それでもやっぱり森本担への入場パス、もうちょっとおしゃれがよかった。


1.ありがとう、ごめんね、いただきますが言えること
2.自分よりも先に死ななそうなこと
3.自分の発言に責任を持てる人





はじめに

SixTONESの沼落ちブログにて『次は森本慎太郎くんについての沼落ちを書きます!』などとほざいた割にそこから4つもブログ出しているらしい。

何の考えもなしに言ってみたはいいもののどう足掻いても森本担爆誕の経緯が言語化出来ず、誤魔化すために『森本慎太郎くんについて考える!』なんてブログを書いて「森本担になった経緯を教えろ!」と言っていただいた方に送りつけた。
が、やっぱりこれは沼落ちじゃねぇ!!と自分の中で自分に対しての反乱が起きたため意を決して自我に森本担人格が芽生えし大して面白くない瞬間を雑に切り取って書いてみる。

MBTI診断的に私は自己表現が苦手らしいので多めに見てください(もっともそれらしい言い訳)。




誤:農家組合アイドル

SixTONESとの出会いと慎太郎くんとの出会いについては嫌というほどの文章量で書いているため割愛する。
詳しくはこちら↓

実態としての認識は“森本慎太郎”の方が早かったものの、SixTONES(アイドル)としての認識は“松村北斗”の方が早かった私はマスカラで見た危ないお兄さん(=松村さん)に誘われて諸々の映像資料、オタクによって積み重ねられた文献を漁った。
(話は逸れますけどジャニーズって本当にすごいですよね…オタクの積み重ねが圧倒的に多くてその上奥深くて、情報量と当時のオタクの解釈、感情の変動、考察って大体全部無料で見させてもらえる。本当に新規にはありがたすぎる環境が整備されすぎてて「母数が大きいってこういうことか」と感動を覚えたのを覚えています。)

最初に見たストチューブ『優しい運動会〜前半戦〜』で聞こえた「しんたろう」にどこか既視感を覚えたものの靄がかかったようにはっきりとしなかったことが少々疑問であった。
それでもやっぱり私は危ないお兄さんのギャップインパクトが激しすぎて特に答え合わせもせずにSixTONES街道を真っ直ぐに走っていた。

2番目に見たストチューブ『優しい運動会〜後半戦〜』にて大口開けてパンを一口で頬張り、鼻の穴を少し広げながらもぐもぐする慎太郎くんの姿を見た時に「シンタローだ!」とまるで天からのお告げがあったかのように気づくことになるのだが、正直「わかってはいたけれどシンタローってアイドルだったんだ!」という現実を急に見せられたことしか覚えてない。

私の中での優先順位は 村で何でも口にする農業青年がパンを一口で食べたこと<<<<<<危ないお兄さんがOLを絶妙に捉えてIC決済を演じていたこと であった。


樹くんが帰れマンデーのロケで女子高生に会った時に「(SixTONESの中で1番好きなのは)森本慎太郎くん」と言っているのを見て「変わったJKもいるもんだなぁ」とさえ思ったのを覚えている。(本当に失礼)
ただ言い訳をするとすればシンタローと森本慎太郎が結びついたところでやっぱり私のなかで先行するイメージは農作業しているシンタローだし、アイドルとして女子高生に好きと言われている姿というのが本当に想像できなかったのである。

噛み砕いて言えば大手アイドルプロデュース事務所が新規グループを結成する際に新たな風を吹かせるため農業組合でイケメンと評判の若い兄ちゃんをグループに入れたくらいの感覚なのだ。
実際に蓋を開けてみればアイドルグループから選抜されたメンバーの1人が農作業をしているという状態だったわけだが。




ジップスライド

人生の転機はいつでも突然に訪れる。
危ないお兄さんが実はただの甘えん坊やで話が長い不憫な語彙力宝庫柴犬だと少しずつ理解しながら見漁っていた過去のYouTube。
その中でこの世に生を受けてから1度でも森本担人格が芽生えた全人類に対して孫世代にまで語り継がなければならないという使命を生み出した『北斗があんな楽しそうなんだもんなぁ。来て良かったですね!』発言回を目の当たりにした。

