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児玉雨子さんの『##NAME##』はかつてのアイドルたちへの救済なのかもしれない。

⚠児玉雨子さん『##NAME##』のネタバレを含みます。そして圧倒的個人の解釈を含みます⚠

児玉雨子先生は好きな作詞家さんで、個人的には「面倒くさい女の子の心情」を書くのが誰よりも上手いという印象がある。
ちなみに"面倒くさい女の子"の心情でなく、"面倒くさい(女の子の)心情"。
誰しも抱えるなんともいえない、自分でも鬱陶しいくらいの心情。その動きを描くのが上手い。

そんな雨子先生の小説を開くとき、どんな感情と出会えるだろうっていつもワクワクしてしまう。

・・・

あまりにも息苦しい小説

読んだ最初の感想は「息苦しすぎる」だった。

幼少期のうまくいかない日々も、中学生のうまくいかない日々も、美砂乃との別れも、『両クス』の作者をめぐる事件も、理解しあえない知り合いも、指さして笑うクラスメイトも、検索して後ろ指さすような生徒の保護者たちも。

全部が息苦しい。雪那はずっと色々な人から下に見られるような時間を過ごしていて、ずっと息苦しい。その息苦しさを闇と表現するにはぴったりかもしれない。

ずっと息苦しい本作でやっと息継ぎできたのは、美砂乃との他愛もない会話とラストのシーンだった。

美砂乃はゆきをまっすぐ対等に扱う。だから楽しいし呼吸ができる。
きっかけはたまたまだったんだろうけど、美砂乃にとっても、特別扱いしないで下でもなくてまっすぐ隣にいるゆきだから良かったんではないかと思う。

いつまでも美砂乃が雪那にとって光な存在なのは
結局作中でまっすぐ隣にいてくれる存在は他には現れなかった、そのくらい貴重な存在だったからなのではないか。

ジュニアアイドルというのをしてたからこそ出会えた美砂乃は雪那にとって大きな光だった。

雪那の闇はなんだったのか

私が一番嫌悪を抱いた登場人物は大学の尾沢さん。

「そんなに嫌なら私が書いてもいい?絶対に、誰かが言わないといけないことなんだよ」

まるで正義のヒーローみたいな口ぶりの言葉。その一方でまるで雪那のジュニアアイドル時代を全否定するかのようなその表現はこちらまで苦しくなる。

ジュニアアイドル時代に雪那は一生懸命たしかに頑張っていた。努力が大きく実ることはなくても積み重ねていたという事実はある。
それに雪那にとって苦しい中にも楽しい瞬間があったし、美砂乃が眩しい日々だってあった。

大人たちのやり方はまずかった。だけど、当時を全否定するということは、まるで雪那の努力さえ無に戻すような非道な話だと思う。

雪那が自身で事実を告白するというならまだしも第三者から告白させるというのは勝手に人の過去を否定してるということ。

その後、雪那はゆきになった。

息苦しさからの脱出。ゆきという眩しい光。
ゆきになることで雪那が抱えていた辛い日々から、眩しさだけを引っ張ってきたような感覚を覚えた。

闇の時代、闇の日々と簡単に表現すると、
誰にでも確かに存在するポジティブな時間をなかったことにしてしまう。

ポジティブな部分をゆきが抱えて、闇の部分は雪那に持たせた。彼女はそうして明確にすることで、周囲が勝手に闇と認定した時間を、彼女なりに受け入れて消化したのだと思う。

「私の過去は"現代の闇"なのか?」
帯にある問いに自分なりに答えるとすれば、
雪那を闇だと指さした周囲こそが現代の闇だと思う。

名前は記号でしかないけれど

表題の「##NAME##」がなにかは割とすぐに答え合わせができる。
それは主人公の読む夢小説のもの。本来ならば自身の名前を入れるところを空白にしておくとこの記号が出てくるのだ。

雪那は空白にすることで読めていた。
自分の名前を入れると興ざめしてしまう、主人公の気持ちは個人的によくわかる。

二次創作の小説で進む物語と自分の人生が交わることはない。のに交わらせようとする違和感があるのだと思う。

雪那は空白の名前で物語を追うことで楽しさを得ていた。
そして自分の名前をゆきにして闇の時間から脱した。

名前なんて単なる言語でしかない。けれど、二次創作で名前というパワーの強さを感じていた雪那だからこそ、ゆきと名乗りゆきと呼ばれることへの意味合いの強さも確信していたんじゃないかと思う。

かつてのアイドルたちへ

ところで、ジュニアアイドルと児童ポルノ、そしてクリエイター問題を、アイドルソングの作詞家が描くってすごいことやってるよななんて思いながら読んでいた。

今は全くない問題ならいいけど、まぁなかなか今のアイドルの子達の写真集やグラビア(もちろん作中みたいな義務教育下でのああいったのはないとはいえ)だってアイドルとは何か問いたくなるくらい際どいものは多い。

だけど、本作は今のアイドルへの問題提起には思えなかった。

それはゆき自身に起こった出来事の一つであって、社会全体を問うてるわけではないからかもしれない。

もし、大人になったみさが苦しくなっていたら、ゆきのDMに答えていたら問題提起にも思えたかもしれないけれど、美砂乃は(あくまで作中では)不幸ではなかった。美砂乃は彼女自身の道で幸せを掴んだのかもしれない。

アイドルってなんだろう。

ふと作品を読み終えたとき、雪那を思ったとき、無数のアイドルを辞めていった子達を思い出した。

アイドル戦国時代には、研修生からデビューできなかった人、メンバーになれても選抜にならずに辞めていった人、小さなステージから上がれなかった人、思い通りの自分になれずに諦めた人がたくさんいる。

本人たちから語られる子はないけど、
それぞれの理由からアイドル活動を蓋をして闇に葬ってしまいたい子だってたくさんいると思う。

この作品の根幹にある「闇からの救済」
いわゆる性的な、もしくは法的な問題がなくてもアイドルが闇になって救済されてない人はいっぱいいる。

雪那は中学生で活動に蓋をして、大学生で脱皮した。

闇の実情はなんであれ、かつてアイドルだった子たちが同様に、アイドル活動を黒歴史になんかせず、それはそれとして受け入れて、今の景色を楽しむきっかけになるかもしれないとこの作品を読んで思う。

過去がどんなことがあったって、アイドル活動すべてを否定しなくていいんだよ、頑張ってた事実自体は消さなくていいんだよ、という著者からのエールが聞こえてくるようだった。

本作の最後の一文。ゆきとなった彼女が「うた」という言葉を表現した。アイドルから切り離せない「うた」をゆきが表現したのが大きな進歩だと勝手に思っている。

どうかかつてアイドルだった子たちも闇に溺れず脱皮してほしい。これは私のエゴでしかないけれど。


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