あまあま
自分を奮い立たせるときに、叱咤激励することがあると思うのですが、叱咤だけになってしまっていないでしょうか。
というのも最近特に、自分に厳しい人が多すぎるような気がするのです。
自分に厳しく、他人に甘く。
と、よく言われますが、
自分に厳しい人の多くは他人にも厳しく、自分に求めるものが高ければ高いほど、他人にも同じものを求める傾向にあるように思うのです。
だから、自分に甘いということをよくないことと捉えるのではなく、他人に優しくするように、自分にも優しく甘くしても良いと思うのです。
人の良いところを見つけたかったら、自分の良いところも同じようにどんどん見つけてあげて、
人のことを褒めてあげたかったら、自分の事もどんどん褒めてあげる必要があるでしょう。
今は生きるとこに精一杯になってしまっていて、今日一日をなんとか無事に過ごすことしか余裕がないときもあります。
ついつい日々の出来事に必死になってしまって、考えるゆとりもないまま時間だけが過ぎていくときもありますよね。
だから、いろんなことを厳しい目で見てしまったり、ゆとりがなくなっていろんなことを叱咤することがあるのもよくわかります。
ただ人生は、効率よく過ごすだけではなくて、無駄を楽しむというか、生き急がないことも必要なのではないかと思います。
ですので、自分のことを激励することはあっても、叱咤しすぎないことが大切です。
では、無駄を楽しむってどうしたらいいのでしょうか。
一番いいのは、子供の時のような感覚を忘れないということでしょうか。
子供のころは何でも全力で、怒ったり、泣いたり、笑ったり、喜んだり、信じたり、
今考えたら、泥団子作ったり、していたことのほとんどが、社会で役に立たないことが多かったと思います。
そういう一見何も役に立たないけど、なぜか夢中になったり、とにかく楽しいことをする時間が、大人になっても必要だと思うのです。
こんなことしても何の役にも立たないとか、意味ないよ、とか思わずに、やってみようと思うことがあればどんどんチャンレンジしてもいいのかなと。
心にゆとりのある生活というのは、田舎に行って、自給自足の生活をしなければ得られないか、と言えばそうばかりではないです。
ただ、どうしても、時間やお金のゆとりがないと、心のゆとりも出てきにくいのは確かだと思います。
ですので、自分にとってゆとりある生活というのはどういうものなのかを探してみるのもいいでしょう。
それが、時間なのか、お金なのか、それとも、もっと別のものなのか、人それぞれに求めるものは違うと思います。
また、それを得なければゆとりを持てないというのではなく、もしかしたらすでにゆとりがある部分があっても気が付いていないだけということもあります。
自分を優しい目で見るためには、一体どうしたらいいのか、
ゆとりある生活をするための工夫、それを考えることを諦めずに、自分の幸福度を高めるために追求し続けてみるのも楽しいでしょう。
いかがでしたか。
自分に甘く、自分をゆるし、自分を褒めて、自分に優しく、をモットーにこれからも頑張り過ぎない毎日を。
今日もお読みいただきありがとうございます!
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