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律法を守るべきか、よく分からない方へ

はじめに

かつて私は、クリスチャンでありながら、律法を守る必要はないと思っていました。

もっと正確に言うと、「互いに愛し合いなさい」というキリストの律法、これだけが有効で、あとは無効になったのだと考えていました。

多くの方が、同じ状況におられると思います。

しかし、それは間違っています
これは命に関わる大切なことですから、慎重に聖書から確認してみましょう。

無律法主義の出所

律法が無効になったという考え方は、次のような聖句から来ています。

ローマ人への手紙
3:28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである
(途中省略)
3:30 まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。
3:31 すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。

最後の文を読むか読まないかで、意味がまったく逆になってしまいます。

パウロは、信仰によって律法が無効になることは断じてなく、むしろ律法を確立するのだと教えています。

無律法主義は、パウロ書簡の一部を切り取った曲解であることを覚えてください。

律法を守るべきか

「律法を守るべきか」というその質問自体について考えてみましょう。

私たちは、救われるために呼吸をする必要はあるでしょうか。

いいえ。呼吸によって救われるのではありません。

「だったら呼吸をしない!」そんな人がいるでしょうか。

救われるために呼吸をするのではありませんが、
呼吸をしないなら死んでしまいます。

それと同じです。

救われるために律法を守るのではありませんが、
律法を守らないなら死んでしまいます。

たとえあなたが律法を無視しようとも、罪を犯せば滅ぶのです。

ローマ人への手紙
2:12 律法なしに罪を犯した者はみな、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はみな、律法によってさばかれます。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

律法が与えられたのは、私たちが罪を犯さないようになるためです。
「これに違反することが罪なんだよ」と、神様が教えてくれているのです。

ヨハネの手紙 第一
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

それなのに、なぜ律法を嫌う人がいるのでしょうか。
それは、サタンがそのように計画し、毒麦を植えたからです。

思い出してください。
生まれながらの私たちは、火の池に向かってまっしぐらに歩んでいました。

そんな私たちを憐れみ、律法を与え、そっちへ行ってはいけないと教えてくれた方、それが神様です。

その神様は、人となって来られ、心においても律法を守る必要があると教えてくれました。

これを、鎖だ、くびきだ、呪いだ、重荷だと言っていた私たちは、今こそ悔い改めなければなりません。

それでも罪を犯し続けるとどうなるか

それでもクリスチャンが律法を無視し続けるならどうなるでしょうか。

ヘブル人への手紙
10:26 もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。
10:27 ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある。

律法を無視することは、火の池にまっすぐ突き進んで行くのと同じです。

律法なしに、どうやって罪を避けるのでしょう。
律法に感謝しない人に、未来などないことを覚えてください。

聖書の教える愛

聖書の教える愛は、人間の感情的な愛とは異なります。

ヨハネの手紙 第一
5:3 神を愛するとは、すなわち、その戒め(エントレー)を守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。

「戒め(エントレー)」という言葉は、多くの場合、十戒じっかいのことを指します。

マルコの福音書
10:19 いましめ(エントレー)はあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。

するとある人は、こう言うでしょう。
「いいや、『戒め』とは、互いに愛し合うべきこと、それだけである」と。

その根拠というのが、以下の聖句です。

ヨハネの手紙 第一
3:23 その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じ、わたしたちに命じられたように、互に愛し合うべきことである。

口語訳聖書

しかし原文には、「ヒナ(それは~のため)」というギリシャ語があり、本当はこう書いてあります。

ヨハネの手紙 第一
3:23 また、これは彼の(神の)戒めである。それは御子みこイエス・キリストの名を信じ、互いに愛するため。そのために彼は(神は)私たちに戒めを与えた。

原文からの直訳

互いに愛し合うために、戒め(エントレー)が与えられたと書いてあるのです。

翻訳は、人の思惑によって、変えられてしまうことを覚えてください。

たとえば以下の翻訳は、原文をまったく逆の意味で訳してしまった例です。

ローマ人への手紙
10:4 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。

新改訳1970

この翻訳は、長らく人々の目にさらされてきました。
「天地が滅び行くまでは律法の一点、一画も廃れない」というしゅの言葉を、何十年も否定し続けてきたのです。

とはいえ、さすがにひどい間違いだというので、今は修正されています。

ローマ人への手紙
10:4 律法が目指すものはキリストです。それで、義は信じる者すべてに与えられるのです。

新改訳2017

それでも、いったん間違いを信じてしまった人の心は、なかなか変わるものではありません。

新しい戒め

またある人は、「互いに愛し合いなさい」という新しい戒めができたので、十戒じっかいは廃されたと教えます。

ヨハネの福音書
13:34 わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

本当に、この新しい戒めは、十戒じっかいを廃したのでしょうか。

ローマ人への手紙
13:8 互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。
13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。

互いに愛し合えば、もはや姦淫かんいんしたり、殺したり、盗んだりしてよい、そう書いてあるでしょうか。

よく見てください。普通の国語力があれば、正しく読めるはずです。

互いに愛し合うことこそ、十戒じっかいを全うすることであり、
十戒じっかいを守ることは、隣人を愛することに帰すると書いてあるのです。

このことを、弟子たちはちゃんと理解していました。

ヨハネの手紙 第一
2:7 愛する者たちよ。わたしがあなたがたに書きおくるのは、新しい戒めではなく、あなたがたが初めから受けていた古い戒めである。その古い戒めとは、あなたがたがすでに聞いた御言である。

書き送られたのは、古い戒め(エントレー)だとあります。
それを、新しい戒めとして、もう一度書いているのです。
すなわち、十戒じっかいを愛によって実践すること、それが新しい戒めだと聖書は教えているのです。

もうだまされないでください

サタンは、まるで律法が悪いものであるかのように、私たちの心に刷り込みます。

そんな欺きからは、今日で解放されてください

ローマ人への手紙
7:12 このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。

律法は、神様が造った善いものです。
律法は、私たちを罪から守る城壁です。
律法は、義に生きる方法を提供する教科書です。

神様は、けっして守ることのできない無理難題を押しつけて、私たちを焼き尽くそうと待ち構えている方ではありません!

むしろ、人々が罪を犯さないように聖なる律法を与え、守れなかった分をご自分が背負って死んでくださるようなお方です。

もう、この方を、これ以上誤解し、侮辱してはなりません。

おわりに

「律法を守るべきか」ではありません。

律法が与えられた理由を正しく知るなら、守らずにはおられないはずです。

律法に感謝し、守り行う人だけが、聖徒と呼ばれます。
そのような人だけが、しゅとの婚姻あずかるのです。

ヨハネの黙示録
14:12 ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。

ヨハネの黙示録
19:7 わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
19:8 彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。

正しい行いとありますが、原文では律法遵守です。

律法遵守、これこそが、婚姻のときに着ていなければならない衣服です。
この服が汚れていることがであり、白く保たれていることがです。

これはしゅがくださった衣です。
この衣を、私たちは白く保ち、万が一汚れてしまったら、子羊の血で洗ってもらう必要があるのです。

再臨の日、真っ白な婚宴衣装を着ていないなら、その人は外の暗闇に放り出されてしまうでしょう。

マタイの福音書
22:11 王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服(婚宴衣装)をつけていないひとりの人を見て、
22:12 彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。
22:13 そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
22:14 招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。

この数少ない選民に、あなたは選ばれなければなりません。
そのためにも、間違った教えを捨てて、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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