譜例1

J.S.バッハ作品にみるニンジャ象徴論的諸相:「マタイ受難曲」を題材に

本稿は、ブラッドレー・ボンド&フィリップ・N・モーゼズによるサイバーパンクSFアクション小説『ニンジャスレイヤー』をもとにしたファンメイド二次創作論文として、合同誌『ニンジャ学会』に寄稿したものの加筆修正版です。音楽コラムではなく、内容はフィクションです。

The hidden ninja cryptograms in J.S.Bach's sheet music

 J.S.バッハ=ニンジャ仮説を前提に、楽譜に残された象徴表現を具体例とともに読み解く。

Keyword: J.S.バッハ、音楽史、バロック音楽、フーガ、マタイ受難曲、象徴論、ニンジャ史観、スリケン音型、カラテソナタ、あの男

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 18世紀ドイツの作曲家、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)は、巧みな対位法や複雑なポリフォニーを用いて後期バロックまでの西洋諸国の音楽を総合し、古典派以降の音楽に広く影響をもたらしたことで、今日「音楽の父」などとして知られるところであるが、彼がニンジャであったとする説について論じた著作は少ない。バッハについての最初の伝記を著したフォルケルをはじめ、数多くの音楽学者が史料を基にしたバッハの人物像の解明を試みているが、いずれもニンジャとの関わりが疑われる部分の記述については慎重に避けられている。

 そもそも、生涯を通じて1,080曲以上もの作品を残し、教会音楽・世俗音楽を問わず声楽および室内楽のあらゆる楽器に対して優れた楽曲を残した人物が、一介のモータルであったとみるにはいささか不合理な点が多い。加えて、オルガンの即興演奏に際しては両手両足を用いて超絶技巧を披露したという記録もあり、そこに人知を超越したカラテの片鱗を窺うこともできよう。

 確かに、バッハは自ら創作を行い、また20人もの子供を残したという点で一般的なニンジャが有するとされる特徴とは一致しない。しかし、前者については既にいくつかの例外が確認されているほか、人類に普遍的なシステムを示したというニンジャ史観的側面におけるバッハの功績(あるいはより平等に"作用")に関して疑問を差し挟む余地はないだろう。後者については、バッハの子らが遺伝学上の血縁関係にあたるという証拠はなく、一族(クラン)の実態はある種のドージョーだったのではないかとする説がある。一千曲を超える楽曲群は、まさしくインストラクション・ワンの実践であると理解することもできる。

 また、次のようなエピソードをもってバッハ=ニンジャ仮説の傍証とすることも可能である。すなわち、肖像画でみられるあのカツラは実はメンポの一形態であり、カラテ戦闘時においては頭部全体を覆うフルメンポに変形するというのである。1705年、20歳のバッハがアルンシュタットの路上であるバスーン奏者と喧嘩になった際、この姿を目撃した人物がいたとの証言がある1)。それによると、黒い装束を纏ったバッハは雷のようなレイピアの一閃によってバスーン奏者をカイシャクすると、教会の屋根を伝っていずこかへ飛び去ったという。

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 だがいずれにせよ、バッハがニンジャであるか否かという命題に対して、上記のような状況証拠のみによって断定することは今もって困難である。

 ところで、バッハは敬虔なルター派キリスト教徒であり、作品のなかに彼自身の信仰告白として数々のサインを残した。それらは演奏として耳にしている限りは判別できないものの、楽譜を注意深く観察・分析することで、一定の修辞学的語法、あるいは独自の法則性に基づき特定の意味が込められているというものである。実際、こうしたテクニック自体は音楽と数学の関係が密接であった中世においては珍しいことではなく、バッハがこれらの語法に精通しており、なおかつ明確な意図をもって作品に採用していたことも、数々の先行研究から今日疑いのない事実とされている2)。

 では、仮に彼が同じ方法論を用いて、作中に何らかのニンジャ真実を忍ばせていたとしたらどうだろうか?

