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ブラックホール安楽死は死生観の新しい在り方を問いかけられるか

ビジョンがなんだと話しておりますが、試行錯誤を行なっても、その物語には終わりがきます。今回は自分の人生の終わりについて考えてみます。

一生は小説のようなものなので、始めと終わりが大切と考えています。
もし、私が自分の物語を締めくるのであれば、ブラックホールに入って最終章を締めくくる、ブラックホール安楽死で一生を終えたいです。

しかしながら、ブラックホールや安楽死には多くの課題が残っています。

ブラックホール安楽死とは何か

今回お話するブラックホール安楽死とは、その名の通り、ブラックホールに入ることで死を遂げることを想定しています。

本当に安楽な死であるかはわからないですが、自らの人生の終わりを選択するという意味を込めてブラックホール安楽死としています。

メリットについて考える

ブラックホール安楽死を行うメリットは3点。
1)炭素として地球に固定されない
2)存在することが無くなることが存在し得ない状態になる
3)2)の達成により、この死が何ものであったのかという、新しい命題を後世へ残すことができ、人々の認知のなかで存在し続ける可能性が広がる

1)私の知る限り、現在宇宙葬は国連の規定により禁止されています。一方で、宇宙での散骨は行われた例があるようです。しかしながら、これではCaのみの宇宙空間への放出に止まります。私は炭素Cというより汎用性の高い状態で時空を超えた旅に出たいと考えているため、これでは不十分な結果に終わります。

ただし、炭素で固定されないという意味では、ブラックホール安楽死ではなく、ブラックホールに遺体を投げ込むのみのブラックホール葬や、そのほかの方法でも目的は達成されるため、最も重要なテーマとは言えないと考えられます。

2)存在については諸説ありますが、私の中での存在の定義は、第三者から認識され初めて存在し得るというものです。(存在とは何か、ということについてはまた別の記事で記載していこうと考えています。)

ブラックホール安楽死により、私が存在することが無くなる現象がおきます。ただ、ブラックホール安楽死であるため、その存在がなくなる現象そのものが存在し得ない可能性が高いです。存在がなくなる現象が存在し得ないということは、存在がなくならない、存在し続けるというという捉え方もできるのではと私は考えています。

地球上には存在しなくなったため、地球上からいなくなることを死とするのであれば、この現象は私の死であったと考えられます。そこで問題提起できるのが、地球上からいなくなること以外を私たちは死であると呼べるのか、ということです。失踪であることは間違いないですが、生命が絶えたということはわかりません。

さらに、面白いことに、宇宙での時間は地球上と全く同じような物であるかはわからないです。宇宙や時間についての知見はまだ少ないですが、そこでなんらかの旅を続けた場合、私の死は地球上の時間軸におけるどの点での死であるか、相同性をどのように捉えるか考える必要が出てきます。

3)これらの命題を後世に残された人へ投げかけることで、人々の中に存在し続ける可能性が更に高くなるのではないかと考えています。しかしながら、もし、人々へ認知されて情報量の一つとして存在したいことが目的であれば、他の手法も検討する価値はあると考えられます。

自分が脳死や認知症となった時、どのような選択をしたいか、その選択を最も価値化できる方法を検討していく必要があります。

とはいえ、現状、最も良いかなと思うブラックホール安楽死の可能性について探ってみてからでも良いかと思います。ここからは、実際にブラックホール安楽死を行うために、何が必要か考えてみましょう。

どのようにブラックホール安楽死を実現するか

私のような一般市民がブラックホール安楽死をする方法は3つ。
1)ブラックホール安楽死プロジェクトを作り、自分の支出は少ない条件でブラックホールへ突入する
2)何らかの方法でお金持ちになり、ブラックホール安楽死を選択する
3)大気圏外へ出ることも、ブラックホールを作ることも安価になる未来に期待する

2)は私には到底無理であろうと諦めている状況です。
1)が最も有力候補であり、私はそのための仲間を集めることに注力せねばなりません。

周辺情報を調べて見ました。大気圏までは軌道エレベーターを用いて安価に到達できそうです[1]。ブラックホールは銀河系の中心に多いため、地球から到達するのは難しそうですが、人工ブラックホールをどうにかつくって試せば、なんとかなる可能性もありそうです[2]。

【引用文献】
[1]これが「現実的な」宇宙エレベーター?:カナダ企業が特許取得
[2]7年かけて作った「人工ブラックホール」でホーキング放射を初観測。ブラックホールが完全にブラックではない証拠になるか

人々の死生観を取り巻く安楽死という壁

しかし、先日インターステラーという映画を友人の勧めで見てから、プロジェクトとして行う以上、安楽死とも言える、死を想定した企画はできない課題に直面しました[3]。

安楽死について、高校のディベートの授業くらいしか触れてこなかったので、もう一度、真面目に考えて見る必要が出てきました。どうやら、ちょうど最近スイスで安楽死の合法化が認められたようですね。合わせて引っかかった検索ワードに「自殺ツーリズム」なるものがありました[5]。

ここまでくると、ブラックホール安楽死も安楽死ツーリズムの一環として行うことができる可能性が浮上してきます。。。このような状況を見ると、自分はなんと怖いことを考えていたのかと、改めて考えさせられます。自殺ほう助について、しっかり考えたことがなかった自分が恥ずかしくもあります。

【引用文献】
[3]【ネタバレ解説】映画『インターステラー』に隠されたテーマとラストの意味
[4]スイスで安楽死の権利を得た日本人が思うこと
[5]ベルギーで増える「安楽死ツーリズム」 EUに批判の声

完全な合意は得られない

今あげたような安楽死の問題の根幹は、当人が完全に自殺を望んでいて、それが合意のもとの判断であると、完全に立証することはできないという課題です。

ホーキング博士も安楽死について認めつつも、その合意形成の難しさについて言及しています[6]。動物愛護の問題にも触れており、とても繊細な課題であることを様々な観点から考えさせられます。

データの利活用問題でも議題として上がるテーマのため、データビジネスに関わる私にとっては向き合わなければならない課題の一つです。”意思が存在するとは、何かが存在し知覚されるとは”、より深く考察していく必要があります。

しかし、この課題を考えつくすには、あまりにも人生は短すぎます。一周回って、安楽死を望むことはできないし、ブラックホール安楽死の前に、思考できなくなるなんらかの状況が私には訪れるのではないかと考えています。

【引用文献】
[6] ホーキング氏死去 世界的な物理学者が残した数々の名言

まとめ

・ブラックホール安楽死とは、ブラックホールのなかに入ることで死を遂げること
・メリットとして以下の3点がある。1) 地球上に炭素として固定されない, 2) 存在しなくなる現象が存在しなくなる, 3) 存在に関する新しい命題を後世に残せる。存在しなくなる現象が存在しなくなることが最も重要である。
・実現方法としては、人工ブラックホールをプロジェクトで協力して行うことが想定される
・しかしながら、合意形成の観点から、安楽死を受け入れるかどうかが議論になっており、実行には至れない。
・その大きな命題について考えているうちに、一般的な死が訪れてしまいそうな予感がする。

今回は、そこまでビジョンを達成できて、人生どうしたいんだっけ?というのを、人生の締めくくりの観点から書いてみました。

まだまだ整理されていない箇所だらけのため、捕捉できるような記事を書いたり、修正を加えたりしていく必要があるテーマです。

ブラックホールで死にたいと話している知り合いがいたら紹介してください!よろしくお願いします。

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