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そこそこ優等生が問題児になった話

大学で先生になる授業を受けていたとき「心でがまんをしすぎて自分を抑え込みすぎると、その無理は祟ってからだにでる。それは体調の不良であったり不登校といった行動にでる。」と聞いてしみじみと思った。本当にその通りだなって。

わたしは今25歳の社会人だけど、中学1年生の2学期から中学3年生あたりまで不登校だった。中学1年生のちょうど今頃から、変化がはじまっていった覚えがある。
原因は、小さいころからがまんしていた家族にあって、中学生からはじめた運動部の練習がきつく、体力的にも無理をしていたら「パニック障害」という病気にかかってしまった。それまで成績はそこそこ、真面目だし友達もいるし問題がない「そこそこ優等生」だった。
ウケるのが病気になったときは先生やクラスメートも心配してくれたけど、早退や遅刻や欠席を繰り返して成績が落ちると「困った生徒」になってしまったことだ。

​わたしの心の移り変わり

中学1年生の2学期がはじまったころ、正直安心をしていた。「これで辛い部活に行かなくてもいいし、体がつらいから家族のことを考える余裕もないぞ」
そのうち、数学や英語が分からなくなっていった。発作になると保健室にいたり早退をしていたから、だんだん授業が分からなくなっていったし、授業が分からないなんて経験がなかったからすごく怖かった。
3学期になるころには、勉強が分からない自分を受け入れられなくて学校にいかなくなってしまった。
2年生になるころには友達との関係も薄れていってさらに寂しくなってしまった。とんでもない負け犬になってしまったと自分が嫌いになるばっかりの毎日で、土日や夏休みなんか皆が休みの日だけは、学校に行っていない自分も許された気になっていた。
けれど「わたし、受検どうするんだろう」と大きな不安がよぎってきた。受検が不安すぎて、学校にいかなきゃと思って中学3年生の春に心臓をバクバクさせながら登校した覚えがある。そのあとスムーズに登校できたわけではなく、学年で唯一、中学3年生の1年間で100回以上保健室にいった生徒になった。

いま思うこと​

地元でバカ高と言われるような高校に受かったんだけど、そこがすごくいい学校だった。
体が言うことを効かない悔しさや、みんなと同じようにできないもどかしさを汲み取って支えてくれる先生や友達に恵まれたお陰で元気に過ごせた。
これは成功したぞって自慢ではなくて、合う環境もあれば合わない環境もあるし、年令が低いと環境を選べないってことを言いたい。
わたしにとって合わない環境は1番は家庭で、その次に中学校だった。生まれた家庭は選べないし、義務教育だから中学校も選べない。けど、受検で高校という合う環境を選べた。大人になったいまは、1人暮らしをして、家庭すらも選べる環境にいる。
いま10代のきみが自分を責めているとしたら見当違いだ。わたしが計り知れない事情があるだろうけど、きっと環境が合わないんだろうし、環境が選べないきみ自身が環境のせいだと思えずにまちがって自分を責めすぎているんだ。
大人にならないと環境から脱しえないなんて理不尽に思うだろう。家庭だとか義務教育の学校だとか、自分じゃどうしようもないせいで苦しむのは怒りがあると思う。けど、どうかその怒りの矛先を自分に向けないでほしい。
自分自身に怒って、責めてしまうのは繊細で真面目なことだ。どうか、きみがいち早く合う環境に出会えますように。きみの繊細さや真面目さが、きみを責めるために働くのではなく、きみをいきいきとさせるために役立ちますように。


わたしは不登校時代を「内省の時期」と思っている。「はやく家庭から離れよう。家族を愛せない自分が悪いのではなく、わたし自身のために離れよう」と結論をだして「なぜわたしが自分を追い込んでしまったのか」と自分の弱いところを自分の部屋に引きこもって考え続けて見つけられたかけがえのない時間と思っている。
この時間が、中学校でよかったと思っている。もし高校大学なら卒業が危うかっただろうし、社会人になったあとなら生きていくことができない。それに、家庭が危険だと思ったり、自分の弱みにさっさと気付けたことはわたしの偉いところだと思っている。きみの辛い時期も、長い目で見たら必要なときかもしれない。

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