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よちよちクリスチャンの聖書ノート

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幼子のようなクリスチャンの私が、幼子のような目で聖書から発見した真理をお伝えします。
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2021年10月の記事一覧

聖書は本当は何と言っている?

聖書、それは一体誰のものでしょう。 聖書自身が次のように教えています。 世の中にはたくさんの聖書解釈があります。そして、それらは必ずしも一致するものではありません。そんな教派の一つを、自分の信じるものとして採用してしまってもいいものでしょうか。イエス様の時代、パリサイ派とサドカイ派、どちらが正しかったでしょう。 残念ながら、どちらも間違っていました。 人々が真理に立つには、主流派の神学から脱出する以外になかったのです。 正しいのは、神の言葉、聖書だけです。つまり、私たち

クリスチャンは安息日を守るべきか

はじめにあなたがクリスチャンであるなら、神様が安息日について命じられているのを読んだことがあると思います。 その安息日は、どこへ行ってしまったのでしょうか。 これについては、教会のあいだでも様々な混乱が見られます。 ある教派の人は、安息日は廃されたと言い、ある教派の人は、日曜礼拝に変わったと言います。また、ユダヤ人だけに命じられたと教える人もいます。 聖書はどう教えているでしょうか。 これは特定の教派をお勧めするものではありませんし、何かを強制するものでもありません。

救いを失うことはあるのか

はじめに一度救われた人は、もはや救いを失うことはない。 そんな教えが主流派を占めるようになりました。 これは本当でしょうか。 ご一緒に、聖書から調べてみましょう。 救いの確定を教えているように見える箇所これらの箇所から、私たちはすでに救われており、天国行きが確定しているのだと教える人たちがいます。 本当でしょうか。 ここでいったん、教派の教えや神学を脇に置いて、聖書を確認してみましょう。 そもそも、聖書は、救いはいつ起こると教えているでしょうか。 救いはいつ起こる

あなたはどれくらいイエス様を愛していますか

はじめに「あなたはどれくらいイエス様を愛していますか?」 ドキッとする質問ではないでしょうか。 現代、一生懸命なクリスチャンは間違ったクリスチャンであるという風潮が広がっています。 私もかつてそう思っていました。そう教えられていたからです。 しかし、本当にそうでしょうか。 イエス様と永遠に暮らせるとしたら?ずばり尋ねます。 主の家に住む権利を得るためなら、あなたはいくらまで支払いますか? もちろん皆さん、全財産を支払ってでもその権利がほしいと答えるでしょう。それど

中東イスラエルとは

はじめに聖書はイスラエルの歴史を記す本だと言っても過言ではありません。 そのイスラエルは、聖書の中で様々な呼び名で呼ばれています。 神の民、聖なる国民、アブラハムの子孫、聖徒── ところが現代、多くの教会が、聖書の語るイスラエルとは別のものを「イスラエル」と呼んでいます。 1948年に建国された中東イスラエルがそれです。 これは聖書の語るイスラエルでしょうか。 慎重に確認してみましょう。 中東イスラエルは、聖書の語るイスラエルか結論から言えば、現在中東にあるイス

泣いて歯ぎしりしないための七つの教え

はじめに聖書には、「そこで泣いて歯ぎしりするのです」という教えが、実に七回も出てきます。 しかし、こう思ってはいませんか。泣いて歯ぎしりするのは未信者である、と。 泣いて歯ぎしりすることにならないためにも、聖書からきちんと確認してみましょう。 その一 御国の子ら驚くことに、御国の子らが、外の暗闇に放り出されると書いてあります。 キリストとの婚約状態にあるクリスチャンであっても、ほとんどの人は婚宴に参加できないのです。 まずはこのことを覚えてください。 救われる人は少な

本当のキリストの律法

はじめに聖書には、キリストの律法という言葉が二度出て来ます。 キリストの律法とは何でしょうか。 これを正しく知るなら、私たちは大きな恵みを得ることができます。 一般にキリストの律法といわれるものまずは、一般的にキリストの律法といわれるものを見てみましょう。 イエス様の教えられた第一の戒めと、第二の戒め。 これが、一般にキリストの律法といわれるものです。 これについて、イエス様はこう言っておられます。 新しい?実のところ、これはレビ記に書かれたことであって、新しくも何

