相対主義について

「相対主義」っていうのは、簡単に言えば「絶対的に正しいことは存在しない」って考え方のこと。

これ読んで「あーっ!これあたしじゃん!」ってなった。

Tタイプって割と理屈っぽくて「これは理にかなっているから」とか言うから結局は先人の考え出した理論に従ってるんだよね、だからSiも少なからず持ってると思うじゃんね?
だけどあたしはほぼSi皆無のTだから「昔の人の発明は全て正しいとは限らない。そこには矛盾があるかもしれない」と思って生きてる。
あたしの新発見が理にかなってないって言われたら、既存の論理が間違ってることに気付かずに「正しい」と受け入れられちゃったんじゃないかな?とも考えるし何とも懐疑的すぎる奴なんだって自分でも思うw

これは前の記事のやつなんだけど根っからの相対主義者で笑ったw



エレンの相対主義的な考え方

今この世界にある基準は全て誰かが生み出した「論」に過ぎない。

世界の真相は誰も知ることはできない。


『不可知論』によく似てるね。不可知論っていうのは「神が実在するかは分からないし知ることができない」みたいに物事の本質は誰も知ることができないって考え。


ただ、真相に近いものを見つけることはできる。真相に近いものを見つけ出して、それをみんなに理解させて、そうすることでみんなが考える時の基準とするものを作り出す。それが研究。

その基準を知ること、それからその基準に従って「それならこの場合はこうだろう」と考えるのが学問。


だけどそれは"ある説を正しいと仮定して"事を進めることに過ぎないんだ。


宗教と同じように、人は「自分を導くもの」「自分が信じるべきもの」を探して、それに従って生きているんだ。知らず知らずのうちに。

その価値観が多くの人と一致して初めて「基準」となる。


無神論者とか信仰心の浅い人だったら「神は実在しないのだから話が違う」って言うかもしれないけど、あたしからしてみれば「実在するって何?」ってなるよ。

そもそも「実在する」っていうのはどういう根拠でそれが言えるの?五感で感じ取れたら実在して、単なる想像なら実在しない?でも想像は脳という五感で確認されてる器官が一定の働きをして起こしている現象だから、「脳が働いている」というのが事実ならそれによって起こるどんな結果も"結果としては"実在するって言えるよね?物としてではなく現象の結果として。

「空想は実在しない」という論を信じる人は、例えば二つの磁石が存在して、それらがくっつくのも確認できて、でも「そこに磁力は存在しない」と主張しているようなものに見えるよ。「もの」と「作用」と「結果」はそのうち2つがあれば残りの1つもあるということをあたしは信じているよ(これ何かの法則とかいうのかな?勝手に思い付いたやつだから知らんけど)。

確かに空想そのものは信用できないけど、それが「実在するものが作用した結果」として認識することによって違う見方で「実在する」と言うことも可能だよ。

↑今ここで「空想は実在しない」という1つの基準を否定したよ。


言い換えれば、基準に従うことは「多くの人が正しいと思っているからそれに合わせている」ということ。

自分で考えもせずに多数派の意見だけで「当たり前だから正しい」と口にしてる人多くない?

あたしは誰も見なかったような立場から物事を見て常識をひっくり返すことによってそういう人達に反抗的な立場を取っているよ。


「正しい」と言われている基準も、もともとは人の考え。

人によってものの捉え方が違うからそれによって「信じる」「信じない」の基準も変わって、それが世の中で言われている「正しい」「間違っている」に通じているんだと考えてる。

その考えが本当の相対主義なんじゃないかな?


