見出し画像

フジロック2021開催について思うこと

と、いう題目で既に書いていた長文を消去してしまった。

フジロック開催中に書いては消し、開催後に書いては消し、ついに全部を消して、今新しく書き直している。
なぜなら、自分の感想や主張と整合性が取れない事実が次々と発覚し状況が更新されたからだ。それについては後述する。

フジロック終幕から1週間と1日が過ぎたところだが、マスオさんばりのえーが連呼されるほど目まぐるしく状況が変化していき、見ているだけでもう胃が痛い。

まずはじめに、音楽フェスが(または出演したアーティストが。もっと言うと業界全体が)攻撃の対象になっている現状が、音楽ファンの一人として非常に辛い。
このような状況を生んでしまった原因は様々あり、もはや誰が悪いのレベルを超えてしまっているように思う。(原因が明確な某一件も起きたが)
様々な事情が複雑に絡み合って、この状況を作り出してしまった。

なぜこうなってしまったのか。今後どうすればいいのか。

以下はあくまでも個人の見解で何の解決にも繋がらないが、ただ今後のためにも記録しておく。半分日記と思って読んでください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

先週末3日間の日程でフジロック2021が開催された。

私の担当番組でも(例年、苗場の会場から生中継をさせていただいてきた。フジロックには思い入れのある番組だ)2週に渡ってライブ音源をOAした。

今年は「フジロックが開催されました!めでたしめでたし」ではないことは明らかで、そんな中、どう伝えるべきか、どのような表現がふさわしいか、そもそも扱うべきなのか。構成や言葉選びに悩みに悩んだ。ディレクターとも意見交換をしながら、何とか自分の言葉を見つけていった。こんなにも正解が分からなかったことは、大げさでなく初めてかもしれない。

ディレクターと協議した結果、今現実で起こっていることを、嘘偽りなく、賛も否にも寄り添いながら、できるだけフラットな視点で伝えることが我々の使命であり、一番誠実な姿なのではないかという結論に達した。なので、そのスタンスでお伝えしたつもりだ。

(ちなみに私は、公共の電波を使って話すことと、このように個人のブログやSNSで発信することは、別物と考えているし住み分けをしている。多くの人の目や耳に触れるものとしての心構えは変わらないが、立場や主張は同一ではない。電波は私のものではないので、言うべきことと言うべきでないことをより慎重に考える必要がある。つまりここでの個人的な発言は私の所属する団体等とは関係がないので、その点ご理解ください)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私はいわゆるフジロッカーと呼ばれる人種だ。
10年以上夏を苗場で過ごしてきた。
フジロックは地上の天国だと思っている。あの場所で感じるしあわせは何物にも代えがたい。毎年あの場所で再会する大事な友人たちもいる。守りたい場所。なくなっては困る。

しかしそんな私でも、今年の現状況下での開催には懐疑的な立場だった。

収まる様子のない感染拡大を目にしながら、開催が近づくにつれ、本当にできるのだろうかと不安が募っていった。

自宅療養中の妊婦さんが自宅出産し新生児が亡くなった事例をはじめ、いたたまれないニュースばかり。発熱した60代の方が受け入れ先の病院が見つからずに亡くなったという報道もあった。死因は脳出血。コロナには感染していなかったとか。私も祖父母を脳出血で亡くしているので、いかに迅速に病院へ運ばれるかが重要なのを知っている。コロナ以外にも、救えたかもしれない命が救えない非常事態に陥っているのは明らかだ。

命の安全が守られていない時にライブやフェスをやってる場合か?
ご尤もだ。
音楽は間接的に命を救うことはあっても、直接的には命を救えない。
わかっている。

そんなことはおそらく誰よりもアーティスト自身がわかっている。
わかっているからこそ、葛藤しただろうと思う。

出演するも地獄、しないも地獄。
出演することで失うものもあれば、出演しないことで失うものもあるのだろう。(このあたりのリアルな本音は、お金や人間関係のことなどもシビアに絡んでくるだろうから、本人にしかわからないことやストレートには言えないことも多いと思う)

その葛藤を数名のアーティストが声明文として発表していたが、どれも生々しく切実で痛々しかった。私は彼らはとても誠実だと感じた。ただアーティストにあのような発言をさせねばならない今の状況は異常だし、その発言自体が叩かれてしまうことも異常に思えた。

私自身も一介のDJで音楽業界の端くれにいる者として、一連の騒動に複雑な心境だったが、開催が決定した以上、その3日間をただ見守るしかなかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして案の定(と言うべきか)コロナの感染者数が爆発的に増加する中での開催に、批判が集中する形となってしまった。
ネット等で見る限り(私の感触ではあるが)否定的な意見が多かったように思う。

何が問題となったのか。
一度話を整理してみよう。

・そもそもこの状況下での開催は正しかったのか
・無観客ではダメだったのか
・感染症対策は十分だったのか(任意での抗原検査で意味があったか、会場での密は回避できていたか、など)
・補助金問題