ただのジップスライドを楽しんでいる人を目の前にしてあんなにも無垢に輝く眼差しを向けられる若者など、この廃れた現代には珍しい。
これは【いい奴】どころの騒ぎじゃない。

三次元でここまで作り物ではない目のハイライトを見ることなんて今までの人生において存在しただろうか。
太い眉毛を嬉しいという感情を思いっきりのせて動かすな。
そして『来て良かったですね!』の勢いと心の中から飛び出てきたその感情の勢いを閉じ込めた時の口の結び方もけしからん。
いい奴な部分見せた後に無自覚に可愛らしい口の結び方をするな。

アイドルとして、というか人間として良すぎるだろ。これは好きだ。間違いなく。

と、普通の人であればここで森本担になっているはずなのだが、ここで約7ヶ月SixTONESを推すことを渋っていた人間がそう簡単に森本担人格を認めるはずがない。
私はSixTONESというグループが好きなだけであって、担当をもつなどといったアイドルオタク街道をそう簡単には歩かない。私は人を好きになったというわけではなく、この人たちが作り出すエンタメが好きなんだ。と言い聞かせる間もなく『みんなぁぁぁ!いぃぃいぃぃぃ?』のバカデカボイスに爆笑した。




すじこおにぎり

自分に芽生えつつある森本担人格から目を背けながら、それでもYouTubeを見る中で「もう森本担人格を受け入れよう」と森本慎太郎の魅力に魅せられて観念した瞬間が明確にある
それがジャニーズJr.チャンネルで2019年3月4日に公開されていた《SixTONES【セブン-イレブンおにぎりランキング】全て当てるまで終われません!!》を見た時。


この動画で森本慎太郎はとんでもない事件を起こす。
2巡目、第9位が【熟成すじこ醤油漬け】であることを当てた後、すじこおにぎりを口いっぱいに頬張り一口目にして具材をメンバーやカメラに向けることなく消滅させるのだ。
そのすじこおにぎりのすじこを一口で消滅させた瞬間、間違いなくこの瞬間に私は森本担になった。
この人絶対私より先に死なない」という確信をすじこ一口消滅映像から画面を通じて心の臓の奥深くまで感じた。

私にとって【食】は生命の象徴である。
食べることは生きること、とよく言うが慎太郎くんの食べっぷりには古来人類から通ずる生命力を感じざるを得ない。
「いただきます」ときちんと言って口いっぱいにすじこおにぎりを美味しそうに頬張る姿は感謝と生命力を同時に感じられる、まさに私のオタク心に一直線にぶっ刺さるシーンであった。

それまでに大我さんに背中を押されて大きな口を開けながらみかんを持つ北斗くんに本当に食べていいのか目で伺った後でパクッとくわえて上を向いてからみかんを跳ねさせて口に入れる様子を見たり、ジャニーズJr.チャンネル時代のYouTube生配信で喋っている人を見るが故にテンポの良い会話でキョロキョロしている様子を見てしまっていたのも明らかに良くなかった。
きょもほくが隣り合わないように気を遣ってトイレに行ってみたり、カンガルーの顎下を撫でて口が開いちゃったり、乗馬でお馬が女の子だとわかった瞬間に申し訳なさを感じたり、心霊企画で幽霊に寄り添っちゃったり。
そんなの夢恋桜すぎて、私の心にJaponica in your heart 案件だろ?!(参照:すとーんずのらじお イントロDE曲紹介)

良い。良すぎる。愛しか感じない。
私が好意的に感じる人のポイントである““自分の人生を生き抜ける生命力(目の輝き)””に加えて、その人を心の底から応援できる人間としての成熟度表舞台に立つ職業を肩書きとした人物としての英邁さが兼ね備えられすぎている。
そんな彼の本当の存在に気がついた時、もうこの人を応援しなければならない、そう思った。

