見出し画像

リーダーの前提、Critical Thinkingを鍛える

人生の岐路に立ち、右へ進むか左へ行くべきか迷うとき、すっと決められないのなら、critical thinkingを使ってみることをお勧めしたい。

就活で悩んでいる人には非常に有効なスキルである。プロジェクトや世の中を動かしていくリーダーには必須のスキルだ。

批判的思考と訳されるCritical Thinking。私は英語のまま使いたい。英語のcriticalと日本語の批判的とは、だいぶニュアンスが異なるのだ。日本語の「批判」はネガティブな意味になるが、英語のcriticalはネガティブに限ったことではない。むしろ積極的な意味合いがある。

Critical thinking は日本の教育では教えていないし、訓練される機会もない。

私は世界中の様々な国からの人たちと一緒に仕事をし、多様なインターンの学生と関わってきた。Critical thinkingができる人は、新しい分野の仕事を与えられても、すぐにその道のマスターになっていく。できない人は、迷うばかりで全く前へ進めない。この差は天と地ほどもある。

Critical thinkingを鍛えるには、意見をぶつけ合う議論を何度も体験する必要がある。つまりディベートだ。日本ではディベートとは相手と意見を戦わせることと認識されているようだが、debateとは熟慮、熟考などの意味で、相手がある場合も自分だけの場合も含む。

自分の中で意見をぶつけ合うことをやってみてほしい。つまり自分の一つの考えに対して、徹底的に「それはおかしいのではないか」という意見をぶつけてみるのだ。おかしければ修正すればいい。そうやって自分の考えがだんだんとシャープになっていく。つまり論理が組み立てられていくわけだ。最初はなんとなくぼやっと考えいたことが論理的になってくる。これがcritical thinkingのメリットである。

まずは問いをたてる。そしてそれをきちんと問題定義するのだ。定義された問題とは、客観的、論理的に理解できる「問題のステートメント」だ。「ぼやっとした問い」と「定義された問題」の差は大きい。

次に、なぜそう考えるのか、根拠を客観的に引き出す。なんとなくではない。論理が大切だ。思い込みやバイアス、無意識で「当たり前」と思っていることを、これも自分の考えを客観視することで、掘り起こす。

そして感情を抑え、クールに論理だけを使うことだ。

自分が導き出した解が成り立たない場合はどのようなケースがありうるのか、解に辿り着けない可能性を徹底的に反証してみる。成り立たなければ、他にどういったことがあり得るかも常に吟味する。

自分がなにをどう考えているかを客観的に理解する。思い込みはないか。漠然とあいまいなところはないか。ロジックは成り立っているか。矛盾はないか。もしそうでなかったらどうなるのかという検証をしているか。

こういった訓練は自分一人でできることだ。

自分でこのような考え方の習慣とスキルがついてくれば、人と議論することもできるようになる。論理的な批判的質問によって、相手にさらに深く考えさせることもできる。だからリーダーに必須のスキルなのだ。

相手をcritical questionをぶつけることと相手を否定することは同じではない。これは英語で議論していると当たり前なのだが、日本語では相手が人格否定されていると受け取りかねない。そしてだんだんと感情論、時には低レベルの人格否定の応酬や揚げ足取りに終始してしまう。残念ながらこれは日本語特有、日本固有の文化の問題だと私は思っている。日本の国会中継と英語圏の国会中継を見比べれば、この差は歴然としている。

唯一の解決策は、議論を始める前に、ゴールとルールを言葉に出して確認し合うことだ。例えば「お互いに激しく意見を戦わせても、最終的に皆が目指していることは国をよくすることだから、冷静に論理的に議論しよう」などであろう。

最後に、民主党の大統領候補Barack Hussein Obamaが最初に大統領選挙を戦った相手、共和党のJohn McCainの選挙キャンペーンの一コマを引用しておく。

Obama氏のミドルネームはHusseinであって、彼が檜舞台に登場した頃、多くの人が中東のテロリストとの関連を想像した。こういうふうに思い込んでいた人が多い中、McCainは「彼は普通の市民で家族愛に溢れるいい人だ」そして「彼は大統領として恐るべき人ではない」との一言で共和党サポーターからブーイングが出る。マケインは「彼は非常にいい人だが、政治の根本に置いて私とは意見が異なる」と言っている。このTV放送を見たオバマ候補は「意見は合わなくても、互いに尊敬できる」と言い切っている。

考えが合わなくても人として尊敬できることは、Critical Thinkingができることと表裏一体であると私は思う。それによって自分の視野も考えの幅も広がるのだ。

Reference


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?