見出し画像

前野健太というシンガーをまだ知らないあなたへ

…というエッセイを4年前に書いたのだが、どこにも発表せずじまいだ。

日常的に音楽を聴かなくなって久しい。あんなに四六時中聴いていたのに、同居人に気を遣ってほとんど聴かなくなってしまった。悲しい。

今日も在宅で仕事。家にひとりだったから、ふと思い立ち前野健太のCDをかけた。最高だ。やっぱり彼は最高。あまりにも最高すぎて、過去のことをいろいろ思い出して泣いてしまったよ。
そして以前書いた、このエッセイの存在を思い出したというわけ。日付を見ると最終編集日は2016年5月です。お蔵入りした代物だけど、思いは変わっていなかった。なのでまんま載せます。

・・・誰かにとどきますように。


前野健太というシンガーをまだ知らないあなたへ (2016)

前野健太、通称マエケン。私にとってのステージ初体験は2013年のフジロックだった。しゃぼん玉揺れるフィールドオブヘブンにて、サングラスにアフロヘア、奇抜なシャツのよく似合う、「ヘブン」にはまるで似つかわしくない見た目をしたその男がギターを鳴らすとともに歌声を発した瞬間、地べたに座り込んでいた私を含むのほほんとした観客たちは、エサをまかれた鳩のごとくステージ前に大集結した。

そんな衝撃的な出会いだった。私は前野健太に完璧に惚れた、初体験にして最高!と叫んだあのライブで、完璧に惚れた。空は青く晴れ渡っていたのに、マエケンの出番が終わったら急に暗雲立ちこめ土砂降りになった、そんな必然のような偶然が、よりこの気持ちを盛り上げた。何がハマったのかといえば理由はいくらでもある。でも今回は彼の書く“詞”に注目してみたい。

前野健太はこれまで、「ロマンスカー(2007)」、「さみしいだけ(2009)」、「ファックミー(2011)」、「俺らは肉の歩く朝(2013)」「ハッピーランチ(2013)」の5作のアルバムを発表している。そのほか、ドキュメンタリー映画監督・松江哲明の作品「ライブテープ(2010)」「トーキョードリフター(2011)」への出演と、それに付随するサウンドトラック盤の制作。フジロック’13へもジム・オルーク(gt.)、石橋英子(key)、須藤俊明(ba.)、山本達久(dr.)らとのバンド形態での出演(前野健太とソープランダーズ)であったが、彼らとのライブを収録した「LIVE with SOAPLANDERS 2013-2014(2014)」の発表。そして最新作は全曲弾き語りの「今の時代がいちばんいいよ(2015)」となっている。

前野健太の詞はたぶん、実生活の賜物である。街を歩き、酒を飲み、女と寝、できているのではないかと思う。そして、この世界で生きる老若男女に対する、愛溢れる観察の賜物である。なんというか、ものすごく真実で嘘がなく、生々しいのである。彼自身はとてもロマンチストでありながらリアリストでもあって、その何とも言えぬバランスがたまらない。

私の大好きな曲の一つ「友だちじゃがまんできない(『ロマンスカー』収録)」は、「君のこと好きだよ/僕のことも好きでしょ/でも好きってなに/君にさわりたいよ」と始まる。なんて自信過剰な男!と笑いすらこぼれてしまうが、すぐにハッとさせられる。好きってなんだろうねぇ。あぁでも、人を好きになると、触れたくてたまらなくなるよねぇというように。サビでは「友だちじゃがまんできない/あなたの恋人になりたい」と声を張り上げ、額や首の血管を浮き立たせ、汗を散らし、つばを飛ばし、…こんなにも熱く歌い上げられたら、女子はたまらないのでは。ちなみに私は「がまんできない」という言い方にぐっとくる、というか、興奮する(性癖がばれますね)。

前野健太は埼玉県入間市の出身だ。そして東京都新宿区在住。いま彼の生活はそこにある。大都会・東京のど真ん中に身を置きながら徹底的に観察者、アウトサイダーである(これは筆者個人が受ける印象であり本人は否定するかもしれない)彼の詞世界には、東京の風景が多々登場する。「東京」というワードも。

私が初めて購入したのは当時の最新作「オレらは肉の歩く朝」であるわけだが、これは本当に音楽+ドキュメンタリーの傑作であると思う。3.11=東日本大震災が東京都心にまで大きな影響を与えたことは記憶にあたらしい(熊本の大地震が起きても、なお)。その直後の東京を背景にした曲が多く収録されたこの作品を今聴いてみると、どうだろう。当時のあの空気感の中、自らの送っていた毎日がまざまざと脳裏に浮かぶ。「東京の空の下は男と女」と歌う「東京の空」が私は好きだ。なんだか大人な気持ちになれる。

そして最新作「今の時代がいちばんいいよ」の収録曲「野蛮なふりをして」は、東京都現代美術館で開催された『東京アートミーティングVI “TOKYO”―見えない都市を見せる(会期終了:2015年11月7日~ 2016年2月14日)』へ出品された松江哲明監督作『その昔ここらへんは東京と呼ばれていたらしい』の主題歌として作られ、歌中にも同様のフレーズが歌われている。

この映像は、松江監督が息子へむけて、父親である自分の誕生からその成長、恋人との出会い、結婚、息子の誕生までを時系列順に追った15分ほどの作品で、ラストにマエケンの曲が流れる。これがかなりの感動作で、私はそうか、いつか東京は東京と呼ばれなくなる可能性だってあるのだなと未来に思いを馳せながらうるうるとしていたのだが、同行者の感想は「立ったまま寝そうだった」というものであった。それもよくわかる。マエケンの歌声にはそういう物質もふくまれていると思う。

さてここまで筆のむくまま書き連ねてきたが、前野健太の真骨頂はライブであるため、もし興味を持っていただけたのならぜひライブに足を運んでほしい。予習はいらない。まっさらな状態でそこに身を置けば、身体のいたるところからマエケンが染みこんでくるはずだ。そして虜になること請け合い!またフジロックに出てくれないかな。あの大空の下で、マエケン節を堪能できたらなあ…。またとない贅沢なのである。

スキやシェア、フォローが何よりうれしいです