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音楽づくし「ザ・シザーズ」

今に至るまでの日本のポップスやロックは、1970年前後に活躍したフォークロックバンド「はっぴいえんど」やそのメンバー周辺を中心に据えてよく説明される。それをはっぴいえんど史観という。

しかし先鋭的な音楽ファンの間でそれは著しい歴史修正だとの見方が強くなっている。はっぴいえんどは同時代的に全国で売れたわけではなく、世界的に売れたビートルズのように語るのはいかがなものか、ということだ。

だがさらにこの意見にも反論がある。すなわち「はっぴいえんどくらい今の音楽群に貢献したバンドが他にあるのか」という意見である。これを問われた反はっぴいえんどを掲げるファンはあたふたと趣旨の違う返答をするばかり。またはっぴいえんどじゃなければ何が妥当なんだ、という意見を言うとある人はグループサウンズ(GS)のあるバンド、ある人は演歌などと意見がまとまらない。はっぴいえんどに反対するほどの批評精神をもつなら反論にシザーズくらい挙げても良いものだと思うが。

ザ・シザーズはアングラGSの代表格であり、古くはザ・ダイナマイツやモップス、ミーツなどと喫茶店などで共演したらしい。オルガン主体の軽やかなサイケデリックロックを志向し、聴きやすさと前衛性を両立した。ポップ性から彼らは完全自作自演主義のアングラGS中で最も成功しており、今でもGSファンには有名なバンドである。特にシングル「サイケデリック・ラヴ」は1968年の国内シングルで年間10位という完全自作自演、最新の海外の潮流をとらえたロックとして驚異的な売り上げを記録している。この芸術精神と大衆からの支持の両立こそザ・シザーズが、現在まで続く日本の音楽の起点として最も優れている点である。

また当時からフォロワーは多く、内田裕也はKey.下野の英語詞を聴いてロックは英語という信念を持ったたというし、ユーミンの夫で知られる松任谷正孝がキーボードを志したのはシザーズのキーボード捌きを聴いたからである。そして細野晴臣が青年期最も影響を受けた国内音楽家と言われるのがシザーズのVo./Ba.高木であり、細野が最初期に組んだバンド・エイプリルフールは何を隠そうシザーズを目指していたのである。

しかしシザーズなんてバンドは聴いたことがない、という人もいるかもしれないが、それは大きく見誤っている。現在よく知られるはっぴいえんどが同時代的に全く知られていなかったことを考えればその逆だって十分あり得るし、そもそも彼らこそはっぴいえんど史観最大の犠牲者である。

そして何より、あなたは知らないうちにシザーズの音楽を聴いている。シザーズの熱心なファンによる追跡によれば下野はSONYのサウンドデザイン課で、高木はビーイングやジャニーズの作曲担当を渡り歩き、80過ぎていまだ現役という。名もなき作曲家として今も日本の音楽を牛耳る存在、それがシザーズなのである。

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