シンタローが自担になった人が森本慎太郎くんについて考えているだけの話

様々な先輩方をバックにつけて歌って踊っていた慎太郎くん。
周りのJrが恐る先輩のお膝に座っていた慎太郎くん。
小学生の時に高校生の取り巻きがいて守られてきた慎太郎くん。
年上後輩Jrに恐れられてきた慎太郎くん。
華やかなお仕事が増えるのと比例してお友達が減っていった慎太郎くん。
“人よりもお仕事が多い”という経験をしてからある時を境にお仕事が減っていった慎太郎くん。

そんな彼が末っ子として存在する SixTONESを愛おしいと思わないわけがなかろうが。


鉄腕DASHシンタローからSixTONES森本慎太郎

彼の存在を認識したのは鉄腕DASH
正直ただの顔が濃いスタッフだと思っていた。

というのも鉄腕DASHは割とスタッフ巻き込み系番組だ。
スタッフに愛称がついたりタレントと同等もしくはそれ以上の働きをすることだってある。
だからランボー、コマンドー(ご卒業おめでとうございます)と並ぶスタッフだと認識していた。(ひとつ無駄な話をするとすれば私はAD足立さんがツボだった。今どちらでご活躍されているのだろうか。)

だからもちろん家族の会話に出てくることもあった。
「シンタロー頑張ってるね〜」くらいだったが。
特に強い印象もないけれど、我が家でシンタローは割と好印象だった。
よく笑い、よく食べ、よく動く。敬語も使えてお礼も挨拶もしっかりとできる。
いわゆる好青年といった感じ。
うちの母はもはや昔からよく知る近所の子のように見ていた。

そんな中で特別覚えていることと言ったら、人のことをあまり口に出して誉めない父が番組を見ながら「シンタローは光るものがあるな。」とぼそっと言ったことだけだ。
まあその時には既に多くの人にその光る部分が見つかっていたわけで。

シンタローがどうやらただのスタッフではないらしいと知ったのはデビュー前後の田植え。
今までスタッフだと思っていたがどうやらシンタローはCDを出すような芸能人らしい、ということを理解した。
まだジャニーズだとは思っていないのだが。
明確には覚えていないが一緒に田植えをしているお婆さまに「Imitation Rainは私みたいな年齢でも聞けるのか」的なこと言われた時に弾けるようなとびきりの笑顔とフレッシュかつ嬉しそうな声で「今度持ってきますよ!」と答えていたのを見て、素直で良い子そうだなと漠然と思ったのを覚えている。

そこから鉄腕DASHシンタローとSixTONES森本慎太郎が結びつくまでにはそれなりに時間を要する。
初聞ST事件の時も初めてマスカラを聴いた時さえ、私はシンタローに気がつかなかった
だっていつもは農作業に勤しんでいる青年があんなにメロいキャラメルボイスで歌うなんて誰が想像できる?
結局結びついたのはストチューブを見た時。
何回もみんなに慎太郎と呼ばれていて、やっと慎太郎とシンタローが同一人物なことに気がついたのだ。




専売特許

SixTONESの末っ子があのガタイの良さと眉毛の濃さを持ち合わせている森本慎太郎だという事実がヤバい。

グループ結成のきっかけになったドラマで主人公を演じ、SixTONESのためなら1人でも戦うと言った森本慎太郎がSixTONESの末っ子という事実がエモい。

末っ子の名前の前に結構な割合で“““うちの”””とつけて、繊細さと真面目さを否定せずに包み込み、余韻に揺れる末っ子を愛おしそうに笑うSixTONESがメロい。

結局のところ何が言いたいのかと言われたら、SixTONESの末っ子である森本慎太郎くんが愛おしいし、森本慎太郎くんをSixTONESの末っ子でいさせてくれる兄たちが尊いというだけである。

