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20代後半(女)、自分の人生に飽きを感じ始める!?、の巻

いつからか思い出せないけれど、20代後半に突入してから、なんか日々がつまらないな、と感じることが増えた。

2020年、コロナがはじまって、うちに籠る日々が増えたからかもしれない。そう思っていたけれど、ちょっとずつ日常が戻ってきてもそれは消えない。なんだろう?

大学を卒業し、職につき、なんとなく自分が好きなものがわかってきて、似合うものもわかってくる。付き合う友達も気の合う子だけになって、熱中できる趣味もある。だけど、なぜか、なぜか、心の真ん中にぽっかり穴が開いている。

ある時、職場の研修で、将来どういう願望があるか書き出してみよう、そこからビジネスチャンスを探してみよう、というものがあった。なるほどな。将来やりたいこと、住んでみたいこと、、、あれ、私何やりたいんだっけ、、海外で暮らしたい気もするけど、別に今も不満はないし、、そんなことを考えていたら、驚くなかれ、一個も願望が書けなかったのだ(!)

それに比べて、周りの子たちは出てくる出てくる。あったかい所に住みたい、宇宙旅行行ってみたい、〇〇がしたい、、

そこで、ようやく私は、私の心に存在するぽっかり穴に気付いたのだった。

結婚や子育ては、気が向いたらするかもしれない。仕事も、先輩たちを見ていたらなんとなく今後のキャリアが見える。そのために、必要な資格やスキル。出産するなら、今のうちにこういう仕事経験しておかないとな。最近の思考は、すっかりこんな感じだった。


全てを、客観視して見るようになってしまった。自分という人間を、空からもう一人の自分が見ている。今、必要なもの、未来に、必要なもの。そこから逆算して、今を考える。そしたら、全てが「計画された」「予想できる」日々になっていることに、20代後半になって気づいたのだった。

ときめきを求めて買い物に行ったり旅行に行ったけど、日常に戻ればそれはまた予想できる日々の繰り返し。心の穴はまたぽっかりと。

昔、ファッション雑誌のコラムで、「20代後半、キャリアに見通しが立って、なんとなく慣れや飽きを感じたときに結婚、出産を選択する女性が一定数いるのではないか」というものを読んだ。本当かどうかわからないけれど、人生の変化って、段々起こらなくなっていくものなのだろうということは、薄々と感じ始めている。

何よりも、客観視することで、何かにのめり込めなくなってしまった。仕事も、趣味も、休みの日も。今まで生きてきた、頑張ってきた自分自身の思考やスタイルに、自分が縛られる。自分がわかれば、楽に生きられると思っていたら、スタイルにがんじがらめになっていた。

客観視することって、結局、自分や誰かの物差しと、常に照らし合わせながら生きていくことなんじゃないだろうか?それって、何か縛られてないか?冷静でいること、計画的でいることを褒められすぎていることで、常に物差し、判断基準で客観することって、実はとても不幸なことじゃないだろうか?

一歩引いて見ることは、のめり込めなくなること。のめり込めないと、人生の時間が果てし無く長く感じる。予想ができなくて、周りがちょっと引いちゃうくらい信念を持って何かに熱中できるような、中学生や高校生のときに持っていたあの青春のエネルギー源は、私の中に生まれることはもうなくて。

自分がどういう人間か、どんな人生を歩むのか、そんなことは、何歳になっても決めないでいたい。

決め込まずに、のめり込むことを、これからも何度もしていこう。客観は、少しお休み。

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