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大雨の中でも 栂ノ尾の里

 高山寺には明恵が居住し、仏教を指導していた鎌倉時代からの石水庵が、有料公開されています。かつてはもっと広い境内だったのですが、荒廃し、杉が生えたりしたので移築されたようです。大分、修理が入っているのですが、回廊は元のままなのかな、古い木材の感じが残っています。きよらかに掃き清められ、レプリカもありますが、古い時代に心を込められた、寺宝たちが飾られています。もう、魂が入ってる感じです。


 山にかこまれて、森の中にある新鮮な空気が流れている。森に中の明恵の御像図、湛慶のワンちゃんは本物です。目がするどい。そして、童子象、良い空間です。しばし、たたずみます。でも、なんか、間が持てない。お抹茶サービスなどもありましたが、疲れと暑さでまいっている私には無理。やはり、人に出会っての建物なのでしょう。それでも、ほんのりと明恵の気配が残っています。

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 日本で最古の茶園に向かいました。最高級のお茶の銘柄でよくある、栂尾はこの地のことなんですね。古い種類のお茶畑ではありますが、雑草でおおわれている。これはショックでした。栄西にもらった茶の種を植え、宇治に移植したのが、日本のお茶産業の始まりだそうです。まあ、お茶でもって、明恵が始めたんだですね。

 境内を進むとあっちゃこっちゃに、大木の切り株があります。奥には土砂崩れのあとが。一昨年の台風でえらいことになってしまったようです。あとでホームページを調べると、今年三月までに補強ができる予定だったとのこと。このコロナ下で、工事がとまってしまったようです。茶園も元々の場所でなく、江戸時代の再建の時に設けられたようでした。江戸時代に再建されたお堂のまわりで、黙々と草むしりをしている、おばあさんがおりました。人手不足なんですね。

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もともと、五重塔もあったらしい境内も広かったお寺は、着々と朽ちつつあるようでした。それでも、明恵上人の御廟は緑の深々とした山と青空にむかい、すがすがしい。この地が緑の森の迷路につながる入り口であったことを教えてくれます。

 裏参道を下って、わりと大きめの駐車場に直接おります。お手洗いもしっかりあり、バスの休憩所にもなっているようです。近くに清滝川が流れていて、川音も聞こえるお店が二軒ほどあったんですが、へばってるんで、食欲もない。着たバスが、とっとと行かなければ、入らなかったかも。

 川べりに張り出したお店の野外席に入って、気が付いたんですね。ここは鳥獣戯画図で何度も見た、ウサギたちが川遊びしていた川だ。もしかしたら、歳月があるので、後の人が似せて改修したのかもしれませんが。

 にしても、明恵がいたころからほんの100年かそこらかもしれませんが、この川のなかで、子供たちや若者が水遊びをしていたはずです。明恵上人は承久の乱などの戦乱で夫を亡くして仏門に入った未亡人や子供たちを養っていたようです。その子たちもここで遊んでいたんでしょうか。そして、ごく最近まで、子供らの川遊びがあったのでしょうか。飲めそうな清らかな川をみて、この晴れて、蒸し暑い日に、ここにきて良かったと思いました。歴史のほんのひとときに、ここにはなにかしら人を温める空間があったのだと。

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 わらび餅をいただいて、せっかくなのでに20分ほど、高雄の寺の前まで歩いてみました。車はスピードを出してるので、歩く道ではなかったですが。そして、帰りのバスに乗りました。同じ年配の運転手さん、そして、すれ違ったのは、私を茶店に導いた若い人、どうやら、ふたりで京都駅と周山街道終点へのバスを回しているようでした。世知辛くも、おもしろい。だんだんと風景ががちゃがちゃしてくると、気持ちがガサガサと戻って、現世に帰ってきたんだなあと思いました。続きます。




 

 

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