いきなりになるが、末っ子というのはただの兄弟間においてもグループ内においてもその肩書きを持つものを自由にする作用があると思っている。
何かあれば事あるごとに兄たちに尻尾を振って報告するし、兄たちが許されない行動も末っ子なら「末っ子だから」で角が立たずみんなが丸く収まる。(その特権をわざと使って兄たちを守るようにする姿を偶に見ると健気な末っ子も感じる。)

その自由さというのはただその人の周りにいる人々が全員年上だから余裕を持っているという理由なのか、はたまた本人が周りの立ち振る舞いや失敗を見て自然に学びどこまでの自由が許されるのかということを本人が意図せずとも見分けているからなのか。
どちらともが重なってということも考えられる。
その末っ子という理由でしか許されない自由があり、その自由さを羨む兄姉がいればその自由さを可愛がる兄姉もいる。

慎太郎くんの場合、自由に動く範囲はその人に対してどれだけの信頼関係があるかというところで決まっていると思っている。
それは彼が家族の中で真ん中っ子なのが作用しているのか、または小さい頃から芸能界という荒波に揉まれてきて培った能力なのか。どちらにせよ彼が得てきた経験が作用しているのであろう。

その中でグループにいるときの彼の自由に動く範囲はとてつもなく広い。
グループの中にいるときは自分が末っ子であるという自覚を存分に発揮し、そして周りも自分は年上であるということをどこかで自覚し、末っ子である彼をとても微笑ましく見守っているように思う。
だから平気で直感のみの食レポをするし、話しかけたのに誰にも反応されなかったら開き直って誰もいないところに架空の人物を生み出し話し続ける。
絶対に守ってもらえるという信頼関係が生み出す、SixTONESの末っ子森本慎太郎の完成だ。

兄たちが彼を囲んでわかりやすく甘やかすということはあまりないし、慎太郎くんを包む空気は慎太郎くんが転んでも怪我をしないように柔らかくクッション性のあるものになっている訳ではないと思う。
それでも日常的に刺される細かい棘や時に現れる大きな針が実は繊細で柔らかい彼に刺さりすぎないように厚い毛皮を着させるのも兄たちだし、転んで怪我をしたときに手を差し伸べて立ち上がらせてくれるのも、慎太郎くん自身では放っておいてしまう怪我を消毒して絆創膏を貼ってくれるのも、代わりに泣いてくれるのも、軽く笑い飛ばしてくれるのも、黙って背中を叩いてくれるのも、全部兄たちなのだ。
だからこそ慎太郎くんは少し背伸びをしてでも自分がしてもらっているように兄たちを守りたいし、自分が守られているだけでは守れないと思っているから、今の自分ではまだ足りないと思っているから余裕が欲しい。
でもね、きっとお兄ちゃんたちはちょっと背伸びをして自分がしたのと同じように自分を守ってくれようとしている慎太郎くんに守られている部分もあると思うよ。

そして恐らくこれは彼が真ん中っ子というのではなく長年芸能界を生き抜いてきたことによって備え付けられた感性なのだろうが、彼は人に対する警戒心が強いと思う。
きっと幼少期から多くの人が裏切られてきたところもたくさん見てきているし、たくさん自分が裏切られてきたこともあるだろう。
そんな中で生きるもの全てが根っこから好きで真っ新な青空のような心を持つ彼は生物全てを疑いたくないし、自分が相手の嫌な部分を隠す雲を持ち合わせていないためにふと疑ってしまった時に傷つけてしまいたくないという感情を持つ彼がそれでもそのものを好きでい続けるための手段として警戒というものがあるのではないか。

そんな彼がSixTONESメンバーに向ける一切の警戒心を抜き取った純粋な目は、自分が誰よりも上に立っていた幼少期、他2人に比べて仕事がない組に含まれた思春期、同じグループになってデビューを掴み取った青年期。
一般的には考えられないほど果てしない時間と年齢にそぐわないほど持ち合わせる経験、それに伴って抱える苦楽を共にした彼らにのみ向けられる信頼度の高さを意味するものだということは言わずもがなであろう。




