はじめに
「目を覚ましていなさい」という言葉が聖書に何度も出てくることは、皆さんご存じかと思います。
しかし、その意味を確かめたことはあるでしょうか。
とても重要なことですから、ご一緒に確認してみましょう。
皆が天国へ入るのではない
主流派の神学は、必ずしも正しいとは限りません。
多くの教会が、クリスチャンであれば全員、天国へ入るかのように教えます。
しかし、聖書はそのように教えていません。
聖書の教えは、行いのある少数の人だけが救われるというものです。
「そんなはずはない!」という方がおられましたら、幸いです。
今日、あなたは真理を回復できるからです。
教会が死んでいる
クリスチャンは全員救われる、そう思い込まされている方が大勢おられます。
「行いとは無関係の救い」が教えられているからです。
「行い」とは何でしょう。
ギリシャ語で「エルゴン」。日本語では「行い」「わざ」「働き」などと訳されていますが、すべて同じ単語です。
今、目を覚まして、聖書の言葉を読んでみましょう。
「死んでいる」と宣告されたのは、未信者ではなく、教会です。
永遠の命を得ていないクリスチャンがいるということです。
なぜでしょうか。
行い(エルゴン)がないからです。
私たちは行いによって救われるのではありませんが、信仰が生きているかどうかは、その行いによって証明されます。
これを心に留めて、続きを見てみましょう。
もう、この警告を無視してはいけません。
目を覚まして、わざ(エルゴン)を行う必要があるのです。
具体的に、どんなわざ(エルゴン)をすればいいのでしょうか。
「御言葉を思い起して、それを守り通し、かつ悔い改める」
これが具体的な行い(エルゴン)です。
そうしないなら、私たちはいつまでも、死んだままなのです。
目を覚ますように告げるとき、聖書はおもに二つのことについて言及します。
一つは、福音のために働きなさいということです。
もう一つは、罪を犯してはいけないということです。
それぞれ、詳しく見てみましょう。
福音のために働きなさい
福音のために命を尽くさないならば、救いを失う。そう聖書が教えていることを知っているでしょうか。
目を背けたくなるのを我慢して、今は目を覚ましてください。
教派の教えではなく、主の教えに耳を傾けるのです。
こんなにも目を覚ましていなさいと書かれています。
働き(エルゴン)をしなさいということです。
そうしないなら、どうなると主は教えているでしょうか。
罪を犯してはいけない
私たちは目を覚まし、罪を犯さないようにする必要があります。
もし次のように教える人があれば、その人は死んだ状態にあります。
「私たちは罪人のままだ」
「行いは必要ない」
「赦してもらえばそれでいい」
もう、そのような状態でいてはいけません。
私たちは今、戦いの真っ只中にいるのです。
けっして、眠っている場合ではないことを覚えてください。
おわりに
目を覚ましていなさいとは、「福音のために働きなさい、また、罪を犯さないように祈りなさい」ということです。
聖書は、行いのない人を、死んでいる、眠っていると表現します。
私たちは皆、死んでいるか、目を覚ましているか、どちらかの状態にあるのです。
目を覚まさないなら、主の前に立つことはできません。
目を覚まさない人は、用意のできていない五人の乙女に例えられます。
これは私たちのために書かれたのです。
主は、けっして私たちを苦役に招いているのではありません。
健全な生き方に招いておられるのです。
考えてもみてください。
好き勝手に生きた人と、戒めを守り、福音のために生きた人、
終わりの日に「善い人生を送ったものだ」と言えるのは、一体どちらでしょうか。
今、目を覚まして、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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