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自分だけの人生ではないということ

2023.6/21 水曜日
一つの出来事が私のこころを震撼させる
遠く離れたところに暮らす父が病気になり、
7月に手術をするという知らせだった。

父との電話は いつぶりだっただろうか…
思い返せば、
2か月か3か月ぶりの電話だった

しばらく電話がご無沙汰だった 父の声は
いつもより低く
柄にもなく何かを秘めているような
シリアスな話口調だった
たまに電話をするときに聞く、
あの底抜けの明るい声を聞きたかった

「実はな、、7月に手術する予定で
今岡山にいる。」

父は3人兄弟の末っ子である
手術をするために立会人が必要ということで、
お姉さんを頼りに岡山に来ているのだと
どうやら手術も岡山で行うそうだった

「ずっと手先が痺れてて、仕事も休めないから悪い癖で病院に行ってなかったんだけど…。
難病って言われたよ。全国に3万人くらいだって」

…。え、聞き間違え?
心のどこかで内科的な軽いものだろうと  
思っていたから 
難病
という言葉に 現実味がなく、
聞き流してしまいそうだった

まるで、ドラマのワンシーンのように
その一瞬でも聞き取れた言葉が
間違いだったらいいのにって
自分の耳から聞こえることが 
他人事のように そのときは思えた

「縦横靭帯骨化症
(ジュウオウジンタイコッカショウ)
って 言ってね
後ろ、 縦(たて)、靭帯、骨が化ける 
って検索して ごらん。
難病で資料をたくさん書いて 
提出しなければいけなくて 大変だよ」

自分が外に居ることに加え
長崎訛りと声が大きいことで
よく聞こえなかった
後で検索してみる。
と言って 
理解することを後にした
久しぶりに声を聞く父が
まともなことを言うもんだから
別人みたいに思えた

若さを武器に、
正社員を辞めてフリーランスに転身し
自由を求めて生きる自分に
現実が一気に押し寄せてくる
そんな感覚を確かに感じた。

病気について調べてみると、
この病気は靭帯が骨化することによって
神経を圧迫して
脊髄を容赦なく傷つける。
その傷つけられた脊髄の位置によって 
手や足に麻痺が生じるというもの
症状が軽症であっても、
手術適用になる場合があると
書いてあったけれど
無症状期間は過ぎ、
生活に支障が出ていることによる手術と
考えれば
結構重症度は高いことになる

現症状は、
指先の痺れや痛みでボタンが押せないとか
細かい指先の運動が
難しくなっているよう

手術をしたところで、
状況によって他の神経を傷つけて
麻痺などの後遺症が残ってしまうことが
多いらしい

姉は整形外科病棟時代に 
この疾患を診ていたことがあったらしく
術後後遺症で半年間リハビリして
日常生活可能レベルに回復して
退院した患者を知っていると

脊髄の何番目を損傷したかに全ては 
左右されるけど予後が心配である。

介護士として働く母
看護師として働く娘2人

家族でただ一人
医療とはかけ離れているところで
生きてきた父に
この病気による今後について、
何の想像ができるだろうか

還暦を迎える1カ月前の出来事
手術は全身麻酔化で頸椎からの 
アプローチになると
つまり首からメスを入れるのだ
本人がどんな気持ちだったかと思うと、
涙が止まらなくなる

電話の1本も寄こさず、 
父に関心を示さない娘たちに
打ち明けることなく
一世一代の大手術に挑もうとしていた父

一番頼りたいときに頼ることができない、
そんな娘になっていたのだと
申し訳ない気持ちと後悔でいっぱいになった

それと同時に頼れる人、
お姉さんや兄弟がいて本当に良かった

父が2人兄弟と思ってしまうほどに 
関わりの薄い父のお姉さん、
叔母さんにあたる人と
何十年ぶりに電話で会話をして

「すっかりお姉さんになったね。
ここにはいつでもきていいからね。
用事がなくても電話していいんだよ、
色んな事話したいことが沢山あるから。」 
と言われてなんか泣けた

幼少期の自分を知っていて、 
こんなことを言ってくれる人が
自分にも居たんだと思うと、 
なぜか喉元がキューっと締め付けられた

3歳くらいの自分と並んでいる写真の顔でしか 
記憶していない叔母さん

ひとの優しさに触れると
人の心ってこんなに震えるものか

どこか聞き覚えのある
懐かしくも優しい声のこの人と
同じ血が流れていることに 
どこか嬉しさを感じていた

自分はこの数年間、
自分のために生きていた
自分の好きな仕事を好きなタイミングで 
出来るようになれたらいいな
と毎日に様に考えていた

自由にマネタイズするための方法は
いくつかあるだろうが、
コレといった方法も選べないままに 
時間だけが過ぎた

組織から飛び出し、
試行錯誤した日々に一瞬たりとも
無駄な時間は存在しなかったが、
自分の若さに甘んじて、 
大きなリスクを冒し何かを獲得しにいく
攻めの姿勢からは逃れようとしていることは
いつの日からか、
自分でも自覚していたことだった