あの大きい輝いた目で見られたらなんだか嘘がつけない。そんな目をしている。
絶対に発言者の方を見るからテンポのいいキャッチボールが目の前で行われるとキョロキョロと黒目の動きがとまらない。まさに純粋無垢を体現したような目だ。
それでいて時々目の奥に見えるは彼の何なのだろうか?
生命力で満ち溢れ、もはや森本慎太郎の目によって人類全てが生み出されているのではないかと思うその輝きと力と愛を詰め合わせたような彼の目は時に全てを塗りつぶしたような黒である。
しかし霞んで濁った色ではない。真っ直ぐででも何も映さないような、何物も取り入れないような、そんな言い表すのであれば“漆黒”。
大きく輝いた生命力溢れる目の奥に黒を飼い慣らしている人間がただものな訳がないであろうが。

ただ先に断っておきたいのは彼の笑顔や明るさ、ポジティブな精神が偽物だといっているわけではないということ。
彼の魅力の一つは相反する性質がたくさん詰まった人物である、というところだと思っているためその片方のみが本物でもう片方のものは作り上げられた偽物であるなんて微塵も思っていない。
もしどちらかが偽物だとしてもそれがわかるのは本人だけだろうし、本人もきっとどれが本当の自分なのかはきっちりと線引きできるところまで把握できていないのでは?(あくまでも想像)

とまあある程度の誤解を恐れて予防線を張ったが本当にこれ以上でもこれ以下でもない。
彼のパブリックイメージであろう【明るい•笑顔•デカい•ポジティブ】という所謂正の精神は何にも侵されない“黒”という部分があるからこそ生み出されるものだと思うし、人の感情に人一倍敏感なのも、すごく気を遣うのも、誰よりも純粋なのも、その“黒”があるからではないだろうか。
彼の“黒”は彼が俯瞰するために大切な役割を果たしていると思っている。
そこあるから彼の人間味に深みが出るのだと思うし、彼が愛される理由なのであろう。
先述した通り、彼の黒は霞んで濁りのある腹黒さなどのネガティブな意味合いは持たない。
よく純粋と表される彼の真っ白の中に軸となる真っ直ぐな確固とした自分の曲がらない、誰にも染められない黒があるからこそ末っ子という立場を持ちながらも自由すぎず、曲がりすぎない彼がいる。
曲がらないその黒の部分こそが彼が純粋と言われる根底にあるのかも知れないなんて思ったりもする。
繊細で真っ白で他人の意見を取り入れる部分が多い彼に、少しでも他人をそう簡単には取り入れない““黒””があって本当に良かったと心の底から思うのです。




アイドル

さて、やっとのことで彼の職業に関してに手をつけることとする。
アイドルという存在とかけ離れたアイドルとして言い表されるSixTONESというグループに属する彼もまた、アイドルとはかけ離れていると表現されることが多いと感じる。
確かに一般的なジャニーズアイドルの枠組みの中で彼らは異端児だと思うし、だからこそアイドルが苦手な私が彼らに興味を持ったということもあるだろう。
しかしながらそれは最初の印象だけ。彼らを知れば知るほど彼らはアイドルなのだと思うし、アイドルという存在について考えが深まる次第だ。

