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ジェンダー差別の見つめ方|映画『ビリーブ』・『RBG 最強の85才』

2021年になってようやく、女性蔑視に関する問題が日本の真ん中で議論されるようになった。

きっかけをつくった政治家の発言はフォローしようもなくひどいものだったけれど、男性を含めた多くの人がこの事柄について考え議論したことに少しは意味があったように思う。

ジェンダーに関する差別や問題は女性蔑視に限らずいたるところに潜んでいて、油断しているとどこに憤りをぶつければいいかわからないような出来事が素知らぬ顔をして降りかかってくる現代だ。


“命は平等で尊いものだ”と小さい頃に教わったけれど、社会に出ると驚くほどに平等に扱われていない。「世の中とはそういうものだ」と飲み込んできたものが多すぎて、違和感を感じなくなっていることもきっと多くあるのだろう。

そんな理不尽な出来事があるたびに、私は彼女のことを思い出す。ルース・ベイダー・ギンズバーグ。彼女を描いた映画が2018年に2作、公開された。

不当な社会で私たちはいかに自分を信じ、どのようにふるまうべきか。RBGと呼ばれた判事は、ジェンダー差別を受けるすべての人に光を照らしている。

『ビリーブ 未来への大逆転』
(監督:ミミ・レダー、主演:フェリシティ・ジョーンズ/2018年)


『RBG 最強の85才』

(監督:ベッツィ・ウェスト、ジュリーコーエン、主演:ルース・ベイダー・ギンズバーグ/2018年)


自由とは何か。権利とは何か。

彼女は1933年ブルックリンで生まれた。友人たちからキキと呼ばれたその女性は、思慮深く人の悪口を言わない聡明な人だった。1993年に女性として二人目にアメリカ最高裁判事として指名された女性。そこから27年間に渡ってリベラル派の代表的な存在として性差別の撤廃などに影響力を持った。

彼女は母から教わった2つのことを大事にしていた。一つ目は、淑女であれ。怒りなど不毛な感情に流されるなということ。二つ目に、自立せよ。


日本でも女性活躍が掲げられてもう随分たつ。政界や企業で目標設定されるが、世界と比較しても明らかに道半ばな状態だろう。

「女性活躍を推奨している」といった主張に出会うとき、私は時々大きな違和感を覚える。その主張はこうだ。その席には30席あって、女性の席がたった9席なのに、女性活躍を実現しているでしょ、と。

(世界には男女以外の性があるので、この比較さえ少し強引なのだけど)世界の人口の男女比を比べてみると、約半々と統計上言われている。人口は半々だけど、席はそもそも半々ですらないし、その席も埋まっていない。

もし逆ならどうだろうか。その席には30席あって、男性の席がたった9席しかないとしたら。そのことに違和感は感じないだろうか。

いまある問題というのはそういうことだ。逆になったら「なぜ?」と思うことが、いま当然のようにそこに蔓延っている。

一方で席を用意しても、そこに座る女性はおそらく少ない。その根本的な課題を解決しない限りはその席に女性は座らないのだろうと、実感を持って考えたりもする。

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男性ばかりの会議の中でポツンと女性が存在することの怖さ。あらゆる暗黙を飲み込み、率直に主張することの難しさ。同質に固められた中のマイノリティの窮屈さ。それを踏まえてまでも改革をしていくことの勇気。どれだけのものを背負ってそこに座っているのか、その場の誰にも共感されないことの心細さを抱えた女性に対して、男性のそれと同等にチャンスだと言えるのだろうか。


生きているうちに4人以上の女性が最高裁判事席に座る日が来ることを望みます。それも画一的でなく多様なタイプがいるといいですね。
(映画「RBG 最強の85才」より)

議論に勝つには怒鳴らないこと

映画「ビリーブ」でも特筆すべきトピックスとして描かれている彼女のシンボリックな裁判がある。

女性は夫に先立たれたとき社会保障を受けられるのに、妻に先立たれた男性(主夫)は社会保障を受けられない現実。ルースは弁護士時代に、この性差別を問題とし世の中の深刻さを男性判事たちに突きつけた。

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ラスト5分32秒にも及ぶ長いスピーチは、釘付け案件なので是非観て頂きたいけれど、男性たちが問題ともしない多くの女性が抱える問題を、いかに自分ごととして考えてもらうのか。それは感情的に怒り怒鳴るのではなく、問題が見えていない人にどう問題を提示するか。

彼女の戦略は、とても学ぶべき点が多い。感情的になってはいけない。そう淑女であれ、だ。

特別扱いは求めません。男性の皆さん、女性の足を踏みつけている、その足をどけてください。

(映画「RBG 最強の85才」より)

女性の共感をこれほどまでに言い当てる言葉が他にあっただろうか。足を踏んでいる男性は、そこに足があることも気づいていないのかもしれない。

権力的な発言は嫌というほど聞いてきた。それでも彼女は辛抱強く、判事たちにこう述べる。「一度にすべてが変わるとは思いません。一般的に社会における真の変化は一歩ずつ起こるものですから」と。

居場所があるということは、こんなにも生きやすい。

ルースの隣にはいつも夫のマーティンがいた。

映画「ビリーブ」では彼女を支えるアーミー・ハマーはこの上なく男前なのだけれど(本当に観て)、映画「RBG 最強の85才」で登場するマーティン本人はいつもユーモアがあって彼女の隣で周囲のみんなを笑顔にさせる人だった。


彼女の知性を最初に認めた男性。彼は社交的でユーモアがあり、ルースは引っ込み思案で真面目な人だったから、まるで正反対の性格だった。まっすぐに社会をよくしたいと願うルースをいつだって励まし、君なら出来ると誇らしげに語る。

そんな二人をみていると「居場所」の重要性を実感する。彼女が彼女らしく生きていくことをそのまま受け入れ、励ます。同じように彼ががんばるときは、献身的に夫を支える。二人はお互いに居場所をつくり、窮屈な時代の中で新しいあり方をつくっていく。

そして、ルースは教えてくれる。ジミー・カーターが大統領になったとき連邦裁判をみて彼が言ったこと。「私に似た人ばかりだね。これは偉大な国の姿ではない」と。

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ルースのような女性と、そんな女性を認める男性たちがこの世界を変えてきたのだ。そしてまだまだ道なかばだ。

多様であることがなぜ重要なのか。今一度考えてみたい。

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