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「アケマシテオメデトーゴザイマッス!」日本一の子ども病院にいた11年前の年越しのこと(後編)


前編を読んで待っていてくださった方、お待たせしました。
11年前、子ども病院の病室でお隣さんだった「ミックスベイビー」Mくんの、陽気なスリランカ人のパパによる衝撃的な年越しの後の、彼との話を綴りたいと思います。
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彼から受け取ったもの

当時、私が彼から受け取ったものは本当にたくさんあった。

「人工呼吸器を付けなければ、二歳までは生きられない難病」と娘の疾患の告知を受けた後、私には様々な不安や疑問がわき上がっていた。

人工呼吸器って一体何?
どうなってしまうの?
どうやって生きるってことなの?

隣に寝ている(ように見える)Mくんは、静かに静かに私に見せてくれた。24時間。

もちろん、いくらお隣さんとは言え、病室ではジロジロ観察してはいけない。私は泊まり込みで娘に付き添っていたから、折に触れて目に入る光景から少しずつ学んでいった。


・人工呼吸器という医療機器がどんなものか。
・気管切開とはどうなることか。
・生きていくためには、気管からの吸引が必要で、どのようにするのか。
・回路と呼ばれる空気を送るホースは、どのように管理するのか。
・人工呼吸器を付けても、夜間のケアは必要になること。 などなど

「人工呼吸器を付けて生きるとは」のリアルな初級編を、私は彼からじっくり教わった。それは決して楽な道ではないこともよく分かった。

けれど、娘もやってみるよ、と思えた。

Mくんがとてもがんばって生きているから。
機械に生かされているようでも、彼の命は確かにそこで毎日生きていると思えたから。

人工呼吸器の風が口から少し漏れて、寝息みたいに声が出たり、モニターに出る脈拍数が変化したり。

毎日お母さんが来て、抱きしめてキスをして、ケアをして、とっても愛されていたから。


ごめんね、私ね、今まで「息ができない人」にちゃんと会ったことがなかったの。息ができないのは死ぬってことだと思ってたの。

Mくん、私の世界を広げてくれて、ありがと。娘に人工呼吸器を付ける手術をして、生かすことにします。命、リニューアルするね。


Mくんの退院と命の灯火

その後、娘の手術は無事に終わり、人工呼吸器と共に生きる病院生活が始まった。次は自宅に帰るための準備と、私たち家族のケアのトレーニングだ。

その頃は病室が変わって、お隣のベッドもMくんではなくなっていた。お隣さんの頃は、もうMくんの命の灯火が消えてしまうんじゃないかと思う状態の時もあったけど、少しだけ安定してきたようで、今のうちに自宅に帰ろうということになり、Mくんは一足先に退院していった。NICUからずっと病院だったから、初めてのお家だ。私は退院を心からお祝いし、病棟から見送った。

それからは、自宅と病院を行ったり来たりしながら、彼の命は育まれて、一歳の誕生日を自宅でお祝いしたよ♪とお母さんが嬉しそうに写真を見せてくれた。陽気なスリランカ人のパパは、相変わらず満面の笑顔で写っていた。

私たち家族も退院して在宅生活が始まり、ドタバタと大変で幸せな日々を過ごしていた。

一年ほど経って、桜が満開の頃に、彼の命の灯火はついに消えてしまった。二歳の誕生日は迎えられなかった。

彼にお別れをしにいかなければ。


当時は一人で娘を連れて車で行く力も経験もなく、私ひとり出かけるには、看護師さんに留守番をひと月前から相談してようやくという状況だった。
よく覚えていないけど、看護師さんに頼み込んで何とか二時間半の時間を作れて、ペーパードライバー講習を終えたばかりのへなちょこ運転で、彼の自宅まで会いに行った。

前の晩、泣きながら作った「Mくんがんばったね!金メダル」を持って。

小さなベッドに彼は寝ていて、医療器具を何も付けてない彼は初めてだった。

体温維持が難しくて、すぐ34度以下になるから、夏でも湯タンポやら温熱器で温められていたのに。この日は、アイスノンで冷え冷えにされていた。温められたり、冷やされたり。

彼の胸に金メダルを置いて、彼の命を讃えたかった。

図工2のおばさんの下手な厚紙の工作でごめんね。小さな体でがんばり続けたMくんは凄いよ!Mくんがいたから、私たち前に進めたよ。この命で生ききるよ。見守っててね。


おばあちゃんのチャイの味

Mくんは、二歳の誕生日は迎えられなかったけど、スリランカに住むおばあちゃんとの対面は果たしてから旅立った。

人工呼吸器を使う孫との初めての対面とお別れが、異国の地で一緒にやって来るなんて…
その気持ちは私には想像しきれない。

おばあちゃんは、弔問客の私に、本場スリランカのチャイを入れてくれた。美味しくて切なくて心に沁みる、あんなチャイは、後にも先にも飲んだことがない。私はあの味を一生忘れないと思う。


私たちの新年度

彼と娘は同い年だから、ずっと一緒に成長して見守ってくれている気がしている。
小学生になった時も。
前例のない無謀な冒険が何とかなってきたのは、目に見えないいろんな力のおかげかもしれない。

彼が天に還ったのは、10年前の今日。
だから毎年、私たちの新年度は4月2日と思っている。また一年この命を楽しもうと気合いを入れる。

Mくん、もう六年生だよ。
また一年よろしくね。
空より高く、心をこめて。


長い後編を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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