原罪説、その理解であってますか

はじめに多くの教会で、人は生まれながらに有罪であると信じられています。 これを原罪説と言います。 確かに、私たちは生まれながらに罪人です。 しかし、それだけで神様は私たちを有罪にするのでしょうか。 生まれて間もなく死んでいった命は、すべて地獄行きに決まったのでしょうか。 今、聖書から真理を確かめてみましょう。 原罪説まず、「原罪」という言葉は聖書に出てこないので、その定義を確認する必要があります。 一般的な原罪説とは、アダムの罪が全人類に及んでおり、そのせいで人

行いがなくても救われるのか

はじめに聖書には、救いは恵みによると書かれています。 行いによるのではないとも書かれています。 感謝なことに、これは真実です。 では、私たちに行いは必要ないのでしょうか。 とても大切なことですから、ご一緒に確認してみましょう。 行いによるのではない救いは神の賜物であり、決して行いによるのではないとはっきり書かれています。 しかし、注意してください。 「行いによるのではない」と書いてあるのであって、 「行いは必要ない」と書いてあるのではありません。 行いは必要か結

決着、私たちは大患難を通るのか

はじめに聖書には、次のような言葉があります。 ある人は、教会はその大患難を通らないと教え、またある人は通ると教えます。 これについて、あなたは一つの答えを持ち合わせているかもしれません。 今日はいったんその答えを脇に置いて、ご一緒に聖書を確認してみましょう。 携挙ある人は、大患難の前に携挙があると教えます。 これが携挙です。 ラッパが響き、死人が復活し、私たちが主のもとに集められる。 一部の人たちは、これは大患難の前に起こると主張します。 先に結論を申し上げます

罪とは何か、あなたは答えられますか

はじめにいきなりですが、罪とは何か、あなたは聖書のとおりに答えられるでしょうか。 クリスチャンであっても、これを正しく答えられない人がいます。 聖書のいう罪とは何か、ご一緒に確認してみましょう。 罪とは何か罪とは何か、その答えは聖書にはっきりと書いてあります。 不法(アノミア)とは、法に背くという言葉です。 法とは当然、神の律法のことです。 ですから、次のように訳されているのです。 さて、こんなにもはっきりと書かれた罪の定義を、私たちは無視してはいなかったでしょうか

裁かない人になるための3つの方法

はじめに「人を裁くな」と聖書に書いてあるのを、私たちは知っています。 にもかかわらず、私たちは心の中で、いつも他人を裁いてしまいます。 どうしてでしょうか。 どうしてこんなにも、他人のことが気になるのでしょう。 裁かない人になるためには、どうしたらいいのでしょうか。 聖書から確認してみましょう。 なぜ裁くのかなぜ、私たちは他人を裁くのでしょうか。正義感からでしょうか。相手に罪を犯させたくないから裁くのでしょうか。 いいえ。 本当は、妬みからではないでしょうか。 自

律法は今も有効か

はじめに聖書に書かれた律法は、今も有効なのでしょうか。 有効だと教える人もあれば、廃されたと教える人もあります。 これは私たちの永遠の命に関わる問題ですから、聖書からきちんと確認しておく必要があります。 律法の作者は誰かまずは、律法の作者について、しっかりと確認しておきましょう。 「創造主」というと、父なる神を連想する方がいるかもしれませんが、聖書は御子イエスこそ、創造主であると教えます。 見えるものも見えないものも、すべては御子によって造られました。 もちろん、律法

あなたは本当に、律法学者にまさる義人ですか

はじめに聖書は、律法学者にまさる義を持っていなければ、決して天国に入れないと教えます。 律法学者にまさる義とは何でしょう。 これは私たちの永遠の命に関わる問題ですから、聖書から慎重に確認しなければなりません。 義人だけが天国へ入る「義人はいない」という言葉をよく聞きますが、 聖書は、義人だけが天国へ入ると教えています。 それならなぜ、「義人はいない」と書いてあるのでしょうか。 「義人はいない」とは、生まれながらの人は、義を行えず、神を求めることもないということです。