『夢を確かめる』プレイ感想

面白過ぎて2週目をプレイしていたらいつの間にか9月下旬になってた。
本当は1週目攻略後に何かしら感想を書きたかったんですが、上手く言語化できずにさ迷いまくっていたら2週目のプレイに入っていましたね。
士戸先生の読ませる文章には圧巻でした。本当に何度読んでも飽きないですね。

1つの結末に辿りついているのか怪しいこの作品について、こういうあらすじで各ルートの話はこうで結末はどうだった、というような形式で書くことがあまりにも難しいので、この『夢を確かめる』の感想では私自身がプレイして感じたことをただに書き並べていきます。

以下感想です。

”選択しない”という選択肢を放棄することへの問題提起

選択肢が提示されたとき、自らの意思で選択しているつもりでも実際は他人から提供された物からしか選んでいないんですよね。
本作では「枠」であったり「柵」というような表現が度々出てきていましたが、この「枠」や「柵」というのは第三者が提供した、限定された選択肢の幅のことを表現しているような気がしました。
ノベルゲームでも同様に、私たちは限られた選択肢から正解だと思うものを選び、限られたエンディングのいずれかに辿り着きます。その道程の好きなタイミングにおいて物語にピリオドを打つことはいつだって可能であるのに、"選択肢を選択しない"という選択をせずに物語の結末を全て製作者に委ねてしまう、そんな受動的な受け取り方をする読み手への問題提起を感じました。

解釈は無限に存在する

枠の中から出るということは、”選択肢を選択しない”という選択をすることに限らず、物語の解釈においても同様のことが言えるのかもしれません。

「世の中にはたくさんのお話がありますよね。でも最後は恋愛の成就とか、宿敵の打倒とか、世界の一巡とか、パターンは色々ある中で、無事に「終」って区切られると、安心感が出てきます」
「エンドマークが無いまま放り出されるとモヤモヤしちゃうよね……。何でもいいから、とにかく「オチ」は付けてほしいっていうかさ。」

夢を確かめる/ ヤプシ街道 /2023年

これはおまけシナリオのとある会話シーンです。
分かりやすい結末があるとストレスなく物語を読み終えられますし、逆に終着地点が分かりにくい物語は意味が分からずモヤモヤとした感情が残ってしまいます。
ただ、このような「製作者から明確な解答が得られない」状態から微動だにしないということは「物語の解釈を製作者やシナリオライターに委ねる」ことに等しいなと感じました。
今子の講演において”芥川自身が何かしら抱いていた「感触」”に言及しているのは、プレイヤーにもこの「感触」を物語の上に残してほしいという主張の現れのようにも思えます。

また、物語終盤で「僕」は以下のように述べています。

僕が生きたあの日々を、文字と映像と音の羅列で再現できると思っているのか?たとえば、僕が彼女と手を繋いだ時の想い、それがこのゲームでは「うれしい」という4文字に変換され、感動的なBGMに誘導され、綺麗な映像に収束され、それきりで終わってしまう。所詮は、状態を大まかに表すだけだ。省かれ、削られ、砕かれた僕の原型を確かめることができるのは、結局僕しかいやしないのだ。

夢を確かめる/ ヤプシ街道 /2023年

主に喜ばしいことが起きたときに「うれしい」という言葉を使いますが、どれほど胸が高鳴ったのか、どれほど心が満ち足りたのか、「うれしい」という言葉だけでは表現しきれない想いがあります。
また、ノベルゲームに限らず、言葉で構成された物語において、物語を読む(インプットする)・解釈する(アウトプットする)という過程の中で、製作者が伝えたかったニュアンスが削ぎ落されたり、逆に読み手の新しい価値観が付け加えられることは往々にしてあります。

どんなことが起きたとしても物語の内容は決して変わりません。ですが、私たちが物語に介入することで、私たちの中で唯一無二の”オリジナル・ストーリー”が構築されますし、だからこそ「製作者からの明確な解答」の枠に嵌まろうせずにそれを大事にしろと言われたような気がしました。

「私」の感想

以前から、全く同じ物語・文章を読むという体験をしているのに人によって物語の受け取り方や感じ方が異なってくる現象にもどかしさを感じていたので、本作をプレイしたことで、製作者から与えられた”正解”に拘ってしまう呪縛から解かれたような気分にもなりましたし、私たち読み手1人1人の間に生じるノイズや、それが起因となっていたもどかしさとの向き合い方のヒントを得られた気分にもなりました。

また、ノベルゲームをプレイする際、私はよく攻略サイトを参考にしているのですが、攻略サイトの”正解”を見て他人の体験を辿っていることにも気付くことができました。たとえ初めて読む物語であったとしても、それは自らの意思で選んで迎えた結末でないこと、自分の意思で選ぶことの苦悩や葛藤もなしに読んだ物語には「私」という成分が含まれない無機質な何かであった(決して物語自身が無機質なものとは言っていません。そこには作者さんの私とはまた別の想いが込められていますから。)と思い返しては反省しています。

最後に

私個人の感想でも書いたように、私自身何か救われたような気分になったので、『夢を確かめる』をプレイして良かったと思っています。
おそらく人によっては「意味不明だ」と感じるかとも思いますが、「意味不明」の中からでも何か自分にとって特別な何かを見つけて欲しいです。