見出し画像

50歳 1年ぶりの日本

私は現在50歳です。この”note”にいろいろと書き綴ることで、自分の今までのことを振り返ったり、自分と向き合ったりしています。

1年ぶりに一時帰国しました。帰国の1ヶ月くらい前は「着いたらどんな気持ちだろう?」「買い物に行かなきゃ」「あの人にも連絡しよう」などとソワソワ落ち着かず。けれど直前になると「別に帰る必要ないかも」「何とか生活できているし、どうしても会いたい人もいないし、この国好きだし」と心境の変化が。そして、前夜に仕方なく荷造りを始めるという…。

実際のところ、日本に到着して飛行機を降りた瞬間から「ただの日常」でした。何の躊躇いもなく早足で歩き、電車をスイスイ乗り換え、窓の外を眺めるでもなく、感慨に浸るでもなく、スマホの画面を眺めながらただただ日常の移動をする自分にびっくりしました。1年ぶりだというのに、私の感受性は錆びついてしまったのか…と。

インターネット環境を常に持ち歩けるスマホの普及で、世界は広いようで狭い場所に変わりました。遠い異国の地にいても、Youtubeで見るのは日本にいた頃と同じチャンネル。Googleマップを使えば人に尋ねなくとも目的地に辿り着けるし、ネット検索すればたいていの問題は解決する。海を渡って久しぶりに帰ってきたのに、長距離を移動した実感もありません。「飛行機に乗り込みスマホで動画を楽しんで、次にドアが開いたら日本でした!」そんな感覚です。まるでドラえもんの世界。

友人たちにも会いました。けれど、ビデオ通話で時々話しているからか、久しぶり感はあまりなく、話題は相変わらず仕事の愚痴や子どもの話。「また来週ね!」と言いたくなるような、そんな感じ。ただ一つ違うのは、私にはもう家がなくて、大きなスーツケースを引きずりながら移動しているという点だけです。

今回のことで、改めて感じます。今や人間は、スマホの透明バリアに守られながら、どこにいても同じように自分の居場所を作ることができるのだと。気候、匂い、言語や文化など、国や場所が異なれば違うことだらけなのに、スマホ片手に、さらにイヤホンで音を遮断して、いつどこでも自分の世界に入り込むことができる。だからこそ、自分の世界を広げたければ、スマホの小さな画面の外に目を向けて、自分の足で透明バリアの外へ出なければならない。こういう感覚を味わえたのも、遠い異国の地で暮らすという機会を与えられたおかげだと思っています。ありがたいことです。

空港へ向かう途中、両親のお墓参りをすっかり忘れていたことに気づきました。次にいつ帰国できるかわからないから、お墓参りだけは…と思っていたはずなのに。
ま、それくらい「日常」な一時帰国だったということで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?