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60年前の映画のロケ地へ 今ひとたびの『秋津温泉』

『秋津温泉』という映画がある。1962年の映画だ。
あるとき名画座でかかっていてチケットを買った。いい映画みたなと思った。昭和のメロドラマ。悲しい結末。明るい話ではないし魅力を聞かれると答えるのが難しいけれど、なぜかずっと忘れられないでいる。それが数年前の話だった。
映画の舞台は山奥の温泉地。岡山県にある「奥津温泉」がモデルとなっており、撮影もこの土地で行われている。60年前のフィルムの風景はどのくらい残っているのだろう。2022年だった去年、実際に行って確かめてみた。

(※2023.02執筆、2023.08再投稿)


奥津温泉への道

まず『秋津温泉』のあらすじから始めたい。
映画は空襲の焼け跡から始まる。学生らしい男・河本周作は病身のうえ戦災にあい生きる気力を失くしていた。死に場所を求めて訪れた秋津温泉で倒れた彼を、旅館の娘・新子は熱心に看病する。彼女との交流で生きる気力を取り戻した周作。想い合う仲になった二人だが、一緒になることはできず最後には悲劇的な結末を迎えてしまう。
17年という物語の時間の中、二人の逢瀬は片手で数えられるほどの回数だ。秋津温泉へ周作が新子を訪ねてくるという形で繰り返されるシークエンス。若い頃の真面目さを忘れてだらしない大人になっていく周作と、そんな彼を一途に想い続ける新子。死にたかった人間は緩慢と生きることを選び、生命力に溢れていた人間は最後に死を選ぶ。どうにもならない恋が、山奥の美しい自然とともに描かれる。

撮影の折には新幹線がまだなかったという。ロケ隊は寝台列車で岡山まで向かったそうなので、踏襲して自分も寝台に乗った。朝6時に岡山駅に到着。ここから奥津温泉を目指す。
作中、周作さんは何度も秋津温泉=奥津温泉へやって来ることになるが、彼が辿ったであろう移動ルートはそのまま残っている。岡山駅から公共交通機関で奥津温泉に辿り着くには「鉄道で津山駅まで」→「津山からバスで奥津温泉へ」というのが2022年現在も変わらない手段なのだが、このルートを同じように辿ると追体験ができる。
岡山~津山間の津山線は1時間に数本ペースで列車が出ているので、津山駅へコマを進める所までは問題ない。問題はバスだ。奥津ゆきの路線自体は残っているのだが、本数がなく、町から山へ向かう便がかなり減ってしまっている。コロナの影響かと思っていたら、少子化や人口減少の方が効いているらしい。今回は代替のコミュニティバス路線があったのでそれに乗った。少し違うルートを通るが、当時とほぼ同じ道のりで奥津温泉に行くことができる。
初めはたくさんいた乗客は、津山の市街地を出ると私ひとりになってしまった。減便も納得できてしまうのがさみしい。誰もいないバスの窓から穏やかな里の風景を眺めつつ、山へ向かう。

到着

津山駅から1時間半ほどバスに揺られて奥津温泉バス停に着いた。映画の通り、奥津橋を渡ると停留所がある。通りに並ぶのは奥津荘、東和楼、河鹿園と3軒の老舗旅館。建物はそのままではなかったりするが、雰囲気はあまり変わっていない。バスを降りると周作さんが初めて温泉地にやってきたシーンとそこそこ近い感じだ。奥津温泉。とうとう着いた。

大釣温泉

バス停で降り、今立っているのは奥津の集落の中心部。ただの温泉観光ならこの辺りをうろうろするだけなのだが、今回の目的はロケ地探訪。ここから新子さんの住む秋津荘へ行かなければならない。
作中の秋津荘は渓谷沿いに立つ和風の趣が立派な旅館だ。現実には大釣荘という旅館で、ここを借りて撮影が行われた。大釣荘は後々に旅館としては廃業してしまい、現在は「大釣温泉」という名前の日帰り入浴施設となっている。あの建物はもうないが、変わらない場所で営業中なのでお風呂に浸かりに行くことにした。
映画の中では秋津荘到着までに歩いたり走ったりするシーンが入り、町から少し距離があるような雰囲気がある。この位置関係は現実と同じで、秋津荘=大釣温泉はバス停から徒歩20分ほど離れた場所にある。というわけで歩く。

