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小学生にぜひやってほしい学習。

中学入試が終わり、高校入試においても私立の入試はほぼ終了しました。ちなみに、今年は中学入試では開成、高校入試では筑駒に合格、受験生の皆さん本当に頑張っています!


フランクフルト教室が開講して3ヶ月ちょっとですが、中途半端な開校時期にも関わらず受験生をお預かりさせて頂くことができました。

まず中学入試を終えて改めて思ったのが、合格にこだわることも当然大事ですが、受験に向かうプロセスで学習する内容がやはり優れているなということです。

中学受験は何かと批判に晒されやすい制度ではありますが、それは過当な競争を煽ったり、子どもに強制させるような取り組みをしているからであり、中学受験用の学習内容の優位性はもっと広く理解されるべきでしょう。

なんで、この内容を全員学ぶようなシステムになっていないんだ??
もったいないですよ。

自分は中学受験をしていないのですが、この学習を小学生の時にやっていたらなあ、なんて今更ながらに思います。

確かに難度が高いことをやるわけですが、それが理不尽な負荷になるかというとそんなことはありません。
一部の難関高と呼ばれる学校では、必要以上に難度の高い問題を出す傾向がありますが、正直そんなモンはやらなくてよいと思っています。それどころか、そこまでやらないと子どもの能力が測れないなんておかしいと思っています。

とは言え、ある程度の難度のものに力の限りを尽くして挑戦していく経験は絶対に必要だと思います。

ちょっと手を動かせば全部正解になるような学習ばかりだと、間違いなくそのうち飽きてきますし、意味は希薄です。

みなさん、見たことありませんか?
漢字の書き取り練習をしている子どもが、例えば「希」という漢字の書き取りをしている時に、
「メ」の部分だけを先に10個書いて、その後に「布」を下に合体させている姿を。。。
また、とても易しい計算問題に取り組んでいるときに、答えを出した後、ほぼ解答も見ずに勢いよく「⭕️」を書き殴っている姿を。。。

あれ意味あります???

機械的な学習になると、究極的にはそうなってしまうんだなあと思います。
機械的な学習、それこそ機械学習によってAIがやってしまえるのですから、思考を伴わない学習はますます無意味になるんだろうなと思ってしまいます。

中学受験で扱う学習内容は、基本的にはそこに「思考する」というプロセスが付きまといます。
また、最近はソースを読み解き言語化してアウトプットするということも求められることが増えてきました。

これって、実社会でまさに必要なことだと思いませんか?
問題解決力ですよ。

難度が高い課題の場合、答えを導き出すまでには、通常このようなプロセスを踏みます。

仮説→検証→目処が立ったら作業を実行→解決
検証の時に方向性が違うなと思ったら、べつのやり方を試して、また検証するということになります。
トライアンドエラーを繰り返すこと。

と、こんなことを小学生のうちからやれるなんて、幸せじゃないですか?
受験するしない関係なく、こういう学びはやらないより、やったほうが良いとしか思えないんです。

中学受験の学習で自己肯定感が低くなるとか自信をなくす、みたいなことがよく言われますが、「なんで??」と思っています。

100%正解することを目指したら、そりゃそうなることもあるでしょうが、神でもない限り100%正解するなんて誰にもできません。逆に、ちょっとでもできれば「オレ、すげ〜」「わたし、神」と思えるわけですから、自己肯定感爆あがりの仕掛けでしかないように思います。

極端なことを言えば、中学受験をしないのに中学受験の学習をすることこそ最強だと思いませんか?
入試という重圧のない中で、これがやれるわけですから。

営業トークでもなんでもなく、本当にみなさん一度体感してほしいなあと、心の底から思っています。



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