 以下、本稿は、バッハの代表作である「マタイ受難曲 BWV244」をいわばニンジャ象徴論的手法を用いて分析し、もって彼にまつわるニンジャ真実を解き明かす手がかりを示そうと試みるものである。

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バッハ音楽における象徴表現

 まず、ここでいう象徴論(Symbolik)的手法3)について概観しておきたい。前述のとおり、バッハの生きた時代において楽譜に暗喩を込めるというのは、神学的な観点からもごく一般的なメソッドであった。なぜならば音楽における秩序とは、数という世界を形成する基本原理が音の形をとって表れたものであり、そのルールを定めたのは他ならぬ神であると考えられていたからである。バッハは、3を神の数(三位一体)、4を人の数と規定したほか、7で聖性や恵みを表し、10で律法(十戒)を表現した4)。

 他に有名なものとして「BACH」の主題がある。ドイツ語の音名でこれが「♭シラドシ」を表すことから、未完に終わった「フーガの技法 BWV1080」の最終フーガのほか、バッハは特定の場面でこの音型を用いた。また同時に、「BACH」のアルファベットをA=1、B=2として数値に変換した合計数「14」を、彼自身を象徴する数として盛んに利用した。後述する「マタイ受難曲」の第63曲において、「ほんとうに、この人は神の子であった(Wahrlich, dieser ist Gott es Sohn gewesen.)」と合唱するバス声部のパートに14個の音符を配しているのは、その代表的な例である。

 他方、音符の配置に図像学的な意味を込めている例もある。オルガンによるコラール「いざ来ませ、異邦人の救い主 BWV661」などに頻出する、いわゆる「十字架音型」(4つの音符を2つの直線で結ぶと、十字形が現れる)がこれにあたり、こうした象徴表現を通して、バッハは神に捧げる音楽たる自らの作品に、意図的に信仰の証を刻んでいたことが分かっている5)。

マタイ受難曲の分析

 さて、「マタイ受難曲 BWV244」は、2群のオーケストラおよび合唱によって演奏される全68曲からなる大曲である。一般的な演奏時間は2時間半以上に及び、あらゆる意味においてバッハの作曲技法の集大成といえる作品である。台本は新約聖書「マタイによる福音書」から26、27章のイエス・キリストの受難を題材にしたもので、無実の罪によって捕縛されたイエスが、総督ピラトによる裁判を経て十字架刑に処せられるまでの各場面を、レチタティーヴォ(朗唱=語り)、アリア(独唱)、コラール(合唱)の連続によって、物語的に表現した作品となっている。

 この曲に隠されたニンジャの暗喩について分析するにあたり、早速先ほどのアルファベット数値変換を引いてみよう。前述のBACH=14のほかに、バッハはSDG(Soli Deo Gloria=ただ神にのみ栄光あれ)=29、MARIA=40、JSBACH=41などの数値を採用した実例がある6)。では、「NINJA」はどうか。当時ドイツで使用されたアルファベットはIとJを同じ文字として見做していたことから、13+9+13+9+1、すなわち「45」という象徴数が導き出される。

 マタイ受難曲において第45曲といえば、裁判の最も重要な局面を描いた場面である。ここではまず、祭りに際して囚人ひとりを赦免する慣習があることについて福音史家が説明したあと、イエスと並んで囚われた凶悪な殺人犯バラバを紹介し、イエスとバラバ、どちらを無罪放免にするかを総督ピラトが民衆に問う。すると、民衆は一斉に「バラバを!(Barrabam!)」と叫ぶ。これを受けて、ピラトが「では、イエスはどのようにすべきか」と問う(45a)と、民衆は残酷にも「十字架刑を!(Laß ihn kreuzigen!)」と熱狂的に応えるのである(45b)。これをもって、初めてイエスの十字架刑、すなわち死刑判決が既定路線として確定的となるのだ。

 この部分は、音楽的にもバス声部から立ち上がる強烈で恐ろしいフーガとして表現されている箇所で、続く第49曲の美しいアリア"Aus Liebe"との対比においても、マタイの最大のクライマックスといえる印象的な場面である。

