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音楽づくし「十三段」

うぐいすの鳴き声は誰でも知っていると思う。ホーホケキョ、である。しかし、これはだれが作ったのであろうか。

誰も何もうぐいす自身じゃないか。そう思うかもしれないが、実はそれには疑問点がある。インコを飼っている人なら分かるだろうが鳥は鳴きまねをする。これはメスがオスをその鳴き声の美しさで選ぶが、特にインコはより新しい鳴き声を好むからだという。そのためインコは流行歌のようなものがあり、一時は人の話声が流行った時もあるそうだ。インコに限らず、鳥は概ねこのような鳴き声の変遷が多少なりともあるらしい。
しかしうぐいすは親から子へ歌が伝承されるため、皆同じように鳴く。これは鳥にしては珍しいことなのだ。

つまりうぐいすの鳴き声は伝統芸能であり、有史からほぼ変わっていないはずである。しかし、枕草子「いとしきもの」の中には

春来たりて、うぐいすのきょきょとなく。

があるのは誰でも知っているが、鳴き方はきょきょのみであり「ほうほけきょとなく」ではないのである。さらに、方丈記にも「ほうほとなくうぐいすの、山へ響きたるは~」との記述があり、どうやら鴨長明の時代のうぐいすの鳴き方はほうほであったらしいのである。

戦国時代になるとお馴染みの「ほうほけきょ」が登場し、またその変形か「ほうけきょ」「ほうきょう」などがうぐいすの鳴き声として散見されはじめる。江戸時代では完全に「ほうほけきょ」のみがうぐいすの鳴き声として一般的に使われるようになり、以降現在まで変わっていない。

歴史にも造詣の深い動物行動学の権威・源輝幸教授によると、これらを含めた膨大な文献から考察するに、うぐいすの鳴き声は1500年以前まではインコほどではないもののある程度の鳴き声の変化や流行がみられたそうだが、1500年代に現在の鳴き声の原型が出来上がりそれ以降今まで脈々と受け継がれているらしいのである。

そしてそれに影響したのではないか、と噂されるのが室町時代後期に中村七郎左衛門によって成立した「龍笛二十四段」である。これは龍笛という楽器のための短い練習を二十四個まとめたものなのだが、この中の「十三段」が現在のうぐいすの鳴き声にそっくりなのだ。もともと十三段はうぐいすの鳴き声を模した曲というのが定説だったのだが、源教授をはじめとする研究者によりその順序が逆、すなわち十三段を模してうぐいすが鳴き始めたのだという指摘がなされ現在ではそちらの方が有力とされている。

これを根拠に十三段を「人類最初の自然破壊」とし、うぐいすの鳴き声を固定してしまった人間の自然界への悪しき影響を強調している自然活動家もいるが、それは誤りだろう。十三段を作った中村七郎左衛門も、それに魅入られた名無しのうぐいすもどちらも音楽を最大限楽しんだのであり、それ自体に何も問題はないのである。間違っているとするならばホーホケキョを至高のものとし、さらなる高みへ目指すのを諦めてしまったうぐいす達だろう。


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