学生時代を終え、 
社会に出てからの時間はあっという間だと
やっと自覚する年代になった
仕事が忙しいからと 
家族で集まることも少なくなり、
それが普通になり、
この数年間はとにかく自分のことで
頭が一杯だったように思う

自分だけ若い気がしていい気になって、
みんないつまでも元気でいてくれて
何も変わらないのだと
不安に押しつぶされることもなく 
過ごしてきたが両親も祖父母も、
わたしと同じだけ年を取っているのだった

自分が16か17の時に離れた父とは、
この10年で2回しか会っていない
電話も月数回するか、
しないかで年に多くて12回くらいだろう

自分の実生活に忙しい日は、
電話が掛かってきてるのを
わざと出なかったり、
めんどくさく思う日々もあり
父も諦めの気持ちが出てくるのも分かる

そして
お互い徐々に関心が薄れていくのだった

それでも自分の父として
愛おしく思う気持ちがあるのは
一緒に住んでいたあの頃の自分が見てきた
父が好きだったからに尽きると思う

父は自分にとって一番身近な理解者だった
小さいころ一緒にお風呂に入るのは
母よりも父の方が多かった
その時のおかげで漢字やら九九を日常的に
覚えることができた

中学校に入って、 
突然 縁も所縁もないバスケ部に入部したときは
部活に必要なバッシュやボールを
一緒に買いに行ってくれた
なんでもない日に外に散歩に出かけた
記憶も父がほとんどだ
陸上選手だった父に速く走るコツなどを 
教えてもらったこともある

母親とは意見がぶつかり衝突が
多い日々の印象だったが
父とは情緒的な関りが多く、
日常のなんでもない関りが記憶に残っている

アルコールで気性が荒くなり
トラブルを繰り返す父であったが
基本的には家族のためにずっと働いていた
性格はテキトーともいえる楽観主義者で
基本的にポジティブな人間であった
そのポジティブさや明るさに救われることが、
何度あっただろうか
父の好きなところだった

サラリーマンの十数年を過ごし、
時間と労働の等価交換で
自分がやりたいと思う多くのことを
犠牲にしただろう

その犠牲の上に自分が成り立っていることを 
忘れてはならないと
今回の出来事は教えてくれた

それを犠牲ととるか…
と思う人もいるだろうが
子供がいない世界線もあったと考えると
人生が大きく変わったことは確かである

少なからず、
今の自分のように自分探しの旅をする
時間はどこのもなかったと考えられる

母親は未だに父のことを悪者のように言うが
それは元夫に対する感覚であり、
娘の自分には関係がない話だ

いま歩いている自分の道は 
自分だけの人生ではなく
自分を誕生させてくれた親から成り立ち
そして自分が経験したことや感じた思いは
出会ってきた人たちすべてに
影響を与えることができる

その影響とは
よりプラスなものでありたいし
顔も知らない誰かの、
支えにだってなれるものであると思う

そして、その誰かの最初は
必ず自分の家族でありたい

身近な家族に優しさや思いやりを持つことを
離れて暮らす今 自分にとって
そんな当たり前の表現が
難しくなってしまったように思う  

姉にも、母にも
祖父母にも、叔父叔母にも、

喜怒哀楽を共有すること
応援すること
楽しむこと

そうやって他者に心を開くという行為を
これから先もっと出来たらいいと思う

いまこのタイミングでそれに気が付くように
父がメッセージを与えてくれたのでは
ないだろうか

この数年間で
自分のことは十分すぎるほど考えた

次は自分が誰に影響力を与えたいか、
自分の思いをどう社会に貢献していけるかを
身近なところから行動レベルで考えて
動いていきたい

平凡な自分の人生において、
あまりに衝撃的なことで
背筋が凍り付く出来事だったけど
老いる運命にある人間なのだから
どこかのタイミングで
誰しもが経験することなのだろう

病気になった事実は変えることはできないが
お互いを思いやれる新しい親子関係を
またイチから育んでいこうと思う
根底にある不安や恐れが増幅しても、  
負けないように
頼もしく成長した娘存在を思い出し、
力を取り戻してもらえるように
自分ができる親孝行をしたいと思う

そんなことを本気で思い、
考えながら文字を起こし
気が付けば、5時間経っていた

こうやって新しい風はやってくるもの

決して喜ばしいことではないが、
不思議とここから
好転していく気しかしなくて気持ちは明るい

今まで伝えらえれなかったことを
父にも母にも誰にも
伝えられるときに伝えていきたいと思う
だってみんないつかは死ぬのだから
まだ間に合うのならば、
お返しをたくさんしたい

これから先に待っている
様々な困難にも立ち向かえる
強い心の持ち主でありたい

自分探しの旅の終着点にして始まりの
心が震える瞬間、
全身全霊で気づかせてくれた父に感謝したい







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