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出エジプトとは何だったのか

はじめに

多くの人が、出エジプトの出来事は知っていても、それが何のためであったかを知りません。

「知らずにいてもらいたくない」と聖書に書いてあるにもかかわらずです。

多くの教会が、この教えを意図的に隠しているからです。

これではいけません。

マタイの福音書
18:3 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。

今、心を入れ替えて、幼子のように聖書を確かめてみましょう。

知らずにいてもらいたくない

ここに「知らずにいてもらいたくない」と記された、とても重要なことが書かれています。

コリント人への手紙 第一
10:1 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、
10:2 みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。
10:3 また、みな同じ霊の食物を食べ、
10:4 みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。
10:5 しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。
10:6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。
10:7 だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。
10:8 また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。
10:9 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。
10:10 また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。
10:11 これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである
10:12 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。

この出来事は、「世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである」と書かれています。

この訓戒を、今、私たちはどれほど受け取っているでしょうか。

世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒

どのようにして救われるか

出エジプトの出来事は、私たちがどのようにして救われるかを示した訓戒です。

子羊の血によってあがない出された彼らは、雲の中、海の中で、バプテスマを受け、霊の食物を食べ、霊の飲み物を飲んだとあります。

これは、私たちがキリストの血によってあがなわれ、洗礼を受け、キリストの体と、新しい契約にあずかったことを指しています。

ここでほとんどの教会が、教えを終えてはいないでしょうか

聖書の教えは続きます。

「しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった」

もう、だまされてはいけません。

神の御心みこころかなわない者は、荒野で滅びる
そのように聖書は教えているのです。

イエス様の教えもまったく同じであることに注意してください。

マタイの福音書
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

隠されてしまった訓戒

「世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒」と書かれた出エジプトの出来事が、今や耳障りのよい話にすり替えられています。

私たちから簡単な国語力さえ奪ってしまうこの力は、どこから来るのでしょう。

「信じるだけで救われる」「救いが取り消されることはない」そのような教えは、聖書の教えではありません。ただの作り話です。

テモテへの手紙 第二
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。

このままではいけません。
教会が塩気をなくしたら、もはやどこからも真理は取り戻せないのです。

マタイの福音書
5:13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである

おわりに

出エジプトの出来事は、世の終わりに臨んでいる私たちに対する訓戒です。

キリストから食べ、飲んだ人の中でも、救われる人は非常に少なく、悪をむさぼる者はけっして天国に入れないと警告しているのです。

これは聖書が何度も繰り返している教えです。

ルカの福音書
13:24 そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから
13:25 家の主人が立って戸を閉じてしまってから、あなたがたが外に立ち戸をたたき始めて、『ご主人様、どうぞあけてください』と言っても、主人はそれに答えて、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない』と言うであろう。
13:26 そのとき、『わたしたちはあなたとご一緒に飲み食いしました。また、あなたはわたしたちの大通りで教えてくださいました』と言い出しても、
13:27 彼は、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ』と言うであろう。

聖書の一貫した教えに耳を傾けてください。

今や主流派の教えは耳障りのよい教えへと変わり、これらの訓戒を隠すようになっています。

自分の目で聖書を読まないなら、私たちは滅びてしまうでしょう。
狭い門を見いだして、そこから入るしかありません。

このブログは気づきを与えるだけのものであり、間違いのないものではありません。
聖書を確認する人だけが、真理の道を歩めるのです。

聖書を確認してみてください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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