夢の話
今回は、先日みた夢の話です。
夢の中で、私は小学校時代の友人の家に遊びに来ていました。
その友人のお宅で、私は友人の家族たちと話をしています。
実際には会ったこともない、友人の祖父母に
『ご無沙汰しております』と、照れながらあいさつをした後に、そのまま友人の家族と話をしていました。
祖父母や叔母さんなど、そこには友人の親戚のような人も何人かいて、その方々が口をそろえて、
『足の形が曲がっていて』とか
『指先の方向が』といった形で、
身体の不調を訴えてこられました。
すると私が、
『身体で気になることがあるかもしれないけれど、それでも身体は一生懸命動こうとしています。だからどんな状態であっても、動いてくれてありがとうって、その部分に声をかけてあげてください。きっとよくなりますよ。』
と、一生懸命に話していました。
すると、今度はお父さんのような、割と権威のある感じの男性が来られました。その方はお医者さんのようでした。
『仕事が立て込んでいるのだが、そういう時はどうしたらいいのか』
と尋ねられました。
おそらく、手に余るほどのやらなければいけない仕事を抱えて、いっぱいいっぱいで、どうしたらいいかわからないというような感じでした。
それには、
『仕事を一つ終えるたびに、無事に終えられた、ありがとうと言ってみてください。そうすると次の仕事は必ずスムーズに進みます。』
と真剣に答えたところで、明け方に目が覚めました。
実際には、夢に出てきた友人とは小学校ぐらいで、すでに後は連絡のやり取りもありませんし、夢に出てきた家族も違う人のようでした。
私が何をもってそう言っていたかはわかりませんが、
『必ずよくなる』
という絶対的な自信を持って伝えていたにもかかわらず、現実の自分はそんなことをしていなかったことにも気が付き、
ダメだなと思う部分があっても、それでいいんだ、ありがとう。
いっぱいいっぱいになったら、一つ出来たら、ありがとう。
そう思えばよかったんだなと、夢の中の自分に教えられるようでした。
感謝の気持ちをずっと持ち続けることは難しいこともあります。
ただ、完璧を求めたり、完璧ではないと認められないと思うことは、その時点で自分を不完全で足りないところがあると考えているとも言えます。
人は不完全という完全な姿で生き、だからこそ、他にも人がいて、支え合うことを知るためにあるのだとしたら、
すでに完璧であるにも関わらず、たった一人で完璧を目指し、完全になろうとするのは、無理なことでしょう。
無理をしていても長くは続かないし、感謝の気持ちは起きにくいかもしれません。
それでも無理なことをしている時というのは、していることが好きなことや、楽しいこと、使命感を感じていたり、成し遂げたいと考えている事でしょう。
そういう時の無理は無理ではなく、努力を努力と感じないぐらい夢中な時かもしれません。
感謝の気持ちを持てないし、今は苦しい。
そんな時に、頑張ってありがとうを言うのは辛いと思います。
だから、無理をして感謝をしなくてもいいのかもしれません。
ただ、同時に不平や不満を言わないことも大事です。
今ある現実をただ見つめ、それにプラスもマイナスもつけない。
すぐに答えを出そうとせずに、評価をするのを一旦やめるのです。
そして、気持ちが落ち着くのを待ちます。
時には時間が解決することもある、ということを覚えておけば、それもまた一つの解決方法なのかもしれません。
いかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!
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