#27 why i dance
朝起きるとiPhoneが8:00を示していた。1時間の寝坊を悟ると同時に跳ね起きてバスルームに向かう。アラームをかけ忘れるとは迂闊だった。
昔からなぜか時刻きっかりに目が覚めることが多くて、これって自分の体内時計がすごく正確っていう ある種の特殊能力なんでは?なんて自惚れていたこともあった。
でも実際には2つ並んだ0が寝ぼけ眼の網膜に鮮烈に刻まれるから、何度か同じようなことが重なると”ほとんどいつもそうである”気がしてくるだけなんだと思う。
ロック画面に再び0がふたつ並ぶまでにデスクに着いていなくてはいけない。昨晩のうちに着る服のスタイリングを組んでおいた自分の万端さと、今朝になって「なんかやっぱり違う」と思う頼りなさ。(めちゃくちゃ内勤の日だったので厳密にはスタイリングと呼ぶほど大したものでもない)
フローリングに私の抜け殻が重なっていく。こんなことをしている場合ではない。
結局、起きて30分で身支度をしてバナナを胃に収めることまでできた。上出来だ。
起き抜けに1.25倍速で流す真空ジェシカの「ラジオ父ちゃん」に意識を掌握されると、貧血のような二日酔いのような空っぽの身体が何を原動力に足を前に運べているのか、いよいよ分からなかった。
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久しぶりに平日夜のショーに出させていただいた。
ALANAYさん企画、Yuukaちゃんとの3人ショーはほぼ満席で、お2人のパフォーマンスは私も客席から観ていたかったくらいで。
(雨の中お越しいただいた皆様本当にありがとうございました)
私はというと最近はソロは即興と振付が1:1くらいになるようにしていて、この日も世界観とインタラクティブのバランスが取れるように試みていた。
ショーを終えて、まだまだ実力不足だと痛感する。
自分で選んだ音源なのに即興で音を捕まえきれなかったり、衣装の小さなトラブルに内心で冷や汗をかくなど。言い訳の余地もなく、技術と準備と度胸の不足だ。
これまで観てきた数多のベリーダンスショーで、ダンサーさんがステージ上でのハプニングに涼しい顔で対処する所作や機転にこそ痺れるようなプロフェッショナリズムを感じ取ってきたのだけど、自分ごとになると事故を免れた安堵よりも、100%のパフォーマンスができなかった情けなさや悔しさに心がすっかり曇ってしまう。
それでもありがたいご感想を直接伝えてくださる方々が、ショーを心から楽しんでいただけたこと、私の踊りに何かを感じ取ってくださったことを教えてくれる。
針に糸を通すような確率でおこった感情の芽吹きの、そのかけがえのなさを思う。
ダンススタイルや振付はもとよりメイクや衣装選びに至るまで、観る人全員に自分のパフォーマンスを好きになってもらうことはほとんど不可能に近いだろう。まして踊りというのは本来「生もの」で、同じ振付であっても踊る人や踊られる場所、宿る意思、纏う衣装や香りによってその表情を変えていく。
(ゆえに好きなダンサーさんがいる方はSNSをフォローするに留まらずぜひ生のパフォーマンスを観に行かれることをお勧めします)
「いろんなことを乗り越えてきたひとなのだろうなぁと勝手に思いました」
瑞々しい言葉で感想を伝えてくださった方を、同じ思いで見つめ返す。
次回こそもっと良い踊りを、と誓う。
それが何であるかは誰も教えてくれない。
「何のために踊っていたいのか?」
問いは何度でも私のまんなかを貫くのだった。
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「最近心を打たれた短歌を教えてください」とnoteにお便りをいただきました。ご本人に直接お返事もしたのですが、木下龍也の
”きつく巻く 指を離せばゆっくりと 君を奏でていくオルゴール”です。
先日、この短歌のイメージでシーシャを作ってもらいました。
こんな芸当ができる方を他に知らない。
いつも変なオーダーを必ず打ち返してくださってありがとうございます!
そういえばシーシャの巧い(?)吸い方を尋ねられて言語化するに窮してしまったのだけど、無理やり例えるなら”プールの中にいて、水が出てくるホースから口の中に水を溜め込んで(プールの水だから飲み込まないよう気をつけながら)、陸に上がってボハァって吐き出す感じ”とかでしょうか。
ぜんぜん端的じゃないし的を得てない気がするので有識者の答え方を聞いてみたいですね。
聞きたいこと、聞いてほしいことがもしあれば
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