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笑って過ごそう
紅梅や 秘蔵の娘 猫の恋
正岡子規
正岡子規が好きです。
わざわざ、小学校の時、「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」が確かめたくて法隆寺に行きました。図書館にあった全集にこの俳句につながる随筆がありました。口減らしにまわりの寺で僧侶になった少年がめそめそと泣いている風景を描写したものでした。まだ、法隆寺のまわりには少年が居そうな刈り取り終わった、広い田んぼが残っていました。明朗で優しい悲しみ。
たくさん、好きな俳句、短歌があるのですが、春を歌った、この俳句を。東京根岸の子規庵に行ったとき、「笑う子規」を購入しました。雑誌広告批評の編集をしていた天野祐吉が好きな俳句を編み、南伸坊が挿絵を描いた本です。
俳句って短いので、単独だと、だから何なんですが。
いい俳句は心にひっかかります。
ふと浮かんでくる親しい誰かの言葉みたいだなって思います。
子規庵に行って見ると、彼が結核で寝たきりになって闘病した部屋が、随筆なんかでイメージするより明るく広く感じました。かつては庭の向こうに、上野公園も見えたようです。
でも、その奥に看病していた妹さんの狭い部屋がありました。どうしよもなくやさぐれて追い詰められた日々もあったんだろうなって思いました。
俳句は五七調の調べを人とつなげる連歌から発生しています。呑気な交際のあそびです。平和だったろう江戸の春を思う。どんなに内面はぐずぐずだったとしても自然の営みは変わらない。そして一瞬の喜びも諦念も。
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