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橘忠衛エッセイ集「火崑岡に炎ゆれば」②

さて昨日の続きです。

今日は4月1日、わたしが勤める会社にも新入社員の人たちが入ってきた。わたしは、新人にかけたい言葉はあんまり思い当たらないが、(文学部に入った)新大学1年生に伝えたいことならある。

それは色々な人がすでに言っていることだ。橘忠衛先生も「松の鉄材ー読書のすすめー」で言っている。

まずアルバイトは、それをやらないと学校へ行けない場合をのぞいて、やらないこと。

理由として、「読みたい本の読める時間は学校を出ると急速に縮小する。しかも読書は習慣的な訓練がないものにはだめなものなので、それのない人には、縮小された時間もよく聞くように<全く時間がない>のと同じになる」。
つまり、学生でいるあいだに本を読みまくれということ。学生のうちに読書の習慣がつけば、社会人になって読書に充てられる時間がグググンと減ったとしても、なんとか隙間を見つけたりして本を読み続けることは可能だ。これはわたし自身実感がある。
「施設や友人の好意もフルに善用するのはこの時である」とあるのは、図書館や友人同士での本の貸し借りもバンバンやりなさいということだ。わたしは暇さえあれば大学の図書館に通った。もっともっと図書館に入り浸ればよかった。

つぎに本屋へよく行くことだ。三越なら知っているが丸善は知らないとか、タカノは分かっているが紀伊国屋というのは何だとかという大学生は、ほんとうはここで一年くらい休学して<私は誰でしょう>ということを考えたほうが身のためである。

ここの橘先生節が好きである。「私は誰でしょう」という問いかけは大学生でなくても続けた方がいいのだろうなと思ったりもする。

それで、ここからが大事。橘先生は、日本の詳しい歴史を「絶対に読んでもらいたい」と言っている。そして世界の歴史を読む。ものごとを歴史の文脈で捉えて理解することの習慣づけを訴えている。コテンラジオリスナーのわたしには、この部分が身にしみる。

この後は、読書の実際的な説明が続く。でも、大事なのはおそらく、「歴史を学ぶのがいっさいの基礎」との言葉だ。これを英文学者である橘先生が言っている。

続きはまた明日!

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