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仲田の英語学習コトハジメ(4)

いよいよ始まる!

8月末のオリエンテーションも終わり9月に入りました。
授業が始まる直近の土日に多くのアメリカ人学生がキャンパスにやってきます。日本とは違い90%以上のアメリカ人学生は学生寮ないしキャンパス周辺のアパートに暮らしており、自宅から通う学生はほとんどいません。ですので、学期中と長期休講期間では町の人口が全く違うという現象が起こります。

洗礼1

ルームメイトが誰であるかということは、事前に学校から伝えられていますので、自分のルームメイトはChad君というアメリカ人であることは分かっていました。彼は、Wisconsin州Green Bay出身で4年間海兵隊におり沖縄にもいたことがある学生でした。(アメリカでは従軍経験があると大学に通う奨学金が出るようです。)ですので、彼は1年生にも関わらず22歳でした。後に分かることなのですが、アメリカの大学には数年間社会人軽々を経て、十分学費を貯めてから大学に入学する学生も少なくありません。留学期間で一番仲がよかったロシア移民でユダヤ系アメリカ人のSlava(スラバ)君も、高校卒業後に4年間働いてからの入学でした。

で、ルームメイトのチャド君なのですが、沖縄滞在経験があるにも関わらず、全く英語を第一言語としない人間に配慮した(笑)スピードと表現で話してくれない人でした(悪気は何もないです)。めっちゃ速いし、口跡もはっきりしない喋り方なので、全然何を言っているのか理解できませんでした。しばらくは、部屋に戻るのが辛かったのを覚えています。

洗礼2

上で触れたSlava君と同じ寮にEric Aadland(アドランド)君というぶっ飛んだアメリカ人がいました。彼ともとても仲が良くなるのですが、最初の印象は「とんでもないヤツ」以外の何者でもありませんでした。そのEric君は、ルームメイトのChad君の更に上をいくスピードで話す上に、頭の回転が早いのか言葉数も非常に多く、まさにマシンガントークをする人でした。性格は極めて気さくで、やたらと話しかけてくるのですが、話すスピードがとんでもなく速いため、単語の語尾と次の単語が重なって言葉が出てくるので、めちゃくちゃ聞き取りにくいのです。それでもお構いなしに話しかけてくるので、彼と出会ってしばらくは「勘弁してくれ」と思いながら接していましたし、できれば会いたくないと思っていました。

まさか、彼とこの後、仲良くなり、彼の実家まで遊びに行き、とんでもない目に合わされるなんてことは想像もしていませんでした。その話はまた後日。

洗礼3

ついに授業が始まりました。自分は編入生であったため、いきなり経済学部の3年生相当の授業を履修していました。
内容理解が大変ということもそうですが、容赦無く授業中に発言を求められる、容赦無くグループディベートを求められる、容赦無くプレゼンを求められる、容赦ない量のレポートの宿題を毎回出される、容赦なく宿題のレポートを評価されるということで、最初の数ヶ月は本当に辛かったです。TOEFLの基準って一体なんなんだと思います。クラスの70%~80%はアメリカ人、留学生は20~30%という感じです。留学生も一部東アジアの学生を除いて、ほぼみんな英語はフルーエントで、自分は英語力で言えば学生全体の下位1%に入っているんじゃないかというくらいでした。どこかで、外国人である自分は優しくしてもらえるんじゃないかという甘えがあったと思います。しかし、そんなものは初日に打ち砕かれました。何人であろうが、ついて来られない者は去れという雰囲気がある厳しい環境でした。

自分はもう24歳になっていましたが、あまりの不甲斐なさに最初の数ヶ月は夜1人になった時に泣いてしまうこともありました。いや〜恥ずかしい。現実に、セメスターが始まって、数週間後に帰国してしまう留学生もいました。そんな姿を見て、羨ましいと思っていました。自分も帰りたいなあと。

打ちのめされるもんでしょ!?

と、怒涛のようにこれまでと異なる環境が押し寄せてきたのですが、不思議なもので、時間が経つと慣れてくるもので、数ヶ月もすると何とも思わなくなってきました。ですので、時折訪れる辛い瞬間と向き合って乗り越えられれば、自ずと問題は解決するものだということです。

何をやっていても、打ちのめされる瞬間というものはやってきます。偉そうなことを言うようですが、要は、そこにどうやって向き合うのかということで、その後が変わってくるんです。

次回はこのシリーズの最終回、アメリカでの学生生活についてお話ししたいと思います。