である可能性が示唆され、壱子とアリアの恋愛的な物語がひっくり返される物語構成には驚きました。

赤の他人として描かれる壱子とアリアの背中の黒子の位置が一致していたり、アリアの出産時期と壱子の出生時期が一致することを描写することで2人が実親子であるかのようなミスリードに誘いつつも、周が実子でないアリアと実親子であるかのように見せるために首の同じ箇所に黒子を施したり、同じ色をした目を自らに填めたというエピソードを描写することで、「もしかしたら赤の他人なのでは」と期待と惑いをプレイヤーに生じさている。
『傷ついた天使』でも描かれているのは「易しい恋の終わり」であり「恋の終わり」と表現しないことで、最後までどっちつかずのまま答えを開示しない。

『傷ついた天使』のエンディングを迎えることで壱子とアリアが実親子であることが確定するわけではなく、あくまで可能性を提示することで、プレイヤーの受け取り方の幅が広がり、本作を壱子の物語として受動的に受け入れるだけではなく、プレイヤー本人が主体的に物語に関わる導線を準備していることが素晴らしいなと思います。

『傷ついた天使』読破後は、アリアの言動が「いつかいなくなる私と深い関係になり過ぎないように壱子とのの関係性にブレーキをかけている」ようにも「実子の可能性がある壱子と恋愛関係にならないように深い接触を避けている」ようにも見え、1つの作品で2つの物語を読んだような面白さがあったと思います。

アリア

痛みを感じず、怪我の治癒が極端に早いというアリアの体質は、16年前の大事故で精神的に色々なものを失ったアリア自身の空虚な心そのものだと思うし、そんなアリアが、壱子が描いた絵や壱子との関わりから、彼女の凍り付いた時間や心が徐々に溶けていくような描写の数々が綺麗でした。16年間、外の世界を知らないまま、身体も16歳のままに永遠に続く時間を過ごすアリアにとっては未来というのは希望が持てるものではなかったにも関わらず、壱子と過ごす夏や秋を待ち遠しく想っており、そういう描写の中に岩倉ゑるとしての生き方を徐々に受け入れようとしているところが垣間見れた気がします。神の子として人に求められることで存在意義を守ってきた彼女が、自分の足で立って生きることを選んでくれてよかったなと思います。

壱子

生育環境から自己肯定感が低く、周囲の言動や評価を気にして他人の顔色を伺いながら生きてきた壱子もまた、アリアと同様に人生の行き先の決定権を誰かに委ねているように見えました。プレイヤーが壱子自身として物語を進めていく中で幾度となく壱子の生き方を選ぶことになりますが、その選択肢ひとつひとつに"壱子自身がどうしたいか"という想いが込められており、プレイヤーが自ら選択していくことで、壱子が人生の主役になろうとする過程をより強く感じられた気がしました。