苦手な、友達

いつも通り年末になると、この1年を振り返る。「どんなことがあったかな」「あれはよかったなぁ」「私、頑張ってたなぁ」

あんなに昔のことのような気がするのに、
全部1年の間に起きたことだなんて信じられない。毎年そう思う。

ざっと振り返ってみたが、今年も私の記憶にあるほとんどが、友達との思い出だ。
いつの間にか、学校を卒業する年になった。
全然好きじゃなかった学校を好きになったのは、友達がいたから。

友達のおかげだと言いながら、その友達が
初めからすきだったわけではない。
どちらかというと、苦手なほうだった。


私は目つきが悪い。
そんなことから、初対面の人から声をかけてもらえるなんて、そうそうない。
それも慣れてしまえばノープロブレム。
自分から話しかけることが苦ではなくなった。
ありがとう、父譲りの目つき。
話してみたい人に近づいてみると、”目つきの悪い” 私は少し警戒される。
ただ、しゃべり出すと”普通”らしい。

これは私が話してみたい人と話す場合。

◆本題はここから

私は人間観察が好きで、パッと見での印象や誰かと話しているときの雰囲気で『こういう人なのかな?』というイメージをつけてしまう。悪い癖だ。
勝手に人のことを『こういう人』と決めてしまうから、話してみたい人にある程度偏りがある。
話してみたい人は ”話しかけやすい”。
自分から声をかけることに慣れたとはいっても、拒絶されることに慣れたのではない。さすがに「いやだなあ」という顔をされるのは傷つく。

数年前に気づいた発見なのだが、最初に
『なんとなくこの人苦手なタイプだ…』と思う相手ほどすきになる。
しかも特別すきになる。
この謎な現象をひたすら謎だと思っていた。

ところが、私の尊敬する先生も同じようなことを言っていた。
「苦手だった人ほど、仲良くなるんだよね。苦手だって思うのは、すでにその人に興味があるってこと。何とも思ってない人には無関心だから」
それを聞いて納得した。
『好きの反対は嫌いではなく、無関心』とはよく言うものだ。
なるほどなぁ〜!と、うんうんうなずいた。

謎な現象について解決済みだと思っていたが、もうひとつ見つけた。
怖いのだろう。私が『苦手』と仮どめしている人が本当に苦手な人であることが。
先生の言うように、『苦手』なのは興味がある人だから、その人が私の想像している人ではなかったとき、残念に思う。
興味のある人が本当に苦手だったとき、何かを失うような。

私の友達は苦手な人、だった。
だけど、その友達が私に話しかけてくれたり、ほかの友達が私たちをつなぐきっかけをくれたり。
そんなこんなで、私は苦手だった人を
「大好きな友達」と言える。


私がこの先も大切にしたい人は、こういう傾向にある。これは1人や2人の話ではない。
だから、『苦手だ』と思う人に会ったら興味があるんだと、近寄ってるみるのもいいかもしれない。

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