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ね、いらっしゃい。でもそこに、席はあるかい?

八月十五日、土曜。終戦記念日。

日本が敗戦し、白旗を上げた日。しかし私達はその日を「終戦」記念日と呼ぶ。

似ているようで、全く異なるイメージを抱かせる。言葉は、事実を希望に持っていくことが出来るんだ。___________

冒頭から、講師の阿部さんの胸を突くような言葉で始まった『言葉の企画2020』第3回目の「名付けの力」

が、終わった。彼の言葉を借りるなら、「終わってしまった」という表現の方が正しいように思う。

言葉の企画とは

◾もっと、振りかぶって。

自分の名前の意味を紹介する。この企画課題が3回目にある意味。

オンラインで100人。全くのはじめましての時より、1回目では分からなった1人1人の輪郭が、少しだけうっすら現れてきた2回目を終えて。見る、聴く、選ぶ側の体制も違うから。そして、また少し仲間に踏み込んで挑むチーム戦へ向けて。全く流暢な展開だ。

そんな「待ち合わせの企画」の中、自己開示を恐れることなく届けてくれた人はやっぱり強かった。そして手元に残る、嘘ではないのにどこか他人事のような自分の企画。

◾相手の「席」はそこにあるか?

企画の中に、受け取り手が何かを考える余白を、向こう側の相手の「席」をちゃんと用意出来ている人が光って見えた。

飲食店で例えたら、店内に席がちゃんと用意されているお店と、テイクアウトのみのお店では、出来たてホカホカの料理を味わって食べるという趣旨において差が出るのは一目瞭然だ。

私の企画には、物理的な余白はあっても、立ち寄ってもらう相手の席を用意するという、当たり前とも言える動作が出来ていなかった。

つくづく、私は優しくない人間だなと感じる。冷酷人間だ、と言いたい訳ではない。むしろ、すぐ感情が伝線するほうだと思う。

ただ、関心の輪が狭く、薄い。文字にすると余計に冷たいし、ちっぽけな世界を生きている自分に絶望しそうになるので言いたくないけど。けれど、そんな世界をぐわっと広げたくて、危機感にも似た衝動で「ここ」にいるんだ。

みんながわいわいできる円卓や、ホッと一息つけるような座り心地の良い席作りを目指して。


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