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ウェイリー版「源氏物語」の沼にはまる

2024年のNHK大河ドラマは「源氏物語」の紫式部が主役なんですよね。楽しみー!

いまから2年前の春、私はずぶずぶにはまっていました。源氏物語の沼に。

きっかけは仕事のご縁で、100年前にアーサー・ウェイリーが英語に訳した源氏物語の日本語訳を読んだこと。

ちょっとややこしいですが、

1000年前に紫式部が書いた源氏物語を、
100年前にイギリス人のウェイリーが英語に訳し、
そのウェイリー版を日本語に訳し戻した

を読んだのです。

ウェイリーの訳は100年前のイギリスの読者が読んでイメージできるように少しだけアレンジされていて、たとえば「裳着」は「スカートの儀式」と訳されていたりします。

すると不思議なことに、オリジナルとはちょっと違う、もうひとつの世界が立ち上がってくるんです。それを柔らかく流れるような日本語訳で見せてくれたのがこの本でした。

A・ウェイリー版 源氏物語毬矢まりえ、森山恵 訳(左右社 刊)

装画をクリムトの絵にするセンスにしびれました
装幀は松田行正さん+杉本聖士さん
(松田さんには仕事でお世話になったことがあるので呼び捨てできない)

一冊およそ700ページで4巻もあるのですが、あれよあれよという間に読み切ってしまいました。

源氏沼についてfacebookで力説したものの、当時わたしはnoteを始めておらず、しかしfacebookでは写真ひとつひとつのキャプションまで読んでもらうのは難しく、かといって本文に全部書くと暑苦しい。

せっかく熱弁したのになあ……
そうだ、オリジナル投稿をアレンジしてここにアップしよう。リンクも貼れるし、写真のキャプションもつけられる。note万歳!


パラレル宇宙から地続きの世界へ

私と源氏物語の出会いは大学生のとき。田辺聖子の『新源氏物語』を文庫本がぼろぼろになるまで愛読していました。でも、あれを「沼」というのはちょっと違う。

田辺源氏のようなオリジナルの古文→現代語の訳だと、自分との差異(時代や階級、暮らしぶり、価値観の違い)が目につきます。まるでパラレルワールドで繰り広げられるおとぎ話のようで、私にとってはむしろ、それを楽しむ体験でした。

一方で、オリジナル→英訳(ウェイリー)→戻し訳(毬矢・森山)では、登場人物がみな、自分と地続きの世界を生きている生身の人間のように感じられる(光源氏は例外)。古今東西、誰の心にもある強がりとか不安とかに目がいくんですよね。

そうなるとまんまと感情移入してしまうので、その人物がどうなるのか、続きが気になる。源氏物語が書かれていた当時、まるで漫画連載のように次巻を心待ちにしていた宮中の女房たちの気持ちがわかります。

そうか! 「更衣」って、帝のワードローブ担当の人のことか。 英訳されたものを日本語のカナとルビで読むことで、私は初めて、平安宮廷の世界が頭の中でリアルに描けるようになりました。それまでは、私にとって「更衣」は単なる専門用語で、意味を考えることがなかった。
とことん雅なんだけど、なんというかハーレクイン小説っぽさもあって、読みやめられません
広げると長辺1メートルぐらいになるんじゃないかという人物関係図。これがすこぶるありがたい。光源氏が生きている間に帝が3代も替わるし、登場人物の引退や昇進につれて役職(呼び名)も変わるし、親子といっても兄弟姉妹ほどの年齢差だったりして、世代すらわからなくなりがちなんだけど、この図があれば大丈夫。ストーリーのおさらいにもなる
表紙がまたとろけるほど素敵なのです。この少女は……
紫の君!
「紫式部」の「ム」。
1000年前の著者も、わたしのような現代の著者も同じ土俵で分類されるんだわ…と感慨深く眺めた図書館の背ラベル

しかし、どうですかこの迫力。一巻の厚さ53ミリ。685ページ。まさか自分が一巻読み切るとは思ってもみなかったのだけど、図書館でパラパラめくったらもう罠にかかったも同然でした。

ただ、もともと源氏物語は一章(一帖)完結に近い構成なので、毎日2~3章ずつ、連続ドラマのように無理なく楽しめるんですよね。

そして漫画連載や連続ドラマと同じく、源氏がみまかったときは(正直に告白すると、みまかるちょっと前から)深いロスに陥り、その後数日間、空虚さを抱えきれずにぼんやり過ごしました。

全巻読み終えた瞬間も、「うそでしょ、ここで終わり?」という終わり方をするので、やはりそれから一週間近く、物語が終わったことが受け入れがたかった。いまも受け入れていないかもしれない。

