幸せ探し
幸せは一体どこにあるのでしょうか。
家の中?それとも外?
修業しないとだめ?
もしかしたら海外かな?
いいえ、幸せはみんなの心の中にあります。
それなのにどうして幸せを探しているの?
私の心の中には幸せがないから。
幸せがどこかに出かけてしまって、今不在なの。
ああ、どこに出かけちゃったんだろうね。
だから、あちこち探し周っているの。
時々戻ってくるときはある。
楽しいときとか、嬉しいときに。
だけど、それ以外の時間はどこかに行ってしまって、いつもいつも探しているのだけど、なかなか戻ってきてはくれない。
自分から探しに行くしかなくて、いろんなところに探しに行ってみた。
だって、幸せにはいつも一緒にいてほしいから。
(ずっと一緒にいるんだけどな…)
と、幸せが横でつぶやく。
私達が必死になって追い求めているものは、もしかしたらいつもいつもそばにいるのかもしれないですね。
目に見える物、形になっていないと認識するのは難しいかもしれませんし、時には周囲との比較の中で、幸不幸を決めてしまうこともあるでしょう。
ただ、一つだけ言えることは、いつも『ある』のです。
湧き出る泉、いいえ、間欠泉のように地下からものすごい勢いで、ずっとあふれて枯れることのない愛と幸福が、私たちの心の中にはあります。
もしも、私には感じられませんという人がいたら、イメージしてみるのも良いでしょう。
胸の奥で、たくさんの愛や幸福がこんこんと湧き出ている様子を。
もうどこかに探しに行く必要はありません。
誰かにどこにあるのかと聞きに行かなくてもいいのです。
他の誰かに分けてもらわなくてもいいのです。
なぜなら、ずっと一緒にいるからです。
今までも、これからも。
満たされている、すでに『ある』ということがわかると、それ以上求める必要はなくなります。
そして、すでに『ある』のであれば、出てくる思いは『感謝』です。
ですので、『感謝』は『ある』を認めたことになります。
そろそろ認めませんか。
すでに『ある』ということを。
哲学者プラトンはイデア論を象徴とする『洞窟の比喩』で表しています。
洞窟の中で、影絵を見せられていますが、見ている人はそれが影絵であることに気が付かず、本物だと思い込んで、洞窟から出ようとしません。
洞窟の外に出たら、それが影絵であることはすぐにわかるのに。
私達が普段見ている世界は、本物でしょうか、それとも影絵でしょうか。
幸せと愛の泉は洞窟の外にあるのかもしれません。
私には、皆さんの胸の奥で、愛と幸福がこんこんと湧き、溢れ出ているのが見えます。
今日もお読みいただきありがとうございます!
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