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互いに愛し合いなさい

はじめに

私たちクリスチャンは、「互いに愛し合いなさい」という新しい戒めを受けています。

これに対して、次のような言葉をよく聞きます。

「私たちは、ただ新しい戒めを守るだけでよくなった」

この言葉の意味を、本当に理解して、そう言っているのでしょうか。

聖書の教える愛

愛にはさまざまな種類があります。
家族の愛、友人への愛、恋人への愛──

日本語にはそれぞれの単語がないので、単に「愛」と訳されていますが、原文では単語が異なります。

その中に、アガペーという愛があります。
これは、神の人間に対する愛を表します。
この愛は無限であり、絶対であり、利益を求めず、何をされても変わらない、不変の愛です。

これを人に要求されるなら、神のようになれと言われるのと同じです。

さて、ここで新しい戒めを見てみましょう。

ヨハネの福音書
13:34 わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

ここで使われている単語は、アガペーです。
神が人を愛するように、あなたも愛しなさいと書かれているのです。

これは途方もない命令ではないでしょうか。

「互いに愛し合うだけでよくなった」と簡単に言える人は、一体、何者なのでしょう。

新しい戒めは、より厳しい戒めである

互いに愛し合うほうが、文字によって律法に仕えるよりも、簡単だと思っているクリスチャンがいます。

それは大間違いです。

新しい戒めが与えられた理由は、表面的にしか律法が守られておらず、神の目から見た律法遵守者が一人もいなくなっていたからです。

ヨハネの福音書
7:19 モーセはあなたがたに律法を与えたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法を行う者がひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺そうと思っているのか」。

新しい戒めの要求する愛は、神の持つ完全な愛です。
すなわち、律法学者やパリサイ人にまさる義を持ちなさいということです。

マタイの福音書
5:20 わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない
5:21 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。

実際に殺さなくても、兄弟を憎んでいるなら、それは殺人です。
手を出さなくても、情欲を抱いて女を見るなら、それは姦淫かんいんです。
一ミリオンの距離を運ばなければならないという規則があっても、愛によって二ミリオン運んであげるようでなければいけません。

要するに、神の持つ完全な愛で、義を行えということです。

けっして「互いに愛し合うだけでよくなった」などと言える代物ではありません。

新しい戒めを守る方法

新しい戒めを守るには、私たちは一体、どうすればいいのでしょうか。

御霊みたまに頼るしかありません。

ガラテヤ人への手紙
5:22 しかし、御霊の実は、、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

ここに出てくる「愛」こそ、アガペーです。

では、この実はどのようにして結ばれるのでしょうか。

ルカの福音書
8:15 良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。

御言葉みことばを聞いて、正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍ぶことで実を結ぶのです。

「信じるだけクリスチャン」が倒れてしまうのはこのためです。

マタイの福音書
7:26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。

クリスチャンが全員、天国へ入るのではありません。
たとえキリストにつながっていても、実を結ばない枝は取り除かれてしまうことを覚えてください。

ヨハネの福音書
15:2 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。

アガペーを求めましょう

私たちが神の子となるためには、敵をも愛する愛が必要です。

マタイ
5:44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ
5:45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである──

このことを信じるなら、祈り求めずにはいられないはずです。

マルコの福音書
11:24 そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう

完全な愛、アガペーが与えられるように、祈り求めてください。
そして求めたなら、たとえ実感がなくとも、与えられたと信じてください
与えられたアガペーを、これから大切に使っていくのだと、心に決めるのです。

そうすれば、その愛は本当に現れてくるはずです。
神様は、パンを求める者に、石を与える方ではないからです。

信じましょう。信じて、互いに愛し合う者となりましょう。

おわりに

「新しい戒めを守るだけでよくなった」
「互いに愛し合うだけでよくなった」

これがどんなに軽率で恥ずかしい発言か、ご理解いただけたでしょうか。

新しい戒めは、完全な愛を要求する、とてつもない命令なのです。

憎しみや情欲を持ちながら、完全な愛を示すことはできません。
盗んだり貪ったりしながら、無償の愛を示すことはできません。

ローマ人への手紙
13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。

十戒じっかいは、神と人を愛する方法を教えるものであり、
新しい戒めは、十戒じっかいの本当の守り方を教えるものなのです。

互いに愛し合いなさいとは、心においても十戒じっかいを守りなさいということです。
けっして、十戒じっかいを守りたくない人の言い分けに使える代物ではありません。

聖書を正しく読み、真理を回復しましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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