大釣温泉へ足を進める。町から離れて民家はだんだんまばらに。人はいない。車はたまに通る。道中、保養所や旅館の廃墟が数軒。いつも思うが、ひと昔前の人口の多さってどういうものだったのだろう。想像がつかない。
川沿いに歩いて橋をひとつ渡る。この橋は作中にも登場する。道は舗装されているが、枝木なんかがよく落ちていて山の趣。秋口だったのでまだ緑が元気でモサモサしていた。そこそこ歩いたなと思うころ、大釣温泉の建物が見えてきた。

小ぢんまりした古めの施設だが、食堂もお土産コーナーもあるので一通りの休憩ができる。入浴料は600円。 お風呂は小さいけれど渓谷沿いの景色がきれいだ。ここからの眺めはイコール秋津荘からの眺めそのものということになる。湯舟でしばしぼんやり過ごした。お客さんも多くはないが途切れずに来ている。続いてほしい。

般若寺温泉

映画の終盤で新子さんは秋津荘を手放す。好きな人も家業も、何も残らなかったことに打ちひしがれ孤独に過ごす日々。旅館のお湯を止めてしまったので隣の般若寺でお風呂を借りるシーンがあるが、その般若寺がここだ。元々お寺だったのが廃寺になった場所だそうで、温泉には今も入ることができる。
ここはほとんどそのままだ。新子さんが扉を開けて出てくるお風呂。母家。世間話をする縁側。お見合いで使った離れ。ご主人の現役のお住まいでもあるので写真は遠慮したが、映画のカットのまま変わっていない。60年経っている。感慨深い。
日帰り入浴は1時間貸切で1100円。温泉としても魅力的で、小屋の中の内風呂に加え、川の真横に露天風呂というシチュエーションで入浴できる。解放感がすごい。私は流石に脱ぐ勇気がなく足湯状態で使わせてもらったが、なかなかない立地でおもしろい。好きな人はかなり入れ込むタイプの秘湯ではないだろうか。

山奥でぬる湯に浸かっていると俗世のことなど別世界のように思えてくる。これは私が周作さんのように来訪者だからで、新子さんにとってはこの風景こそが日常だったはずだ。あんな男忘れて山を下りちゃいなよと言うのは簡単で、彼女はそうはしなかった。ここにいたはずの彼女のことを考える。

奥津渓

ラストシーンの撮影地、奥津渓へ。最後に新子さんは命を絶つ。その場所だ。奇岩の渓谷美が国の名勝に指定されている。名勝の石碑が立っているあたりがちょうどラストシーンの風景と思われる。わかりやすい。石碑はこの60年の間にできたものらしい。
ああいう悲しい結末なのでセンチメンタルになってこようと思っていた。しかし自然が元気すぎる。冬と夏という季節の違いなのか、映画では開けていたはずの道路脇にめちゃくちゃ草が生い茂っている。新子さんが倒れかかる木も多分あるのだが、草木がワサワサすぎてもはやよくわからない。「多分これ」みたいな曖昧な認識しか得られていないですが多分この辺です。
岩の上でふと足元を見るとやたらめったらでかいバッタがいる。本当に大きい。体長15㎝くらいあった気がする。一応、物語上のこととはいえ死んだ人のことを想いに来たはずなのだが、山の生き物が元気すぎて自然に圧倒される感じになってしまった。これでよかったのか果たしてわからない。思っていたのと違うことが起こるというのも行ってみないとわからない。

奥津の町

宿泊先は河鹿園にした。珍しくきちんとした旅館に泊まる。いつも適当な安宿ばかり使うので見るもの全てに対して「旅館だ」という感想しか出てこない。ご飯もお風呂もよく、川沿いの眺めのいい部屋で気持ちよく過ごせた。 朝、時間が余ったので旅館の例のスペースでコーヒーを淹れて飲む。インスタントなのにやけに美味しい。旅情を感じる。

