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私たちの中に潜む党派心
はじめに
多くのクリスチャンが、心から信じていない御言葉があります。
以下のような御言葉がそれです。
ガラテヤ人への手紙
5:19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
このような厳しい教え、救いの確定を否定するような教えを、嫌う人たちがいます。
それである教会は、次のように教えるようになりました。
「このようなことをしていても、恵みのゆえに神の国を継ぐことができる」
すると人々は、そう教える教会にばかり集まるようになりました。
そしていつしか、それは主流派となりました。
もはや彼らは、聖書の言葉に耳を傾けません。
テモテへの手紙 第二
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。
これでいいのでしょうか。
少なくとも、これだけは覚悟してください。
人がどんなに教えを変えようとも、聖書に書かれたことはすべて実現するのです。
勝手に付け加えてはいけない
私たちは、あまりにも簡単に聖書に付け加えるようになってはいないでしょうか。
そうであってはいけません。
ヨハネの手紙 第一
3:15 あなたがたが知っているとおり、すべて兄弟を憎む者は人殺しであり、人殺しはすべて、そのうちに永遠のいのちをとどめてはいない。
エペソ人への手紙
5:5 あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。
コリント人への手紙 第一
6:9 それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、
6:10 貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。
これらの聖句は、いずれもクリスチャンに向けて語られた言葉です。
たとえ私たちが耳を背けても、聖書の言葉が変わるわけではありません。
耳を背けるか、従うか、二つに一つです。
党派心
最初の聖句を、もう一度見てみましょう。
ガラテヤ人への手紙
5:19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
党派心を持つ人は、神の国を継ぐことがない、そうはっきり書かれています。
党派心とは、なにも党派を造ろうとすることだけではありません。
党派に属することや、人の造った教理に従うことも、党派心なのです。
パリサイ派の一番の失敗は何だったでしょうか。
それは、教理を定めたことです。
安息日に長い距離を歩いてはいけない。癒やしてもいけない。床を畳んでもいけない。すべて付け足された教理です。
そのせいで、安息日に歩いたり、癒やしたり、床を畳ませたりしたイエス様を、メシアとして受け入れることができなかったのです。
教理は、ときに真理を破壊します。
現代の私たちはどうでしょうか。
教派の教えや、聞いてきた教え、そのようなもののために、真理を受け入れなくなってはいないでしょうか。
それが党派心です。
「このようなことをする人は、神の国を継ぐことがない」このことを、しっかりと心に留めてください。
実によって見分けよ
聖書は、偽預言者や偽教師を、実によって見分けよと教えています。
マタイの福音書
7:20 このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
彼らの教えが、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制を結ばせているかどうかで見分けるのです。
他人のことは見分けられないかもしれません。羊の皮を被っているからです。
しかし、あなたの心は探れるはずです。
あなたがぜんぜん実を結んでいないのなら、教えが間違っている可能性があります。
教えによって見分けよ
あなたが聖書に立ち返るなら、教えによって見分けることもできるでしょう。
ヨハネの手紙 第一
4:6 しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。
この手紙に書かれた教えを聞くかどうかで、真理の霊なのか、迷いの霊なのかが、区別できるのです。
あなたの信頼する教師は、次の教えに「はい」と答えるでしょうか。
ヨハネの手紙 第一
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。
3:5 あなたがたが知っているとおり、キリストは罪を取り除くために現れたのであり、この方のうちに罪はありません。
3:6 キリストにとどまる者はだれも、罪を犯しません。罪を犯す者はだれも、キリストを見たこともなく、知ってもいません。
罪とは律法に違反することであり、罪を犯す者は誰も、キリストを知らないのだと書いてあります。
もし「はい」と答えられないとしたら、それは迷いの霊です。
聖書が間違っているのではなく、教理が間違っているのです。
今、へりくだって聖書に立ち返るときが来ています。
私たちは長い歴史の中で、たくさんの教理を作り出し、そのたびに聖書から遠ざかって来たのかもしれません。
もう、何かを付け足してはいけません。
勝手な解釈をするよりも、幼子のように「はい」と答える人になりましょう。
おわりに
教派の教えにこだわったり、教理を優先したりすること、それが党派心です。
そのようなことをする人は、神の国を継ぐことはありません。
それは人が造ったものであり、教派ごとに教えが異なっていることは、誰もが知っているはずです。
それなのに、どうしてそんなものを握りしめてしまうのでしょう。
教派を捨てることが怖いですか?
仲間を失うことが怖いですか?
主流派に逆らって、異端と呼ばれることが怖いですか?
ヨハネの黙示録
21:8 しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。
臆病な人、信じない人は、十戒を守らない人とともに、火と硫黄の池に投げ込まれてしまいます。
主を信頼しましょう。
もう、人間の教えに従ってはいけません。
このブログも例外ではないことを覚えてください。
教えが正しいかどうかは、あなたが聖書から確認するしかないのです。
聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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