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“疲れる万人受け”、一度、“諦めてみませんか?”あなたのことを、“見てくれている人の存在”を、“信じてあげて。”

皆さん、こんばんは!えりです。
 
本日も、当記事をご覧いただき、ありがとうございます👐 
 
noteにて、“自分を発信する”という活動を開始してから、私の中で、“小さな変化”が起こり始めました。
 
変化というのは、“内面的な部分”でのことなのですが。
 
それは、どういったものかというと…。
 
「“他人からの評価”が、あまり“気にならなくなってきている。”」
 
こんな“感覚”が、“目覚め始めた”のです。
 
この“感覚”というのは、自分にとっては、ある意味、“未知の感覚”。
 
当初は、この“新しい自分との出会い”に、“戸惑い”もありました。
 
どことなく“尻こそばい”ような、“そわそわ落ち着かない”部分もあります。
 
以前と比べ、「集団の中で感じる“所在の無さ”や、“強烈な孤独”が、徐々に徐々に、その“姿を消し始めてきている”。」
 
「この“事実”だけは、“確信をもって言える”こと。」
 
そう思います。
 
これまでの私は、「人から、“良く思われたい”。“好かれたい”。」という思いから、長らく、“違う自分を演じてきました”。
 
常に、“周りの様子を伺って”は、“風見鶏”のように、「多くの人に“受け入れらるであろうキャラクター”」を、目指すことに“躍起になっていた”のです。
 
いわゆる、「“クラスのアイドル”」みたいな存在。
 
今、振り返ってみると、そんなものに“執着していた”のだと思います。
 
こうして、ある意味、“心を閉ざし”、“本来の自分を押し殺していた”わけですから…。
 
「心から、“素直に、その場を楽しめている”。」という経験が、ほとんどありませんでした。
 
いつも、心に、“ぽっかりと大きな穴”が空いていて…。
 
「“誰とも、繋がれていない”。」
 
「“言葉が、すり抜けていく”。」
 
このような“虚しさ”が、常に、“私の心を占めていました”。
 
こうした、“本物の繋がり”を求めてしまうのは、“幼稚なこと”なのかもしれませんが、私にとっては、そんな“心の拠りどころになるような存在”が必要でした。
 
そんな中、私は、ひとつ、ある“小さな決断”をしました。
 
それは、「多くの人が、憧れるのであろう“王道を諦める”。」ということ。
 
覚悟というよりは、“ひとつの選択”のようなものですね。
 
ですので、このnoteにおいても、なるべく、「“カッコつけず”、“等身大の姿”を、皆さんにお見せしたい!」
 
それを“モットー”に、発信をさせていただいております。
 
そうすると、自然と、自分と“似た経験や感覚”、“価値観”をお持ちの方に、気づいていただけるようになりました。
 
そうです。「これが、私が、これまで、“ずっと求めていた繋がり”だったのだなぁ。」
 
と、“皆さんのおかげ”で、しみじみと“実感している”今日この頃です。
 
少しずつ、“同じみのお顔”を“お見かけする機会も増え”、嬉しい限りです。
 
これからも、「“一つひとつの出会いに感謝し、大切に”。」
 
活動を続けて参りますので、皆さん、どうか、温かい目でお見守りいただけたらと思います。
 
さてさて、本日も、ちょっとした“小話”から🌼 
 
皆さんは、「“ふとした瞬間”に、“人目が気になる”こと」は、ございませんか?
 