暗躍するニンジャの影

 では、ここに隠されたニンジャ真実とは何か。筆者は、ここでイエスの代わりに赦された殺人者バラバこそがニンジャであったのだと推定する。バラバは、何らかのユニーク・ジツを用いて民衆を扇動し、イエスを十字架刑に、そして自らを無罪にするよう仕向けたのだ。無力なモータルはあまりにも容易く惑わされ、結果として不可逆の大いなる過ちを犯してしまう。この第45曲においてバッハは、バラバがニンジャであることを見抜いており、ニンジャの奸計によってこそ歴史は改竄されたと暗に訴えているのだ。

 そもそも十字架(Kreuz)とは何を意味するだろうか。2つの直線が直交し、四方が飛び出す形となった形状―そう、スリケンである。バッハ作品の十字架音型はすべて「スリケン音型」と読み替えることが可能である。

 また、十字架音型の他にも、バッハは嬰記号♯を十字架に見立てていたことが知られている。ドイツ語で♯を同じKreuz(クロイツ)と表すためであるが、ここで先ほどの第45曲b"Laß ihn kreuzigen!"の合唱パート譜を見ていただきたい(譜例1)。ニンジャ動体視力を有する者でなくとも、露骨なまでに多数のスリケンが飛び交っている様子が確認できることだろう。

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譜例1 ♯はすべてスリケンである

 別の例を示す。第1曲「来たれ、娘たちよ、われとともに嘆け」は、荘厳な合唱とともに幕を開けるマタイの代名詞的な楽曲である。この曲に込められた暗喩のなかで特に有名なものは「タータ、タータ」という重苦しい通奏低音の音型が、十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かうイエスの足取りを表しているというものであるが、当該箇所をニンジャ象徴論を前提に再解釈すると、これは明らかに「摺り足で間合いを詰めるニンジャ」を表したものである。

 また、これに続くE音(Erde=地上)から階段状に13音の上昇(13階段)を経てC音(Creuz=Kreuz)に達し、14音目で一気に1オクターブ下に至る音型は、通説ではイエスの受難そのものを表した音型とされている。だが、こうも考えることができる。摺り足で慎重に間合いを詰めたあと急上昇して諸共に落下する、すなわちこれは現代でいう暗黒カラテ奥義、アラバマオトシだ。まぎれもなくニンジャの御業である(譜例2)。

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譜例2 アラバマオトシ音型

 以上、マタイ受難曲の検証からは、ニンジャに関するいくつかの顕著なメッセージを読み取ることができた。導かれる仮説はこうだ。要するにマタイ受難曲は「マタイ伝の受難記事に基づくイエス・キリストの受難」を表現していると同時に、「ニンジャの暴虐によるモータルの受難(Passion)」をも表しているのである。何らかの手段によりその真実を知り得たバッハは、後世にその事実を託すべく、楽譜に警句めいたメッセージを込めたのではないだろうか7)。

 ところで、マタイ受難曲の台本自体はバッハ本人の作詞によるものではなく、彼の友人であり詩人のピカンダーによる。Picanderは「かささぎ男」を意味するペンネームであり、本名をクリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィ(1700-1764)という。なぜ彼は頑なに本名を使わず、この奇妙なペンネームを名乗ったのだろうか。筆者は、彼もまたニンジャであり、故に「ピカンダー」はニンジャネームであるとする説を支持するものである。アイサツをするさまを想像した際の語感の収まりの良さが、そのことの証左である。

結びに代えて:バッハはニンジャなのか

 ここで改めて、バッハ自身はニンジャなのか否かという当初の命題に立ち戻ることにしよう。図1は、バッハ本人が考案し使用したモノグラム(文字や記号を組み合わせた図案)である。この図案は、バッハのイニシャルである「J」「S」「B」と、それを鏡文字状に左右反転させたものを重ね合わせたものに王冠を配したデザインとなっている。

