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平成の終焉と郊外の豊さの消失

生きること、それは技術である。
お金を稼ぐ能力も、人を頼る力も、愛されることも、愛することも全部。
生きることは複合芸術なんだよ。
だから、人が生きる姿は美しいんだ。

かのエーリッヒ・フロムは言った。愛することは自然現象では無いと。技術であると。
だとすると、私は声に出して言いたい。生きることもまた、技術であると。

たった一か月前ですら生きることに絶望していたのに、 今朝散歩をしていると生きる喜びを思い出して涙が出てきた。
生きることは死ぬことと同義で、死ぬことはまた生きることなんだと思う。
せわしなく過ぎ去る時間の中で 今日も人は生き、人は死ぬ。

たまたま私が生きる喜びを思い出したのは、大切にしてくれる人が身近にいて、それから美味しいご飯を食べる機会に恵まれて、それだけ。それが全て。
「それだけを」 感じられる境遇に恵まれているのは、ただラッキーだった。その「ただそれだけ」がいかに貴重かに気が付けたのは、毎日死にたいと思っていた私がいるからだ。
だから死にたくなったらとことん落ち込んじゃえばいいと思う。

そこから見える景色はもしかしたらあなたの宝物になる。
一方で、美しさを見出せずそのまま命を絶ってしまうかもしれない。 それはそれでまた一つの運命なんだと思う。
けれども人が生きることは美しいと思うから。
なるべくその選択をする人が少ないことは祈るばかりです。

私が出会ってきた運の良さを
当たり前とは言えない。
けれども、あなたの笑顔と健康だけを願っている人は、必ず存在するよ。

あなたの笑顔と健康を願ってくれる意外の感情や言葉たちは、全部ノイズなんだ。
私は、私を不健康に扱う人たちは簡単に信用しないし、その旨はちゃんと伝える。不穏な感情を抱いたまま不健康な関係性を築くぐらいなら、そんなの必要無くて生きられる。その変わりに大好きな人たちと一緒に過ごす時間を作る。それが私も相手も幸せじゃないですか。

生きることは技術なんだから、できる限り、心満たされる時間と空間で埋めることにエネルギーを費やしたい。

ただ、よくわからないことが一つある。

東京に住んでいる人は、そこ以外の場所を「地方」と称し、イオンとヤンキー、もしくは大自然しか無いかのように表現するきらいがあるように見受けられる。「地方」にも色々と種類がある。

私は阪急電鉄の沿線で生まれ育った。所謂、高度経済成長期に発達した新興住宅地だ。向かいの山は、開発途中でバブルが崩壊してしまい禿山になった姿をしているような場所である。
3年ほど前まで、そこに住むのは、学生とその両親か、高齢者のどちらかだった。母校が廃校になり、隣の小学校と統合される動きがあった。
2年ほど前から空き家が増え、そこが解体され新居が建ち、乳幼児とその両親が引っ越してくるようになった。その結果、母校は廃校にならずに済んだ。
私が生まれ育った街だけじゃなく、日本中で有り触れた話題だと思う。都心以外では。

ただ、この「新しい家ができること」が私にはとてもショックだった。建て壊された家と、新しい家、どちらが良い材質と設計で造られているのか一目瞭然だからだ。バブルの時代と今の時代、圧倒的に豊さに差がある。住居という、人が日常的に触れる場所が相対的に貧しくなってしまった現実を、音もなく突きつけられた事件だった。

この新しく越して来た世代の次は、私たち20代が、住居を考える番である。
しかし、自分が生まれ育った場所で、家を買うとは到底思えない。むしろ祖父母が住んでいた空き家は家族会議の結果、去年手放す決断に至った。地元にある行きつけの美容院で働く同年代の子とは、さすがにこれだけ地価が下がって人が居なくなっている場所では買えないよね、と話す。

だから、私が過ごした街は、いつか無くなってしまう。街は残り続けるかもしれないが、私が幼少期を過ごした状況とは少し変わってしまうであろう可能性を突きつけられている。
私にとって、平成の終わりは郊外の豊さが溶け落ちる合図だ。

わがままだから、そんなのいやだ残存して欲しい。

近所の公園の桜で花見をし、セミ取りしながら家の後ろの山が段々と落葉し、明日は雪が積もるかなとワクワクして眠りに付き、少し早起きをして雪だるまを作った、その自然との距離が、何よりも心地よかった。
流星群の日には、自室のベランダに出て夜空を見上げたり、風が強い日に窓を全開にして、木の葉や枝の揺れを観察したりする時間は、癒しだった。

自然には、人間が作るリズムとは別の流れが存在し、それを感じながら生活をする楽しさはおいそれと崩せるものじゃ無いと信じたい。それでも、人は、東京に就職する。これを書いている私も、東京にいる。

関西で過ごした時間は、「怒り」を溜め込むのに丁度よかった。理不尽に投げつけられた言葉たちが、希望の光を模るようになった。それを美という形で昇華する為の日常を過ごすようになった。その変わり、空を見上げ月を見る時間は無くなった。
東京で生きる術に、自然は不要らしい。

2019.03.13 追記
noteにSpotifyが埋め込めるようになったのでこの文章たちと共に聞いて欲しいプレイリストを埋め込みました。

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