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誹謗中傷について思うこと

とあるテレビ番組に出ていた方が、亡くなった。私はその番組は見てはいないし、その方の本業の方の功績や活躍も知らなかった。典型的な、亡くなった報道でその人のことを知ったパターンである。
テレビに出ていた時の態度が気に食わない。それだけの(ほかにもあるのかもしれないが、私の目に見える部分にはそれしか見当たらなかった)理由で、SNSに誹謗中傷の書き込みが多数寄せられていたと聞く。
問題のシーンや、流れについても、本当にざっくりだが知ることはできた。映像も見た。
大切にしていたプロレスのユニフォームを乾燥機にかけられ、着れなくなってしまったことに、彼女は怒っており、そのシーンがきっかけだったという。
いや、待って。たいせつなものを傷つけられた彼女が怒っていたのは当たり前ではなかろうか。ましてや、彼女が「生業」としていたものに関わる出来事だ。プライドや尊厳に関わるようなものを穢されたり壊されたりした時、誰だって当たり前に傷つくし、怒って当然だと思っている。それに対し、きちんと謝ることもできない相手に強い言葉が出てしまうことも、ごく自然な流れだと思う。今回の件については、私は完全に彼女の肩を持つ(ただ、私はTwitterに上げられた切り取られた部分しか見ていないので、実際にずっと番組を見ていた人とは感じ方は違うかもしれない)

私は以前(今もかもしれない)ネット上で叩かれたことがあった。確かに私に非があった。原因になりうる行為を私がしたことも事実だ。ただ、そのあとはそれを改め、一切しないように務めている。それは今でも継続しているし、これからもそうしていく。一点の曇りもなく、胸を張ってバンドを応援したい。だから、メンバーにも、同じものを好きなバンギャルちゃんたちにも、迷惑はかけないように、マナーもルールも守った行動をするようにしている。

某掲示板には、あることないこと、事実とは違うこと、がたくさん書かれていた。なんでも私たちのせいにされた。でも、私は、私のことを好きだと言ってくれる人たちさえわかっていてくれればそれで良かった。だから、何を言われていようがどうでもよかった。大声で「それだけは違う!!」と否定したいことも何度も書かれた。それでも黙っていたし、平気だった。うそ。平気なフリをしていただけかもしれない。写真が晒されるかもしれない恐怖や(まぁ晒されたけど)、してもいないこと、身に覚えのないことでも、そこに書かれたら最後、それが「事実」となってしまうことへの憤りや悔しさ。私とTwitterで繋がっているだけで名前を挙げられてしまう友達への申し訳なさ。そんなものは常に感じていたし、多大なストレスにはなっていた。それでも、平気だと思っていた。負けてたまるか、と思っていた。
でも、私の心はある日突然あっさりと折れた。

「リプアカが晒されてるよ」

ご丁寧にも友達()が教えてくれた。その時、私の心はポッキリ折れた。メンバーのツイートに、自分のきもちをリプライで伝える。そのためだけに使っているアカウントだ。私の「好き」を伝える場所。それを晒されたのだ。
その時に、私の心はもう立ち上がれないくらいに打ちのめされてしまった。私の「好き」を、私のその気持ちごと穢された気がした。どうして。ただ好きなだけなのに。ルールを破ったことは反省してそれ以来改善もした。ルールもマナーもちゃんと守ってバンギャル活動をやっている。それでも。それでも、私の「好き」は、顔も知らない、誰かも分からない人たちから笑われなきゃいけないのか。私の「好き」は誰かから嘲笑われるようなものなのか。私の「好き」を嘲笑う権利がお前らにあるのか。どうして。同じものを好きなはずなのに。私の「好き」だけ、どうしてそんな扱われ方をしなくちゃならないんだ。私の心は、あの日、完全に折れてしまった。