源氏物語ロスをやわらげてくれた本たち

ぽっかり空いた穴をスピンオフで埋めるかのように、その後は「ビジュアルで見る源氏物語の世界」的な本やら関連書を手当たり次第に読み漁る日々に突入。何を読んでもしみじみ面白く、源氏物語の懐の深さを知りました。

絵本 源氏物語』と『源氏物語の雅び 平安京と王朝びと

ウェイリー版を読む前は、「裳着」や「几帳」という言葉にもなんとなくの視覚イメージしかなくて、それで十分満足していたのだけれど、読んでからは物語で重要な役割を果たす衣装や、建築・間取りや、帝の居所がどうなっているかが猛烈に気になってきて、図書館の司書さんの助けを借りてあれこれ読みあさりました。なかでも面白かったのが上の二冊。

ビジュアルで見られて面白いのと、その本ごとに各巻(帖)のあらすじが書かれていたり、ディテールが説明されていて、書き手によって解釈が微妙に違うのが面白かった。自分にとって納得のいく解釈もあり、いかない解釈もあり。

ビジュアルワイド 平安大事典
平安宮廷の生活をどうしてもビジュアルで知りたくなって、まず借りたのがこの本でした。
上の『ビジュアルワイド 平安大事典』から。私は「裳」がどのパーツのことかよくわかってなかったんですが、この本でようやく、「これか!」と。
絵本 源氏物語』より。葵祭で人が入り乱れ、光源氏の正妻の牛車を引く者たちに六条御息所が貶められる場面。

絵はもちろんのこと、あらすじ読んでるだけで楽しい。あらすじにも書いた人の個性が出るんですよね。物語を絵に表すのも「翻訳」、あらすじを書くのも「翻訳」ですな。

池澤夏樹編集「日本文学全集」のうちの一巻、角田光代訳『源氏物語』

せっかくだからこの機会に、と角田光代訳を読んでみたり、与謝野晶子訳を読んでみたり、『あさきゆめみし』(大和和紀)を読んでみたり。言うまでもなく、それぞれにそれぞれの源氏物語がある。それだけのバージョン違いを容れる、オリジナル源氏物語の器の大きさよ。

与謝野晶子訳は青空文庫でも読めます。わたしは、毎晩寝る前に一帖ずつ読んでいました。

笑う霊長類』(清水義範)と『女子大で「源氏物語」を読む』(木村朗子)

左の本は源氏沼で見つけた本ではなく、霊長類が出てくる小説というくくりで手にとったら、なんとモチーフが「ボノボ+光源氏」という偶然。たしかに……ボノボと光源氏を結びつけるというアイデアはアリだった。奇想天外な小説ながら、ボノボの生態は比較的正確に描写されていました。よく調べられたのだと思います。

右の本は、津田塾大学で教鞭をとる木村朗子さんが、国文学を専攻としているわけではない学生さんたちも対象にした講義で源氏物語を扱ったときのもの。「光源氏は紫の上をレイプしたのか?」にまつわる論争などなど、木村さんの解説はもちろん、学生の自由奔放なコメントも満載で、肩ひじ張らずに楽しめます。

これから読むつもりの2冊

源氏物語関連本はすでに山ほどあるし、来年にかけてさらにどんどん出ると思うのですが、わたしがこれから読みたい本は次の2冊。

百首でよむ「源氏物語」 木村朗子著

そうそう、和歌は原文のままだと読み飛ばしがち。まさにわたしのことです。

もう一冊はこちら。
『ミライの源氏物語』 山崎ナオコーラ著

第33回〔2023年度〕Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞!
ルッキズム、ロリコン、不倫。現代を生きる私たちは名作古典「源氏物語」をどう読めるかーー人気作家・山崎ナオコーラによる現代人のための「源氏物語」エッセイ

大河ドラマも楽しみ、この2冊も楽しみ。あとは来年、じっくり味わう心の余裕がありますように。年の神様、お願いします。

(おまけ)沼のきっかけと原点

そうそう、わたしが沼にはまるきっかけとなったお仕事は以下の小さな冊子を編集したことからでした。

東京学派と日本古典 ―源氏物語をめぐって―
(東京大学東洋文化研究所のシンポジウムをまとめたもの)

PDFが無料公開されています。どのお話も面白いのだけど、なかでも、訳者姉妹、毬矢まりえさんと森山恵さんのトークは必読。

田辺聖子の『新源氏物語』は学生時代、何度読んだかわかりません。忠実な「現代語訳」ではなく新解釈の小説という体なのだけど、原作と異なる物語が展開されているわけではないし、この扉から源氏物語の世界に入っても全然かまわないよね。



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