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「フランチェスコ・トリスターノ ピアノ・リサイタル」@フィリアホール

7月6日、横浜のフィリアホールで行われたフランチェスコ・トリスターノのコンサートへ行ってきました。東京を第2のホームのようにして、ほぼ毎年日本へ来てくれるトリスターノ氏。個人的には、ゴルトベルク変奏曲を中心としたオールバッハプログラムであった2017年の所沢公演を最後にご無沙汰していたのですが、パンデミック期に出たフルアルバム『オン・アーリー・ミュージック(On Early Music)』(2022) が素晴らしくて、久しぶりにライブで聴いてみたくなりました。

プロフィール(公演プログラムより)

フランチェスコ・トリスターノ(Francesco Tristano)はルクセンブルク出身のピアニスト・作曲家。ジュリアード音楽院に学び、300~400年前のバロック音楽と20世紀以降の現代音楽、そしてテクノなどのエレクトロニック・ダンスミュージックを区別せず弾きこなすという、一見特異で、しかし筋の通ったヴィジョンのもと独自の表現を実践し続けているアーティストです。

もともとテクノとバッハとの間に共通する要素を強く感じていたわたしは、2010年2月の初来日時、まさにその価値観を体現する同世代のトリスターノの登場に完全にロックされ、以来注目しています。今までの来日公演については下記のような記事のなかで書きました。

ここ14年の間で、トリスターノ氏の試みの内容は微妙に変化しつつも首尾一貫しています。楽譜に書かれた通り端正にバッハを弾いたかと思えば、エレクトロニクスと内部奏法を使って中腰で踊りながら自分の曲を弾く、みたいなことが、決して耳目を集めるための一時の思いつきではなく、本気で人生をかけたライフワークとしてやりたいんだなということが分かってきた。

そのことは、今回のコンサートの翌日にオンエアされた角野隼斗さんとのラジオ番組の対談でも語られていました。曰く幼少期の時点で、初めてついたピアノ教師に対して「この先ずっとバッハと自作曲しか弾きたくない」と頑なに言い張っていたのだとか。それほどまでに!

最新作『オン・アーリー・ミュージック』は、特に去年、近所を散歩しながらSpotifyでよく聴いていました。コンセプトを深く知るなら、上記のインタビュー記事がおすすめ。古楽(Early Music)をテーマにした本作のなかで、トリスターノは、フレスコバルディやギボンズといった17世紀の音楽を学者が古典を紐解くようにしてではなく、気負わず、今ここにある音楽として生き生きと演奏しています。そこへ自然に紛れ込んでいる「トッカータ」や「セルペンティーナ」のようなある種"古風"な自作曲がまた良くて、今回初めて生で聴けるのを楽しみにしていました。

この日のプログラムは、前半はバッハの鍵盤楽曲を、後半はフレスコバルディのトッカータと自作曲、それからストラヴィンスキーという、まさしく古楽(バッハ)×現代音楽×自作曲によるトリスターノの原点のような構成。

フィリアホールは500席の小ぶりで音のいいコンサートホールです。今回は2階席で、奏者の向かって左上からクオータービューで見下ろせるような席でした。まさかこの日のためではないだろうけど、30年ぶりに楽器をヤマハのCFXに更新したとのことで(CFXはトリスターノが愛用を公言しているピアノ)、その意味でも期待の高まるコンサートでした。

前半のバッハは、いつものように歯切れよくリズム感抜群の端正な演奏。わたしはどちらかというとバッハの鍵盤楽曲はチェンバロで聴くけど、トリスターノのピアノはそれとまったく同じ耳で聴ける。モダン楽器風の誇張や装飾がなく、サウンドよりも譜面に書かれた通りのノートが沁みこんでくる感じ。大好きなパルティータ2番はイメージした通り全曲にわたって最高で、イギリス組曲第3番はガヴォット2を高速で弾いていたのが印象的でした。

フランス組曲とイギリス組曲については、最近自ら立ち上げたレーベルで全曲を録音していて、今後もバッハの鍵盤楽曲を網羅していくつもりらしい。わたしはトリスターノには古楽奏者のようなそういったアーカイバルな活動は期待していなかっただけに意外で、嬉しい。

休憩を挟んだプログラム後半はやはり自作曲が良かった。「セルペンティーナ」は低音主題に基づく短い変奏曲で、バッハがそれこそゴルトベルク変奏曲で示したような古楽の最も躍動的な「生」のエレメントを、跳ねるようなリズムのなかのバリエーションで表現しています。

祈りのような「RSのためのアリア」と、ダンスミュージックのような「トッカータ」も続けて弾いていて、ここは急ー緩ー急のまとまりも良く、キャリアとともに磨きをかけるトリスターノ作品の完成度の高さを感じました。

ストラヴィンスキーではまたがらりと変わって、繊細というよりもパワフルで力強いパフォーマンス。「タンゴ」と「ペトルーシュカからの3章」は初来日のときからレパートリーで、トリスターノの表現に特に深く根付いている作品らしく、一切迷いを感じさせない決断的な演奏なのでした。

アンコールはバレアリックなEDMを彷彿とさせるアンセム「パストラル」とフランス組曲からこの日演奏しなかった第2番のアルマンド。ここでも「バッハと自作曲」を貫き、老若男女幅広い層の聴衆を沸かせていました。

トリスターノの試みは一見異質なもの同士をくっつけているけど、実は根っこでは繋がっているから、例えすぐには理解されなくても、コンサートを重ねるごとにじわじわと浸透していくものだと思います。わたしが思うに、その根っこというのは「ダンス」という生のエネルギーへの欲求、そしてバッハが解き明かしてみせたそのエネルギーを生む「音楽の物理法則」への信仰です。引き続き、彼の活動に注目していきたい。


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