といったところか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

まず、この状況下での開催については、もっと丁寧な説明が必要だったのではと個人的には思う。
丁寧な説明があったからといって国民を納得させられたかはまた別問題だが、開催する理由を安全面(一番重要なこと)や経済面からの説明だけでなく、それ以前に「今年開催することの意義」「今年の開催が音楽業界の未来のためにどう繋がるのか」「今開催することで音楽業界の未来がどう変わるのか」「なぜ今必要なのか」そのあたりのフジロックのポリシーのようなものがあったならばそれを説明すべきだったと思う。「音楽を止めるな」とかそんな簡単な精神論じゃなく。もっと踏み込んだ分析の上でのポリシー。そこがよく見えなかった。

私はいちフジロックを愛する者として、そのあたりのフジロックイズムというか、フジロックの哲学や美学みたいなものが見えてこなかったことを、一番残念に思っている。
それほどフジロックは日本の音楽シーンの中核を担う存在なので。全方位への影響力は大きい。先頭を走って、方向を示してもらわないといけない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

感染症対策については。
中村明美さんのこのブログ記事を読んでみてほしい。

この中でピックアップされているキラーズの対策「ライブ参加者は、ワクチン接種済みでかつ、ライブ開催前48時間以内の検査をして陰性の証明の提出が必要」が、現時点では(大規模フェスをするなら)できうる最善策ではないかと私は考える。

フジロックには、日本を代表するフェスとして、やるならこれくらいの徹底した対策や最先端の対策をやってみせてほしかった。というのが正直な気持ち。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さらには、補助金問題。
これが火に油を注ぐ形となってしまった。
このことについては私もニュースで知り驚いた。

その後、経産相の発言で詳細が明らかになった。J-LODliveという補助金制度を利用してのこと、また金額も上記記事から修正されている。

このことをアーティスト側は知らなかったのだろうか?(私はおそらくアーティスト側にも丁寧な説明がなかったのでは、と推察している)(※追記:BOSSのツイートを見る限り、やはり事前には知らなかったようだ)

せめてアーティスト側にはあらかじめ説明や共有が必要だったのではないだろうか。

THA BLUE HERBのBOSSがライブ中にMCで切々と思いを訴えたわけだが、その主張の一部と整合性が取れなくなってしまった。
「フジロックは税金を使ったイベントではない」という箇所。

BOSSの発言の全文も載せておく。

ただ、BOSSが求めたのは”休業”補償であって、音楽関係者が困窮している、というのも(私が知りうる限り)事実であるから、その点の主張は整合性が保たれているとも言える。

このBOSSのMCの中で一番重要な部分は「もう追い詰められたら前に出るしかないとか、助けてくれる人がいないんだったら一か八か自分たちでやるしかないとか、そういう動きが加速している。フジロックがその加速するきっかけになるんだったら違うと思う。その動きが終わるきっかけになってほしい」ここじゃないかと思う。

つまり現状において必要なのは、「安心してお休みできるため」の補償なのであって、「感染拡大中でも強行開催するため」の助成金ではないのではないだろうか?

何か色々ねじれちゃってないか??

と、ここまで書いた後調べたところ、J-LODliveには延期・中止の際のキャンセル費用の支援もあるようなので、何とも言えなくなってきた。

このあたりの話については、私はフジロックの経費や収支の内訳など内情を知らないし、アーティスト側の懐事情も詳細には知らないので、補償がどのレベルで十分でないのか、そこんとこどうなのかリアルはわからない。なので、何とも言いようがない。

この制度の詳細も貼り付けておくので、把握したい方はこちらから。

ただ私は成熟した国は文化芸術へ支援をするものだと思うので、アーティストやイベントが支援を受けるのは健全だと思っている。

先進国ドイツをご覧くださいよ。

中には「補助金をもらうのはロックじゃない」論調があるようだが、「ロックか否か」など実体のないもので測り出すと幼稚な議論にしかならないので止めたほうがいい。謎の精神論で語るべきところじゃない。そもそも「ロック」という言葉をファッション的にお安く使うのをやめてほしい。「ロック」というワードを使って揶揄する人ほど、本当のロックを知らないと思う。

私は権利を行使することは全く恥でも何でもないと思う。

アーティスト・イベンター・ライブハウス関係者、全ての音楽関係者が、音楽という文化を捨てずに生きていけるような仕組みができてほしい。(これは音楽という分野に限らず、全ての業種に言えることです)

またそれを歓迎するムードの社会になってほしい。
日本はとかく文化芸術的な職種に向ける目が厳しすぎる。
先進国ドイツをご覧くださいよ。(大事なことなので2回言いました)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

同時に、大臣の「実証実験」というワードも気にかかる。

「実証実験」は決して悪いことではないし、今後社会を動かしていくためには、徹底した管理のもとなされるべきことであるが、時期尚早という見方もあると思う。
それにフジロックが「実証実験」だったのならば、3万5千人の参加者のその後の追跡調査は必須のはず。実際行われるのだろうか?その辺りも注視したい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

