目的はワクワクしないから嫌いだ
2週間ほど前に
広島仲間&シンガーソングライター&旅する餃子屋NERU の嶋田湧さんから、「目的」と「目標」の違いについての話を聞いた。
2週間たって、
今またその話に気づきがあったのでそれについて整理してみる。
ちなみに見出し画像は餃子屋NERU の焼き餃子。
皮から手作りの出来たては味付けいらずでめちゃくちゃおいしかった。
辞書的意味
とりあえず広辞苑で調べてみた。
目的
①成し遂げようと目指す事柄。行為の目指すところ。意図している事柄。「―をとげる」
②〔哲〕意志によってその実現が欲求され、行為の目標として行為を規定し、方向づけるもの。
目標
目じるし。目的を達成するために設けた、めあて。的まと。「―を立てる」「努力―」
なるほどよくわからん。
チンパンジーとサルの違いは何?って聞かれてるくらいには分からない。
湧さんの説明の方が分かりやすいぞっ。
湧さんによると
「目標」には「標(しるべ)」という字が入っている。だから目指す先までの道のりがあるんだ。
「目的」には「的(まと)」という字が入っている。すなわち、達成したいゴールのこと。
なるほど。わかりやすい。
その時は、たまたまミュージカル俳優を目指す19歳の高木武治(たけ)と話していた。
だから例えとして、
『ミュージカル俳優になること』は目的じゃなくて目標。
たけにとっての目的は
『ミュージカルで世界中の人々に感動を与えること』じゃないかな?
と言っていた。
目的を考える時は、「~になる」みたいな終わりのあるものにしない方がいい。
終わりがあるものにすると、目的を達成した後に虚無に襲われる。
「プロ野球選手になりたい」といってプロ野球選手になった人は、
活躍し続けることができるのだろうか?
「経営者になりたい」といって経営者になった人は、
その会社を続けられるだろうか?
答えは否。
だから目的は、終わりの見えないものに設定した方がいい。
その上で目標を終わりある、道筋の見えるものにしたらいいのだと思う。
ここで生じる矛盾
上の話を聞いてから数日後、私にはある疑問が浮かんだ。
それは、
目的に設定したものは、本心では叶わないと思っているのではないか?
ということである。
たとえば目的を「戦争のない誰もが幸せな世界をつくる」にしたとしよう。
もちろん、設定した本人は全力で動くだろうし、その世界を作るためにまず「アメリカの大統領になる」なんて目標を掲げるかもしれない。
が、しかし。
ここで一度振り返ると、私は
だから目的は、終わりの見えないものに設定した方がいい。
と上で言っている。
終わりの見えない。
心のどこかで自分がそう考えてしまっている。
つまり、「戦争のない誰もが幸せな世界」はどこか叶わないことだと思っている。小馬鹿にしている。
叶うのであれば、その道筋は見えるはず。
そんな風に考えている自分がいることに気づいた。
自分の理念にしてもそう。
なんていうんだろう。
どうなるか分からない、予測つかないものに対してはすごくワクワクする。
でも、道筋のみえない、途方も暮れないようなゴールに対しては、ワクワクしない。
むしろ冷めてしまう。
目的をたてて、その目的を達成するために方針を立てる。
するとその目的は目標と化すのではないか?
だって道筋がみえてくるんだもの。
あれ?
目的ってなんだ?
整理しようと思って書き始めたのに、余計にわからなくなってしまった笑
私の気持ち
目的よりも目標がいいな。
私は多少はイバラであったとしても、安心できる道、進むべき方向が分かっている道を進みたいのかもしれない。
暗闇の中をさまよい続けるよりも、常に、どんなに小さくても光り続けているものの方向に進み続けたい。
「生きる目的はなんですか?」
「人はなんのために生きるんですか?」
なんて質問があるけど、
私の人生の目的はまだ決めていない。というよりも、この矛盾に気づいてから決められなくなってしまった。
だからいったん目的は置いといて、次は私の人生の目標について、考えてみようと思う。
最後まで読んでくれた方へ
だれかこの目的と目標について、思うことや考えていることがあれば共有してほしい!
コメントでも個人メッセでもTwitterでもなんでもいいから、このもやもやを晴れさせてください!
補足
『目的と手段を取り違えるな。』なんて話に近いかもしれないが、手段と目標は異なるし、目的と目標も異なる。
『目標と目的を混同するな。その上で目標と手段を取り違えるな。』
と私は言いたい。
あと本当はこのnoteで「エネルギーの方向性と目的・目標」について話したかった。また今度。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?