自分の欲するものと彼の中に存在し、彼から生み出されるものがここまで合致してしまっては応援しないというほうが不可能であるし、何よりもその合致を見逃して一歩下がったところで応援するなんて言う甘ったれた生温い考えを誰よりも私が許さなかった。
彼の生み出す善いものしか受け取らないその距離感ではきっと満足できないし、少しの期間ではあるもののそれを生み出す彼の苦労や感情の変動を受け取って輝きを浴びた人間として善いものしか受け取らないと言うのは自分にとって都合が良すぎた。

彼の生み出す善いものだけが見たいわけではない。
だから森本慎太郎のオタクになった。




《求》沼落ちセンス

今までずっとどんな人にも松村担だと間違われ、森本担だと言った途端に意味がわからないと言う表情をされたり、驚きのあまり発狂されたり、ジェシーくんだったら『目ぇでっか!』と言うほどに目を見開かれたりした後に必ず「なんで?ほんとにわかんない、あんたみたいなタイプ絶対松村担だよね?いつから森本担になったの?」と聞かれた日々を思い出す。
その度に笑って誤魔化してきた。間違っても「おにぎりが…」なんて言わなかった。

本当はもっとおしゃれな沼落ち理由がよかった。
ライブのワイルド慎太郎くんに落ちて、とか、鉄腕DASHの年功序列気遣いシンタローに落ちて、とか、だが情山ちゃんで俳優森本慎太郎に落ちて、とか。
もっともっと尤もらしいきっかけはたくさんあったはずなのだ。
それでもやっぱり私はどう取り繕ってもすじこおにぎり出身の森本担である。

きっと今後すじこおにぎりを頬張る彼を見ることはほとんどの確率でないであろう。
それでも私の森本担ライフの入り口であり、入場パスであるすじこおにぎりを頬張る森本慎太郎を受け取った時に私はもう心地の良い諦めと幸福溢れる敗北感に目を瞑った。




恐怖の幼少期

幼い頃に書いてと言って渡されたプロフィール帳をせっかく記入したのに返せずじまいだったものが先日自室から出てきた。
そのプロフィール帳の質問項目の1つだった好きなタイプTOP3に書いてあったのがこのブログの開幕を飾った謎の3行である。
この頃の“好き”は恋愛的な意味というよりも“憧れ”とか“尊敬”という部分が大きかったような気がするから私の現在の推しへの感情とほとんどかわらないように思う。
今言語化したことで冷静になって考えれば、その3つを好きなタイプにあげる小学校低学年怖すぎる。もっと単純なのあっただろ。
というかその頃から今まで好意的に見るタイプが変わっていないのも怖い。その頃から成長してないってことなのか。




願わくば

日常において苦しいこととか辛いこととかってたくさんあって、それを苦しいと思うか辛いと思うかの問題なだけできっとある程度決まった量がひとりひとりに配分されているんだと思っている。(否、ある時からそう思わずには生きていけなくなった。)
だから慎太郎くんにもきっとネガティブなことが私たちと同じように降りかかっている時もあるんだと思うし、そのネガティブに悩むこともあるんだと思う。
そこから守ってもらうために信頼する人が上に覆いかぶさって自分に刺さるはずだった鋭利なものが他の人に刺さってしまうことを慎太郎くんは望まないんだと思うし、私も自担だけが守られればなんでもオッケーみたいな単純明快な人間ではない。というかそうやって考えられていれば今までにこんな長ったらしい文章書いてない。

でも、それでも、だからこそ、どんな刃物も通さない傘に一緒に入れてくれる人やできた傷を丁寧に消毒して絆創膏を貼ってくれる人、痛いって正直に言わせてくれる人、笑わせて忘れさせてくれる人。
慎太郎くんが息をする彼の世界が少しでも多くの温かい人たちに肩抱き抱えられて支えてもらいながら生活していてくれればいいなと思っている。



今まで言えなかった分、もう一度言わせてもらおう。
私はすじこおにぎり出身の森本担です。

これからも慎太郎くんが沢山降り注ぐ幸せを力強く掴めますように。


かくいう私はすじこが食べられません。


2023.07.20  えぽ


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