結果として、今年のフジロックは大きな課題をいくつも浮き彫りにした。

まだ結果というには早く、これから色々と答えが見えてくるだろう。
この開催を無駄にしないためにも、ここを起点にすべきではないかと思う。どうかこれが良き方へ向かうための始まりになってくれればと願うばかり。

ちなみに、数々のアーティストが素晴らしいステージを見せてくれたのもまた事実で、”あぁこれも自己矛盾なのかなぁ”などと複雑な葛藤を抱えつつではあったが(音楽を楽しむことにこんな葛藤を感じなければいけないこと自体が悲しい)私自身も配信で十分に楽しませてもらった。そのことも事実なので書き添えておく。今年の個人的ベストアクトは、GEZAN・THA BLUE HERB・STUTS・THE SPELLBOUND・NOMO NO AWARE、そして平沢進+会人(EJIN)です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして若干話は変わるが、もう一点。

ガイドラインを遵守せず感染症対策が徹底されていなかったり参加者のモラルが低かったりする音楽イベントが開催されている事実を知り、非常に残念に思っている。
そのような一部のイベントばかりクローズアップされ「音楽フェス」「音楽イベント」がひとくくりにされた上で”悪”認定されてしまうことには、憤りを感じる。
特段興味のない方々からすれば、同類に見えてしまうのか。
「もう全部のフェス中止でいいよ」というコメントも見た。
そうなるよね。悲しいけど。

ただ、参加者やその他国民の命を第一と考え、苦渋の決断で中止や延期の判断をしてきたイベントやライブも数多くある。
悩んだ末開催することを選んだ場合でも、私が知りうる限りの音楽イベントは、徹底した感染症対策がとられてきた。入場時の検温、アルコール消毒、追跡のための個人情報提出、ソーシャルディスタンスを保つ、会場内では飲食禁止、ライブ中も声を出さない、飛沫を飛ばさない、規制入退場、定期的な換気、等々。(もちろんそれらの感染症対策で万全か?と疑う声も、開催自体をよく思わない方も、様々な意見はあるだろう。それも承知している)参加者も一様にルールを守り、どうにかイベントを無事に開催できるようにと懸命に協力していた。そんな音楽ファンの切実な態度や思いも、事実だ。

フジロックはその最たるもので、参加者のモラルは例の悪質なフェスとは雲泥の差があるので、どうかどうか同列に語られてほしくない。
今年現地に行った方の話を聞くところによると、ルールマナーの守られ方はその意識の高さがしっかり反映されていたと感じられるものだったそうだ。

綺麗事に聞こえるかもしれないが、複雑な思いを抱えながら必死に音楽の現場を守ろうともがいている人たち、努力している人たち、耐えている人たち、誠実に向き合っている人たちがいることはどうか理解してほしい。

音楽業界への風当たりは強くなる一方。しばらく風が止むことはないと思う。厳しい時代に立たされている。そろそろ新しいアイデア、創意工夫をしながらギアチェンジが必要なのかもしれない。どうか良い未来に行けますように。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最後に。
有名な道徳の「ロバを売りに行く親子」の話をご存知だろうか。
こんな4コマもある。

画像1

元々のお話は親子の設定で、この4コマとはちょっとだけオチも違っている。本来の教えとしては「他人の意見に右往左往せず、主体性を持ちなさい」ということだったらしいが、この4コマが有名になったので「何をしても批判される」「万人を納得させるのは難しい」の意味にすり替わって知られている。(ま、いずれにしても大事な教えなので、良きかと思います)

「何をしても批判される」とはまさに今の社会そのもの。

賛否があって当然だし、意見の相違は当たり前。でもその違う意見を建設的にぶつけ合わないと、ただの批判で終わっては、何も生み出さない。

前述のBOSSの言葉を借りるなら「フジロック3日間を終えて残ったのが分断なら、もったいない。もちろん、違う意見は必要。俺だって、全員を納得させる言葉を吐いてると、こうやってしゃべりながらも思ってない。いろんな言葉、いろんなアイデア混ぜてなんとか新しい道探そうぜっていうときだから」

そのためには”想像力”だと思う。相手の立場や状況について、まず一度想像してみる。叩く前に。

私としては、同じ業界の中からもっと話をする人が出てくればいいのにと思っている。前回の投稿と同じような話になるが、私自身も言うだけ損というか、発言したってメリットは何もないので、本来は黙っていればいいだけの話なのだが、みんなが黙っていたら結局何も変わらないので、中にはこういう発言をする人もいる必要があるのかなと思っている。まぁ言える立場言えない立場、様々あるんですけどね、ほんと。今たぶんみんなが苦い思いをしている。そう思います。

意見を出し合いましょう。前向きに。

じゃないと、音楽業界このまま沈んでしまうような気がして怖いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?