彼にはアイドルである森本慎太郎を演じている瞬間をあまり感じない。
しかしそれでいてもアイドルを感じるのは彼に備わった先天的なアイドル性なのか、それとも幼少期に指揮棒を振りながら育てられた後天的なアイドル力なのか。
恐らくどちら共を掛け持つからこそ彼に本物のアイドルを感じるのではないだろうか。
彼が笑えば私も笑えて、彼が嬉しそうなら私も嬉しい。『あなたたちが幸せでいなさい。』と言われたら、沈んだ気持ちを継続させる時間がほんの少しかも知れないけれど短くなる。
そんな明るい感情をただの一オタクに譲渡してくれる彼がアイドルでない理由がない
元気で無邪気で明るい役回りって意外と精神削られる。
勝手に元気の源に設定されたり、少しでもいつもよりテンションが低ければ必要以上に探られたり。
彼の今までを考えると正統派でいることも軸の部分をうまく隠して演じ続けることもできたはずなのに、演じているように見せずにその役回りに徹してくれる彼のアイドルとしてのプロ意識には本当に頭が下がるし、そんな彼が分け与えてくれる(譲り渡してくれるの方が正しいのかは未だに解せない)明るさにとんでもない力があるのも納得だ。
そして何より器用にこなすその役回りの隙間にふと垣間見えるストイックさやいつまで経っても自分に満足しない貪欲さ、不器用さに心掴まれる。
本当に天性のアイドルだ。




パフォーマンス

大きく見える動きの中に繊細で細やかな仕草が見える慎太郎くんの踊り方が好き。
大きいのに雑ではなくて、でも小さい型の中にはまりきることもない。
自分の体全体が見えているかのようにスッと空白を残しつつはまる動きをする。
はまっているように見せかけて意図的に残されたその隙間にきっととてつもない興奮を覚えるのだ。
それでも素人がパッと見ただけではそんな余白は掴めない。
ただ生命力と明確な輝きに圧倒される。そんなアグレッシブなダンスが好き。

そして絶妙な表情管理。
くどくないかっこよさと魅せ方、彼が踊ると彼と一緒に音も踊る。音に許された踊り方ができるのは、経験と才能なのだろうななんて。
そして何より「楽しい!!!」という感情が音と一緒に伝わってくる。
好きなことをしている時の彼の瑞々しさは爽快感すらこちらに覚えさせる。
どうか彼が今後も自分の好きなように踊れる環境が続いて欲しいと祈るばかりだ。

彼の声が好きだ。と言ったらそれは彼にとって苦痛なのではないかと考えた時期があった。
それでもやはり私は何度でも彼の声に魅了されるし、彼の声が耳に触れるたびに心地よい風が吹く。
苦しげに切なげにそれでも明るく取り繕うような声で歌う失恋ソングなんて良いに決まっているではないか。
末端の末端に属するオタクが烏滸がましく彼に無理にでも自分の声を好きになって欲しいなんてそんな身勝手なことは言えない。
それでも私が彼の声を好きだということは紛れもない事実だ。
いつまでも自分では埋められない心の隙間をさりげなく埋めてくれるような焦がれて惹かれる声の持ち主が自担だと言うことに喜びしか感じない。
なんて激重感情をぶつけてみました。




虚栄

最近なんだか辺りが騒がしい。
私はというと飛び交う弾丸が自分に当たることはなく、当たっていてもその痛みを感じないような距離感で生活している。
脳天気なくせして撃たれ強さとは真逆な性質を体の大部分が締めている人間としてある程度の自衛は義務だと思っているから。
ただ好きな人たちを好きだと思う感情を義務にはしたくない。
義務にしてしまうのはもったいない人たちを好きでいる自覚も、そんな人たちが生み出す作品を好きでいる自覚も有り余るほどある。
だからこそ、もりもとーくに出てきた親子丼の味は濃そうだなんて勝手な想像をしたり、でも鶏肉はちゃんと柔らかくなるように作っていそうだなんて思ったり、時々見かける近所のシェットランドシープドックに心の中でシェリーさんと呼んでみたりして負の方向へ傾く体をなんとかして立てなおす。
心の端が黒く滲んでも今日も今日とて慎太郎くんは愛おしいし、SixTONESは愛らしい。
たかが末端のオタクなんてそれだけで十分なのだ。



ふと思ったこと

なんだか慎太郎くんに対する激重感情をぶつけただけのブログになってしまった。誰得だよ…と言う感じは拭えないけれどひとまず心の整理ということでお許しくださいな。
しんどくならずに自分のペースで。

2023.05.17 えぽ


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