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体に触れる

 美術館に行った。日本画で美しい女性がテーマだったからか、年配の品のいい女性が多かった。素敵なお洋服の方が多かったが、洋服がくたびれている方も多い。コロナ後、やっと這い出すように来られたのだろう。
 
 最近、美術館にいったりする郊外の中流以上の住宅地でよくみかける。
一人暮らしだったりするのだろう。いたましさを感じていた。山岸涼子の「天人唐草」そういった感じの女性もいる。若すぎるスーツ姿からむき出しの足。
 そんな帰りの道すがら、母娘らしいふたりがいた。娘はひどい格好してとつぶやきながら、母のぼさぼさの髪をなでつけていた。愛情があるしぐさだ。普段は別々に暮らしていてお互いに余裕がないけど、ふとした瞬間に気がついたのだろう。
 うらやましいな。母をずっと前に失くした私は思った。でも、生きていても、さして仲がよくなかったからできなかったろうなと思う。
 

 なぜ、気になってたかというと、先日、夫の母にあったからだ。彼女も色鮮やかだけど、くたびれたレース襟付きのブラウスを着ていた。
 夫と義母は冷淡な関係だ。私は他人なのでそんなにも嫌いではない。
彼らはお互いの誕生日も忘れている。たまに連絡をとると義母からそういった苦情が私に届く。夫にときどき会うように促したりする。
 会うと普段付き合いがないのでギクシャクする。そうすると、義母は姪を思い出して口に出す。あの子はどうしているかしら。
 
 彼女は義母の姉の娘だ。姉なる人が離婚した幼い時に義母と一緒に生活していたそうだ。彼女は、何度も姉妹を含めて一緒に旅行に行っている。
だから、髪をなでつけたり、洋服に文句を言ってくれるのだろう。
 しかしである。彼女は暴言を私たち家族に吐き、目の前で自分の孫たちを怒鳴りつける。多分、体に気軽に触れるとは、そういうふうな深いお互いの侵入になれるという危険もセットであるということでもあるのだろう。
 
 かつて、私たちは赤ちゃんの時、親なるひとになでられ育った。その甘味な体験は侵入と紙一重で、でも、それでも人に必要なものなんだろう。






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