その日以来、私はその掲示板を見るのをやめた。あの日から今日に至るまで、一切見ていない。
「バンギャルがここ見てないなんてありえない」
そんなのは、狭い価値観の中でのただの思い込みであり、“叩かれている本人が見ていて、ダメージを受けていて欲しい“という醜い願望でしかない。私は、一切見るのをやめた。私には、それしか、自分を守る方法がわからなかった。充分に傷つき、疲れ果てた末のことだ。あの時、私を叩いていた人へ。あの時の私は、多大なダメージを受けていたよ。何度も泣いたし、ライブに行くのが怖かった。写真を晒されたあと、遠征先の会場近くのドトールで行くのが怖くて開場ギリギリまでひとりで泣いていたこともある。私は、あなたたちに負けたのだ。だから私は、私の世界から、あの場所を“消した“。

彼女には、その選択肢はなかったのだろうか。もちろん、私とは、年も、職業も、生きている世界も、何もかも違う。だから、アカウントを消して、SNSから離れたとしても、それで解決するとは限らなかったかもしれない。それまでに浴びせられた罵詈雑言で心が疲弊しきってしまって、それで苦しんで、結果的に選ぶ答えは同じだったかもしれない。それでも、その場所から離れることで、遮断できるものもあったんじゃないか、と思わずにはいられない。実際に、私はあの場所を見なくなったことで、きもちが一気に楽になった。自分の中に存在すらしていない場所で何が起きていようが、私には関係ないし、知ることもない。知りたいとも思わない。良い友達に恵まれたもので、何か言われていたとしても、わざわざそれを教えてくるような子も今は誰もいない。これは大変にしあわせなことである。

粘着してくる人はどこまででも、どんな手を使ってでも叩きのめそうとする。そして今回は、実際にそうなってしまった。誹謗中傷を浴びせていた人たちは、さぞ満足したことだろう。自分が書いた言葉で、その差し向けた言葉通りに人が死んで、さぞせいせいしたことだろう。アカウントを消して遁走なんかしてないで、満足した、せいせいした、死んで当然、俺たちの完全勝利、と高らかに笑いながら、堂々と言ったらどうだ。そんな覚悟もないくせに。訴えられるようなことがなかったとしても、親指ひとつで人を殺したという事実と一生向き合って生きていけ。

私は、ここでの名前を叩かれていた名前と同じ名前で登録している。この名前でnoteをやるか、死ぬほど迷った。ライブレポをしたくて作ったnoteを、叩かれていた名前でやることで、また何か言われるのではないか。怖くて仕方なかった(まだライブレポ上げてないけど)でも、この名前は、もう20年近く前だが、だいすきな芸人さんがつけてくれたたいせつな名前だ。それ以来ずっと名乗っていて愛着もある。この名前はもはや私のアイデンティティのひとつだし、堂々と名乗れないような恥ずべきことも一切していない。そして、この名前も、私の「好き」も、誰にも否定させないし笑わせない。その決意も込めて、この名前でnoteをやることに決めた。というか、そもそも、叩かれようが何を言われようが、私の世界にはそんな場所は存在すらしていないのだ。何も怖いものなどない。

今回のこのnoteについては、叩きも晒しもどうぞご自由に、と思っている。こんなことを書いているんだから、何か言いたい人は必ず出てくるだろう(自意識過剰ですね🤗)安心して欲しい。私は見ないし、見ないということは特定をして訴えるなんてこともしない。存分に、好きなだけ叩けばいい。私の中に存在すらしていない場所で、私の中に存在すらしていない人たちが何を言っていようが、私にはまったくのノーダメージである。逆に、そんなところでまで私の話をしてくれてありがとう、くらいのきもちだ。来世では絶対友達になろうね。
なお、掲示板での叩き晒しは好きにしてもらって構わないが、このnoteのコメント欄に心無いことを書かれた時は、内容によっては然るべき機関に相談させていただくつもりであることを、最後にお伝えしておこうと思う。


木村花さん。私は彼女のことを何も知らないから、軽々しく「冥福を祈る」なんて言葉は言わない。ただ、木村さんが確かにこの世に生きていたことを、覚えておこうと思う。

あなたの死が、今苦しんでいる誰かを、救いますように。


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