「特に、“集団の中にいるとき”。」
 
「“周囲と違う立場に置かれたとき”。」
 
「“人と異なる道を選択するとき”。」
 
何となく漂う“アウェイ感”。
 
このような“雰囲気”に、覚えがおありの方が、いらっしゃいましたら、“お仲間”ですね。
 
私も、この「まるで、自分が“透明人間”になってしまったかのような、“身寄りの無さ”。」
 
「自分の“ハマれる穴を見つけることの困難さ”。」
 
「どこかに、“収まるだけの小さな穴”があるのなら、“身をすっぽりと潜めてしまいたくなる”。」
 
そのくらいの“居心地の悪さ”を、“幾度となく経験”してきました。
 
例えば、「“街中を、一人で歩いているとき”。」
 
「“一人でカフェに入るとき”。」
 
こうした場面では、常に、“周りの視線を気にしていました”。
 
「あの人、“一人”だ。“友だち”や、“パートナー”は、いないのかな?“寂しい人”…。」
 
こんな“無言のささやき”が、頭の中で、“何度も、こだまする”のです。
 
今、冷静になって、振り返ると、そんなことは、ただの“被害妄想”にすぎないのですが💦
 
当時の私の頭の中は、完全に、“四面楚歌”な状態。
 
いつ、どこから、飛んでくるやら、“予測不可能な矢”に、只々、“怯える”日々でした。
 
常に、“自分の身を守ること”しか、考えられませんでした。
 
そんな毎日の中、“一筋の光”が差し込み始めました。

それは、「“自分にとってのホーム”」を見つけたことです。
 
「“カッコ悪い姿”や、ちょっと“恥ずかしいようなこと”を、見せてもいい。」
 
そんな場所。
 
“心のホーム”を見つけてからは、これまで、“突き刺さる”ように感じていた“他人の視線”も、“よそ者感”も、徐々に、“和らいでいきました”。
 
「“今は、一人かもしれない”。“本当に、独りなわけではない”。“帰る場所はある”。」
 
そう思うと、「これも、“一時的”なもの。まあ、貴重な“人間観察の機会”よね👀」
 
と、“未知の世界への好奇心”のほうへと、“意識を集中”させていくことで、“息苦しさ”から、“解放”されつつあります。
 
とは言え、まだまだ、“道半ば”ではありますが、以前よりも、ずいぶんと“楽になった”気がしております。
 
さて、小話は、この辺りといたしましょうか。
 
ここまで、お付き合いくださり、ありがとうございます🍀 
 
それでは、ここからは、“本日のメインテーマ”へと、参りましょう~!
 


「“伝わる人にだけ、伝わったら”、それでいいじゃない!“私は、私のベストを尽くした”のだから。」~“挫折”から学んだ“開き直り精神”について~

皆さんは、“組織に属する”とき、「自分は、“誰からも必要とされていない”。“ここにいなくてもよい存在”。“なぜ、ここにいるのだろう?”」
 
このような感覚。「“虚無感”。“宙に漂う感じ”。」
 
“逃げ出したくなるほど”の“目に見えない圧”に、“襲われた経験”をお持ちでしょうか?
 
もし、こうした症状で、毎日、“息苦しさ”を感じておられる方は、“どうかご安心ください”。
 
“かくいう私も”、つい“最近まで”、この真っ黒な“海の底で、泡を吹いていた”のですから。
 
今は、“陽光が差し込む水面”を目指して、“1mずつ1mずつ”、“浮き上がっている最中”です。
 
それでも、“地表に顔を出す”には、私には、“少々眩すぎます”。
 
まだまだ、“泳ぎ方”を“覚え始めたばかり”で、水面は“ほど遠い”ですが💦 
 
これまで、「ただ、“冷たく重たく感じていた海水”に、“僅かばかりの温もり”を感じる。」
 
「ときたま、見え隠れする“ちらりと輝く水面”に、“心躍らせながら”、“穏やかな浮き沈み”を楽しんでいる。」
 
そんな今日この頃です。
 
では、ここからは、私が、“集団の中”で、“目に見えない圧”により、“苦しんでいた頃の経験”、そして、そこから、“現在に至るまでの過程で得た気づき”について、皆さんに、“シェア”させてください。
 
私は、現在、昨年夏から、“うつ病”からの“社会復帰”に向け、利用中の“就労移行支援事業所への通所”を、“1か月ほどお休み”しております。
 
そして、その原因というのが、先程、皆さんにお話しさせていただいた“集団の中”で感じる“身の置き場の無さ”からくる“強い不安”や、“戸惑い”でした。
 
“就労移行支援”の利用を“決意した当初”、私の中には、「“自分を変えたい!”」という“強い意志”がありました。
 
「“コミュニケーション”に対する“苦手意識”を、“克服”し、“人と上手く関われる”ようになるんだ!」
 
と、“意気込んでいた”のです。
 
そんな“輝かしい決意”のもと、自分の“お手本となる利用者さん”を、何人か見つけ、その方々の“立ち居振る舞い”を徹底的に“観察”し、“真似”してみたのです。
 
「この人の“声かけ”、素敵だな。この人の“気配り見習いたいな”。この人がいたら“安心する”な。」etc.
 