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図1 J.S.バッハのモノグラム

 ここまで拙論を読み進めていただいた方には一見してお分かりかと思うが、中央に描かれているのは4つのスリケン(◇)と、それによって構成された大きな1つのスリケンである。このことが何を意味するか、紙幅の都合もあり、敢えて本稿では触れないものとする。

 一方、バッハが用いたフーガについて考えてみよう。フーガ(Fuge)とは、ある声部に現れる音型のすぐあとを、別の声部がその音型を模倣し追いかける形で示されるという、対位法に基づく多声音楽における代表的な作曲技法である。バロック時代を通して広く好まれ、バッハも「平均律クラヴィーア曲集 BWV846-893」「パッサカリアとフーガ BWV582」など、自作のあらゆる箇所で巧みに用いたばかりか、「フーガの技法(Die Kunst der Fuge)」という形で拡大・縮小・反行・鏡像といった複雑極まる応用テクニックの集大成を自ら示して見せた。

 一説には、フーガとは「竹林のナリコ・トラップを避けながら高速戦闘する二者のニンジャ」にヒントを得て発明されたものであるという(譜例3)。であるならば、音楽によってニンジャを表現した例はバッハが端緒ではなく、むしろバッハはそれを体系化することでなんらかのニンジャ真実に迫ろうとしていたのではないだろうか。

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譜例3 高速戦闘するニンジャAとニンジャB
(平均律クラヴィーア曲集第1巻 フーガ ハ短調 BWV847より)

 バッハについては、一千を超す作品が知られている一方で、今日失われてしまった作品も多い。本稿において取り上げた受難曲に関してもまた、4つ存在したとされるうちのルカ、マルコが消失し、ヨハネ、マタイが残るのみである。

 現在、楽譜の一部のみが残されている「ソナタ ニ短調 BWV Anh.763」などは、ニンジャとの強い関連性が疑われる例のひとつである。この作品は、通称「カラテソナタ」として南ドイツのある小さな教会に伝わるもので、自筆譜には血の染みとともに、カラテアーツの秘儀が示されているという。

 このように、既に失われた楽譜に別の重大なニンジャ真実が隠されていた可能性は極めて高く、これに関しては、新たな一次史料の発見を待つほかはない。しかし同時に、今後は本稿で用いた手法を元に、現存する作品についても更なる解析が進むことを期待したい。

参考文献

1) ブラッドレー・ボンド編『バッハ・ザ・ウィッチハンター』シトネ出版社、2022年。
2) 磯山雅「数を数える魂」『バロック音楽』NHKブックス、1989年。
3) 鈴木雅明・加藤浩子『バッハからの贈りもの』春秋社、2002年、p.34。
4) 磯山雅「数と象徴」『J.S.バッハ』講談社現代新書、1990年。
5) 橋本淳・吉野秀幸「J.S.バッハの作品にみられる言語性とその表現」大阪教育大学紀要、2005年。
6) 杉山好『聖書の音楽家バッハ』音楽之友社、2000年、p.66。
7) なお『ニンジャスレイヤー』本編において既に「十二使徒のうち少なくとも一人はニンジャ」「最後の晩餐において天井裏から竹筒で毒液を落とそうとするニンジャがいた」などの指摘がある。詳しくは下記ツイートを参照のこと。
https://twitter.com/NJSLYR/status/145527703662104577
https://twitter.com/NJSLYR/status/242267127204175872

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本記事は、ニンジャ学会@ninja_academy_)が2016年12月30日に発行した『ニンジャ学会誌 895号』のために私R-9が寄稿した小論文に、参考動画などを付記したものです。学会誌の発行より所定の期間(半年)が経過したため、ニンジャ学会さまの許可を経てnote公開記事とします。

内容に関しては、以下の記事で細かくフォローしています。

『ニンジャ学会誌 895号』に寄稿しました
http://epxstudio.hatenablog.com/entry/2017/01/06/002009

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