「どうせ真理なんて分からない」

その「どうせ」がどこから来たものかで相対主義かそうじゃないかが分かる。相対主義なら真理が永遠に分からないことを見通した上で真理を求めようとするのは無駄な事だっていう意味で「どうせ」と言う。

「相対主義は無関心」とか言ってる人を見るけど、それは違う。真理を求めるのが複雑な作業でそれを放置しておきたいためだけに相対主義を名乗るのは相対主義じゃない。ただの無関心。


真理について考える前に面倒だから一応全部正しいとしておいてものごとを曖昧のままにさせておきたいという理由で相対主義を名乗るのはただの怠惰で、その人が本当に相対主義とは限らないと思ってるよ。

そもそも「主義」ってそれを大切にしているほど信念が強いからこそ使う言葉じゃない?



それから、「相対主義は他者の意見を受け入れない」という考えも見る。これは真逆じゃない?って思う。

相対主義の考え方は「全ての意見はその人にとって正しい」だから、受け入れない意見なんて無いんだよ。

きっとそう言う人は、「賛成する」と「受け入れる」を同一視してない?あたしは「受け入れる」は「尊重する」に近いと思ってるよ。

「あなたの意見は賛成できないけど尊重はしている」これが相対主義者の他者の意見に対する考えなんじゃないかな?信じるか信じないかはさておき、とにかく「全ての意見が尊重されるべき」と相対主義者は考えてる。



「世の中が相対主義者だらけになったら犯罪が起きまくる!」とか言ってる人もいたけど、いくら相対主義と言っても自由権に公共の福祉があるのと同じように、"大抵の"相対主義者は節度があるよ。"大抵は"他者の権利を傷付けることまで正当化することは無いよ。中には犯罪を正当化させるために相対主義を悪用する人もいるけど。

「自分の価値観も、他者の価値観も平等に尊重する。自分も他人も大切にする。」これが相対主義の考え方だから自分勝手で押し付けがましい人とかそういう見方はやめてほしいな!そもそも独断主義とかいう押し付けがましさを嫌っているから相対主義になるんだし。



「相対主義は自己主張が弱い」これも違う。

自己主張が強い人には2パターンあって、相対主義者は他人に強要しないタイプの自己主張が強い人だよ。

どこが強いの?って思う?自己主張が弱い人なら簡単に人の言いなりになってる、つまり常識を信じ切ってるはずだよ。

主張の目的として自分の意見を伝えるというのがあるよ。

相対主義ではみんな違う意見を支持してるんだから、それを知らないとお互いを理解できない。だから、「自分はこう思ってるんだけどみんなはどう思う?」こういう心理で自分の正しいと思っていることをどんどん主張しているはずだよ。ただの無関心じゃなくて本当の相対主義なら。



とにかく相対主義っていうのは一定の基準は作ることができないと考えて全ての人の言う正しさを正しいとして尊重する人のことだよ。



エレンは本当に相対主義者か?

ここまで言ってね、あたしのその考えを『無知の知』って言うことを知ったんだけどさ、その『無知の知』を提唱したソクラテスは絶対主義者なんだ。

あたしからしてみれば矛盾してるみたいで「え?どゆこと?おかしくね?」ってなってるんだけど、調べていくとソクラテスは絶対的な真実を見つけるために無知の知を提唱したって分かったんだよね。

無知の知で絶対的な真実なんて見付けられるの?って不思議に思うけどね。


ソクラテスは絶対主義者であるのと同時に不可知論者でもあり(さっき相対主義と不可知論が似てるって言ったからすごい混乱してる)、独断主義に対して批判的だったんだ。「◯◯とは何?」と聞いて「◯◯とは△△だ」と答えれば「では△△とは何?」と聞いてとことん本質を追及させることによって人々に「自分は何も知らない」と気づかせたんだ(ソクラテス式問答法)。

あたしも本質を追及すればするほど「もしかしたら本質は分からないのかもしれない」と思えてきて相対主義を支持するようになったよ。

まだ相対主義と不可知論の違いがよく理解できてないしソクラテスが絶対主義者だと言われてるくらいだからもしかしたらあたしは相対主義者じゃないかもしれないけど、とにかくあたしは不可知論故の相対主義的な考えを持ってるよ。

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