あくまで、“私視点での選定”なのですが 笑
 
とにかく、まずは、“我武者羅”に、“完コピ”をしてみたのです。
 
ですが、あるとき、“ふと気づいた”のです。
 
その方々と、自分との“コミュニケーションのスタイルの違い”に。
 
そして、“愕然”としました。
 
“憧れる利用者さん”たちと、“私”の間には、“並大抵の努力”では“超えられない高い壁”が存在していたのでした。
 
その利用者さんたちは、「“人と関わること”で、自分の“エネルギーをチャージ”している。」
 
そのように、感じられたのです。
 
そもそも、“人と接することが好きで得意”なのでしょう。
 
だから、「“人と会話する際”も、“辛そうではない”し、寧ろ、“凄く楽しそう”。」
 
そのせいか、“声かけのタイミング”も、“絶妙”だし、“距離感のとりかたも上手”。
 
それに、いつも、どこか“余裕”があって、とにかく、“自然体”なのです。
 
それに対し、私はどうでしょう?
 
「“人のことは、割と好き”なほうで、“ヒューマンウォッチング”しがち。“好奇心は旺盛”。」
 
しかし、「“人と関わること”は、好きか嫌いかで言うと、“正直、好きではない”し、かなり“苦手”。」
 
「“誰かと一緒にいるとき”、“安心感に包まれたり”、“心踊る瞬間”も、勿論ある。」
 
「“苦痛”や、“疲労”、“ストレス”など、“抵抗感”が付きまとうこと」も、また、否めません。
 
そのため、“距離感を上手く掴めなかったり”、気を遣いすぎて、“挙動不審”になってしまったり。
 
“過剰適応”になり、「“心から、その場を楽しめない”。“義務感から、行動”してしまう。」
 
“こんな調子”なわけですから、“同じ土俵に上がろう”なんて、“無謀な話”ですよね。
 
私は、このある意味、“残酷な事実”に“直面したおかげ”で、“新たな大切な視点”を得られました。
 
それは、「“無理に”、“王道を追わなくても”、ちゃんと“響く人には、響いている”。」ということ。
 
つまり、「“誰からも、愛される人気者”を“目指す”のは、“もう止めにしませんか?”」という話。
 
そもそも、“全ての人から、愛される人”など、“この世には存在しません”。
 
例え、そのように、見えていたとしても、“実は”、その人のことを、“苦手と感じる人”も、“一定数は存在する”のです。
 
「自分に“ない要素”を、“本来の姿を捻じ曲げて”まで、“足す必要はない”のではないかしら?」と、私は思うのです。
 
勿論、人間が“成長”していくためには、「“変わりたい!”」この気持ちは、とても“大切”です。
 
それが、もし、“心を蝕んでいる”のならば、「“無理に、変わろうとしなくてもいいんじゃないかな?”いい意味で、“あなたのままで充分”。」
 
そう思います。
 
こうして、「自分の“内向的である”という“性質”を、“自分自身で認め”、“許すこと”。」
 
そして、そんな“不器用な自分のままで”、“人と繋がっていく術”。
 
「“自分流のスタイル”を探っていこう🌱」
 
というように、“思考の切り替え”を意識し始めてから、“少しだけ”、“生きるのが楽”になったのを、“肌で感じて”おりますよ。
 
こうした“私の経験”から、“皆さんに、お伝えしたいこと”があります。
 
「“どの集団の中にも”、あなたのことを“よく思わない人もいれば”、逆に、あなたのことを、“物凄く好きな人もいる”のです。」
 
「“好きではなくとも”、必ず、“どこかで”、あなたの姿を、“見てくれている人が存在する”はず。」
 
“腐りそうになった”ときは、“少しでもよい”ので、“思い出してあげてください”。
 
「あなたのことを、“見守ってくれている人の存在”を。」
 
「只、“自分にできること”を、“自分の足取り”で、“淡々と進めて”参りましょう🐢」
 
「“その先に”、あなたの“道は、開かれる”。」
 
そう信じております。
 
ではでは、本日のお話も、この辺りで、お開きといたしましょう~!
 
皆さん、“GW”は、“どこかにお出かけ”されましたか?
 
ちょっとした“小旅行”は、“気分転換”にもなります。
 
“鬱的な気分のときこそ”、“玄関の外に出る”ことからでもよいので、「“外の空気に触れる”こと🍃」を、ぜひ、意識してみてほしいです。
 
先日から、また、“急な冷え込み”がやってきましたが、皆さん、どうか、“お身体は大切に”🍵 
 
それでは、また、次回、お会いしましょう~🌙 
 
 
 

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