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おっぱい(授乳)の話

娘が生後5ヶ月を1週間ほど過ぎたある日、離乳食を開始した。
2ヶ月のときから、(起きていれば)大人がごはんを食べる時にバウンサーに乗ってもらうなどして食卓の輪に加わってもらっていた。わたしたちが食べるのをじっと見たり、お皿やカップなどに手を伸ばしてきたりと、興味は十分そうに見えた。はじめは裏ごしした10倍がゆをひと匙飲み込むところからのスタートだ。

母乳はいつまでも栄養満点というわけではなく、だから食べ物から栄養をとる必要があるんだということをわたしは分かっていなかった。特に5、6ヶ月のいわゆる「離乳初期」は、母乳以外の食べ物を飲み込むことに慣れるための準備期間だ。娘と一緒にいろんなものを食べるのはとても楽しみ。でも乳離れはさびしい、複雑な気持ちだ。

赤ちゃんを育てるにあたり、母乳なのか、育児用ミルクを使うのか、あるいは混合なのか、方針を立てることは最初のハードルかもしれない。母乳神話なるものや、母乳プレッシャーの存在は知っていたけど、神話は神話、プレッシャーは跳ねのけろの精神で、正解も間違いもないのだ、どちらでもよかった。
でも理想的には母乳かなと思っていた。おっぱいなら待ち時間なしでボロンと出せばいいだけだし、洗い物も出ない。そうは言っても、実際問題母乳が出ないかもしれない。そうだったときに落ち込む未来が想像できたので、あたまが凝り固まってしまわないように心掛けた。

本を読んだり、知識を入れたりもあえてしなかったのだが、少しは準備しておくべきだったかもなと思ったのは、あの、産後すぐの、真っ暗なトンネルの真ん中に放り込まれたような思いをしてからだ。
出産当日は、赤ちゃんは新生児室にいて、授乳の時間がくると、裂けた会陰や痛む腰を庇いながらノロノロと歩いていき、諸々の指導を受けた。ものすごく小さくてぐにゃんぐにゃんに柔らかい赤ちゃんにわたしは大いに戸惑いながらも、ひとりでに体が動く感覚があった。なんだか不思議だ。
「それくらいにしておきましょうか。母乳は赤ちゃんに吸われることで徐々に出るようになるので、まだ出なくてもおかしくないよ」と10mLのミルクが入った哺乳瓶を手渡された。これしか飲めないんだなぁと、すべてが新鮮。

翌朝からおっぱいと赤ちゃんとわたしの格闘がはじまった。小さな赤ちゃんの口は、うまく乳首に吸い付けない。そうこうしているうちに疲れてすぐに寝てしまう(のちに「眠り姫」とあだ名がつくほど)。
右のおっぱいを5〜10分吸ったら左に交代するのだが、何とか右が飲めたかなと思ったら寝入ってしまい、足の裏をくすぐろうが、つねろうが、何をしても起きてくれず、となると助産師さんが様子を見にきてくれるのを待つしかなかった。
日中は人手が多い分まだいい。夜中はスタッフも一人体制で忙しいと思い、なかなか助けを求められなかった。寝ていても哺乳瓶なら、唇に当てると反射で飲んでくれる。
「今晩も赤ちゃんあずかりますか?」
「ええと…お願いします…」

赤ちゃんのことは心底かわいくて、ずっと一緒にいたい。それなのに、睡眠を優先しようとしている自分に感じなくてもいい罪悪感を感じてしまう。すぐそこにいるのに、顔を見に行ったっていいのに、寂しさと不甲斐なさにベッドの中でしくしく泣いた。授乳のあと、赤ちゃんを残して泣きながら新生児室を後にしたりもした。

赤ちゃんがおっぱいを吸う刺激とマッサージとで徐々に母乳が出始めて、カップに溜められるようになってきた。相変わらず食欲よりも睡眠欲のほうが優先らしい赤ちゃん。おっぱいから直接飲むことが難しくても、初乳(産後すぐに分泌される母乳)の栄養はぜひ摂りたいものらしく、せっせと絞り出してはカップに溜め、それを哺乳瓶に移して飲ませた。
難なく授乳している人、はじめから粉ミルクをあげている人…いろんな人が周りにいるなか、わたしは多くても10mL、少なければ2mLしか搾れない母乳を泣きたいような気持ちで搾っていた。せっかくカップに溜めたものを、うっかりひっくり返し、こぼしてしまったこともあった。自分よりあとに来て、自分より先に戻っていく人の背中を何度見送ったことだろう。

新生児の胃はそれはそれは小さいらしい。消化にかかる時間によって、粉ミルクなら3時間おき、母乳なら2時間おきでの授乳が必要になる。ほかの人が20〜30分で授乳を終えるのに、わたしたちは1回の授乳に1時間はかかった。
「おつかれさまでした。次は◯時に来てください」と言われて白目をむいたことも数知れず、だった。

赤ちゃんの吸い付きの強さといったら乳首が傷つくほどで、乳頭保護用のクリームが存在し、病院ではピジョンの「リペアニプル」というものが常備されていた(このユーモラスなネーミングよ!)。ほかに有名なのはメデラ社の「ピュアレーン」なので、これから初めて授乳するよって人は何らか買って備えておくといいです。あと母乳パッドもね。

退院後も、放っておけばいくらでも寝てしまうのは相変わらずで、2、3時間おきに起こしては(といっても笑えないぐらい起きてくれない)格闘する状況が続き、はじめの頃は夫の横でポロポロと涙がこぼれたこともあった。「産後メンタル」とよく言うが、気が立ったり涙もろくなったりするのは身に覚えがある、ありすぎる。

退院指導では、母乳が軌道にのるまで粉ミルクを足したほうがいいかも、と言う助産師さんからのアドバイスがあった。やがて母乳が吹き出すほどになり、結局、せっかく母が買ってきてくれた粉ミルクは缶の半分以上が残ったまま賞味期限を切らしてしまった。
完母を目標にしている人は、あまり大きすぎる缶を買わずに様子を見た方がいいかもしれない。キューブタイプなどいろんな商品があるし、小分けなら賞味期限も気にせず、必要なとき必要なだけ調乳できるので。

8月上旬に新生児訪問で赤ちゃんの体重を測ってもらった。本当は退院後1週間〜10日後くらいに来てもらいたかったが、里帰り出産だったので、出生届を出した自治体と住んでいる自治体との連携が必要で時間がかかってしまった。
(目安を上回って)1日50gずつ増えていることがわかり、順調に育っていますよと言われたときはホッとした。

完母になってからも溜まった母乳を外に出すために搾乳が欠かせなかったり(結局、搾乳機と取り付けた哺乳瓶を洗うのが面倒だった)、授乳間隔が開きすぎてカチコチになったり、授乳の体制を試行錯誤したり、ゲップをさせるのに四苦八苦したり…なんだかんだ安定するまでに3ヶ月はかかったと思う。
赤ちゃんの吐き戻しは少なかったけど、添い乳をしてゲップをさせないまま一緒に寝てしまうと、起きたときに戻してしまいシーツを洗濯するハメになるなどの失敗は何度かあった。

今は、他人が卒乳エピソードを描いたマンガを読んで泣くほどには、来る卒乳が寂しくてたまらない。産後すぐのカンガルーケアを思い出す。赤ちゃんは、自分で乳首を探して口にふくむ。あの時の気持ちはどうやっても言葉に表すことができない。そこから始まったわたしと赤ちゃんの授乳ライフ。卒乳まで、1回1回を大事に過ごす。

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