奥津の町なかにもいくつかロケが行われた場所があるので面影を追いかけてみた。
「橋を渡って会いにいく/去っていく」場面がいくつかある。印象的だと思う。よく出てくる橋はロケ隊が逗留していた河鹿園のすぐ裏にあり、現場での合理性みたいなものも感じられて納得感があった。60年前はなかったホテル・米屋倶楽部が高台にできている。

旅館の裏手、川沿いに遊歩道があり、散歩にちょうどいい。うろうろしていたらアオダイショウらしきヘビがうねうねしているのを見かける。別の所で特大サイズのヤモリも見る。山である。 観光らしい観光はあまりできずに終わってしまったのだが、最後に花美人の里でお風呂に入った。こちらは比較的新しい入浴施設で、入浴料800円。横になって浸かるような浴槽があって心地よい。半分寝る。奥津のお湯は基本ぬる湯で気持ちいいのでだらだらと過ごしがちだ。一生温泉に浸かっていたい気持ちを振り落としながら湯舟を出る。
蒜山ジャージー牛乳を飲んで一服した後、津山へ戻ることにした。往路と同じく誰もいないバスに乗り込み山を下りる。あまりにも誰も乗ってこないのでそれこそなにかの映画のようだった。周作さんが味わったかもしれない寂寥を少しだけ理解する。

津山駅

津山駅もあまり変わっていない。駅前は小綺麗なターミナルになり、木のベンチの待合はコンビニになっていたが、ホームの古さが変わっていないので映像の残り香が少しする。

作中では東京行きが決まった周作さんを見送るシーンで津山駅が出てくる。
奥津からは近いようで遠い。津山まででも山から下りてきた感覚がしっかりある。現代だと岡山と東京なんて新幹線ですぐと思ってしまうが、その距離の入り口に立つと新子さんが悲しんでいた気持ちが少しわかる。今回わざわざ寝台を使ったのがここにきて効いた。遠さが身にしみるのだ。岡山に行くのすらそれなりに大変で、東京はもっと遠い。もう届かないかもしれない悲しさ、きびしさ。本当にお別れだったとわかる。
写真ではうまく写せなかったけれど、駅の空気感がフィルムの色にかなり近くて、別れのシーンの澄んだ色調を思い出した。いい天気でよかった。

さいごに

ありがちな聖地巡礼。といっても半世紀以上の時間が経っており、現地はどうなっているのだろうと思いながらの旅だった。都合で取りこぼしてしまった場所も多く、網羅的なものではないことはご理解いただきたい。
60年前の風景は意外に残っていた。建物などは建替があったり、映像と直接そのままではなかったりするが、往時の趣を味わうことに関してはほとんど差し支えがない。とはいえ変わってしまった場所もあり、例えば終戦の日のシーンに出てくる小学校はダムの造成で奥津湖に沈んでしまっている。60年という月日で、おそらくいろいろなことがあった。
現地を実際に歩き回ってみると、ほんとにここで撮ったんだということが腑に落ちる。それは自分が生まれるかなり前の出来事で、でもその光景は映像として知っている。不思議だ。本来到達できないはずの場所にアクセスができたような、なんともいえない感覚がある。

『秋津温泉』は主演の岡田茉莉子さんが自身の映画主演100本越えを記念してセルフプロデュースした映画なのだという。当時29才。若い彼女が女優業のキャリアを積んだ1950年代は日本映画の黄金期で、年間500本とか作られていた時期にあたる。今とは桁が違いすぎて想像がつかないが、そんな熱のある時代を経て、映画産業が少し下り坂に入り始めたころに『秋津温泉』は撮られた。
彼女が監督としてオファーしたのは吉田喜重氏。女優が今までにないものを感じたというその人は同い年の29才、駆け出しの若手監督だった。『秋津温泉』はそんな若い世代の手による映画だったともいえる。

月日は流れる。平成生まれの人間が名画座で『秋津温泉』を見るくらいには時が経つ。私事だが2022年、29才だった。1962年の29才のフィルムは2022年の29才に届いているということを言いたくてこの文章を書いた。忘れられない映画へ手向けるものとして、ここに記しておこうと思う。

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