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目を覚ましていなさい

はじめに

「目を覚ましていなさい」という言葉が聖書に何度も出てくることは、皆さんご存じかと思います。

しかし、その意味を確かめたことはあるでしょうか

とても重要なことですから、ご一緒に確認してみましょう。

皆が天国へ入るのではない

主流派の神学は、必ずしも正しいとは限りません。

多くの教会が、クリスチャンであれば全員、天国へ入るかのように教えます。
しかし、聖書はそのように教えていません。

マタイの福音書
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

聖書の教えは、行いのある少数の人だけが救われるというものです。

ルカの福音書
13:23 すると、ある人がイエスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねた。
13:24 そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから

「そんなはずはない!」という方がおられましたら、幸いです。
今日、あなたは真理を回復できるからです。

教会が死んでいる

クリスチャンは全員救われる、そう思い込まされている方が大勢おられます。
「行いとは無関係の救い」が教えられているからです。

「行い」とは何でしょう。
ギリシャ語で「エルゴン」。日本語では「行い」「わざ」「働き」などと訳されていますが、すべて同じ単語です。

今、目を覚まして、聖書の言葉を読んでみましょう。

ヨハネの黙示録
3:1 サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざ(エルゴン)を知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる

「死んでいる」と宣告されたのは、未信者ではなく、教会です。
永遠の命を得ていないクリスチャンがいるということです。

なぜでしょうか。

行い(エルゴン)がないからです。

ヤコブの手紙
2:26 霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行い(エルゴン)のない信仰も死んだものなのである

私たちは行いによって救われるのではありませんが、信仰が生きているかどうかは、その行いによって証明されます。

これを心に留めて、続きを見てみましょう。

ヨハネの黙示録
3:2 目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざ(エルゴン)が、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。

もう、この警告を無視してはいけません。
目を覚まして、わざ(エルゴン)を行う必要があるのです。

具体的に、どんなわざ(エルゴン)をすればいいのでしょうか。

ヨハネの黙示録
3:3 だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。

御言葉みことばを思い起して、それを守り通し、かつ悔い改める」
これが具体的な行い(エルゴン)です。

そうしないなら、私たちはいつまでも、死んだままなのです。

目を覚ますように告げるとき、聖書はおもに二つのことについて言及します。

一つは、福音のために働きなさいということです。
もう一つは、罪を犯してはいけないということです。

それぞれ、詳しく見てみましょう。

福音のために働きなさい

福音のために命を尽くさないならば、救いを失う。そう聖書が教えていることを知っているでしょうか。

マルコの福音書
8:35 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。

目を背けたくなるのを我慢して、今は目を覚ましてください。
教派の教えではなく、しゅの教えに耳を傾けるのです。

マルコの福音書
13:33 気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。
13:34 それはちょうど、旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。
13:35 だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。
13:36 主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。
13:37 わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。」

こんなにも目を覚ましていなさいと書かれています。
働き(エルゴン)をしなさいということです。

そうしないなら、どうなるとしゅは教えているでしょうか。

マタイの福音書
24:42 だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。
24:43 このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。
24:44 だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。
24:45 主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。
24:46 主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
24:47 よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。
24:48 もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、
24:49 その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、
24:50 その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、
24:51 彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう

罪を犯してはいけない

コリント人への手紙 第一
15:34 目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。あなたがたのうちには、神について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのだ。

私たちは目を覚まし、罪を犯さないようにする必要があります。

もし次のように教える人があれば、その人は死んだ状態にあります。
「私たちは罪人のままだ」
「行いは必要ない」
ゆるしてもらえばそれでいい」

もう、そのような状態でいてはいけません。

マタイの福音書
26:41 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

私たちは今、戦いの真っただ中にいるのです。
けっして、眠っている場合ではないことを覚えてください。

ペテロの手紙 第一
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
5:9 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。

おわりに

目を覚ましていなさいとは、「福音のために働きなさい、また、罪を犯さないように祈りなさい」ということです。

聖書は、行いのない人を、死んでいる眠っていると表現します。
私たちは皆、死んでいるか、目を覚ましているか、どちらかの状態にあるのです。

目を覚まさないなら、しゅの前に立つことはできません。

ルカの福音書
21:36 これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」。

目を覚まさない人は、用意のできていない五人の乙女に例えられます。

マタイの福音書
25:11 そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。
25:12 しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。
25:13 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。

これは私たちのために書かれたのです。
しゅは、けっして私たちを苦役に招いているのではありません。
健全な生き方に招いておられるのです。

考えてもみてください。
好き勝手に生きた人と、戒めを守り、福音のために生きた人、
終わりの日に「善い人生を送ったものだ」と言えるのは、一体どちらでしょうか。

今、目を覚まして、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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