聖霊は誰に与えられるのか
はじめに
聖書は、聖霊を受けられる人と、受けられない人がいることを教えています。
どのような人が聖霊を受けられるのでしょうか。
また、聖霊を受けていることを確認する方法はあるのでしょうか。
ご一緒に、聖書から調べてみましょう。
神に従う人に与えられる
神に従う人に聖霊は与えられる、そう聖書は教えます。
実際、聖霊を賜ったのは、神である主イエスに従った人たちだけでした。
反対に、パリサイ派やサドカイ派などの、人の教えに従った人たちは、聖霊を受けなかったのです。
私たちも、牧師や神学者の教えを鵜呑みにしているなら、聖霊を受けることはできません。
大切なのは、人の教えに従わず、ただキリストだけに従うことです。
幸いにも、私たちは聖書を通して、直接キリストから学べます。
この恵みに感謝して、必ず聖書から真理を学びましょう。
信じるだけじゃないの?
従う者が聖霊を賜ると書かれた一方で、信じる者が聖霊を受けるとも書かれています。
「従う」と「信じる」、一体どちらが正しいのでしょうか。
先に結論を申し上げますと、その二つは同じものなのです。
日本語で「信じるのみ」「信仰のみ」というと、行動を伴わない印象になります。
しかし、聖書は日本語で書かれたのではありません。
「信仰」と訳されたヘブライ語の「エムナ」は、「真実」また「忠実」と訳されるべき言葉です。
ですから、次のように書かれているのです。
「信じる」と「従う」。聖書において、これらは同じ意味であることを覚えてください。
日本語の「信じる」しか知らなかった方は、今日から聖書の「信じる」を行っていきましょう。
悔い改め
聖霊を受けるためには、悔い改めが必須です。
悔い改めとは、ただの後悔ではありません。方向転換が必要なのです。
「今後、私は神の教えに徹底的に服従します」という方向転換です。
こうして私たちは世を出て、神の国の一員となるのです。
そのような真の悔い改めをするなら、私たちの罪は赦されます。その忠実(エムナ)が義と認められ、聖霊を受けるのです。行いによるのではありません。
ここで注意してください。
「救われた」という完了形の表現は、救いに関して特殊な書き方なのです。
聖書の救いは、圧倒的に未来形で書かれています。
完了形で書かれる場合は、私たちが救いの道に入ったことを指します。けっして、天国行きが確定したというのではありません。
これが聖書の教えです。
聖霊に与ったとしても、その人が服従をやめるなら、救いは失われてしまうのです。
神の国を継ぐことの保証
私たちが服従を続け、聖霊を留めているなら、それは神の国を継ぐことの保証となります。
思い出してください。
私たちは、神の教えに従うという悔い改めによって、天国の一員となったのです。
何度失敗しようと、この服従さえあれば、主は義と認めてくださいます。
けれども、先ほどの聖句にあったように、私たちが従うことをやめるなら、聖霊は失われてしまいます。
ですから、次のように教えられているのです。
十人の乙女についての教えも同様です。
灯りは教会、油は聖霊を指すことに注意してください。
教会に属していても、聖霊の宮となっていなければ、天国へ入る保証は何もないのです。
聖霊の導き
義と認められるだけで満足する必要はありません。
聖霊の導きに従うなら、私たちは義を行う者になれるのです。
「信仰」と訳されていますが、その意味は「忠実」です。
私たちの忠実(エムナ)と、聖霊の助けによって、私たちは義人となれるのです。
また、聖霊の導きに従うなら、けっして肉の欲を満たすことはないと保証されています。
この導きがあるかどうかで、私たちは聖霊が宿っているかどうかを確認できるのです。
不品行、争い、怒り、妬みなどから、あなたを引き離そうとする導きはあるでしょうか。十戒を守りたいという、切なる思いはあるでしょうか。
それがあるなら、聖霊があなたのうちに宿っておられる証拠です。
たとえ守れていなくても、神の教えに服従しようとするあなたの心を見て、聖霊が留まってくださるのです。
なんと素晴らしい恵みでしょうか。
おわりに
どのような人が聖霊を受けるのか、また、どうやって聖霊の内住を確認できるのか、おわかりいただけたでしょうか。
神の教えに従う人、そのような人に、聖霊は与えられるのです。
肉の欲から私たちを引き離す導きがあるかどうかで、聖霊が宿っているかどうかを確認できるのです。
導きがないなら、まずはあなたが神の教えに服従しているかどうか、心を探ってみてください。
そして導きを得たなら、聖霊を失わないように、この歩みを続けましょう。
ランプを持っていても、油がなければ意味がありません。
人間の教えに従うのではなく、神の教えである聖書に従いましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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